謝罪
美咲の写真を見ながら射精をした後、俺はがっくりとうなだれた。
無性にセックスをしたい欲求は消えたが、逆に美咲にただ会いたい欲は増すばかりだったのは誤算だった。最後に部室で会った時も、ただ同じ部屋にいるだけで会話らしい会話ができていなかった。
美咲が俺の告白を断ったの件について、触れてはいけないような雰囲気があったからだ。
俺は美咲への連絡先を開く。あいつが今何をしているのかわからないが、別に普通に連絡をすることくらい、しても良いだろう。
『今、何してる?』
そんな当たり障りもない、まるで中学生が送るみたいな文面くらいしか思い浮かばなかった自分を恨む。
『夕飯を食べたところでした』
美咲からはそんな風にメッセージが返ってきた。そういえば、美咲は実家住みだったか一人暮らしだったか、そんなこともちゃんと知らないな、ということに俺は気付く。
『何食べたの』
『近くのスーパーでブリの照り焼きを買いました』
俺のメッセージに対し、美咲もすぐに返事を送ってくる。買ってきたということは、あいつも一人暮らしだったか?
『自炊してるんだっけ?』
俺はそんな風にメッセージを送る。美咲から家のことを聞いたことはなかったように記憶しているが、絶対になかったとは言い切れない。
『先輩ほどしっかりはしてないです』
『だいたいスーパーかコンビニで済ましちゃいますから』
『平日は大学で食べてから帰ることもありますし』
美咲から、そんな風に連投が返ってくる。
この返しは一人暮らしだな。
『俺は昨日、シチュー作ったから』
『今日もそれ』
後は帰ってくる前にコンビニでカレーパン食ったけどそれは誤差だ。
『お米抜いてるんじゃありませんでしたっけ?』
『あ、それは昼だけって言ってましたね』
適当に炭水化物を抜いてることをそういや美咲にも話したことがあったっけ。ミサキと付き合っている間も、昼は米を抜く生活は続けていたが、ミサキと外出することも多かったからその代わり間食が増えるなどはした。ミサキも自己管理は気をつけていたのだけれど、食事の分は運動することで帳尻を合わせるタイプらしい。逆に俺はミサキほど運動はあまりしないので、以前より少し脂肪がついてきたのが最近のちょっとした悩みだったりする。
『そう。ただ、最近サボってたからちょっと走り込みとかしようかなとかは思ってる』
思っているだけで始めてはいないので、どうするかは未定だけど。
『幸せ太りしたんですね』
美咲から返答しづらいメッセージが返ってきた。え、こいつどういう気持ちでこれ送ってきてんの? いや、まあこいつはこういうところある。どう返答するか悩んでいると、美咲から続けてメッセージが送られてきた。
『先輩』
『実は古宮先輩と話しまして』
『今、お電話大丈夫ですか?』
美咲の方から、あいつが古宮さんと話したことを言ってきた。確かにその話は文字より直接話した方がわかりやすいし、美咲も話しやすいか。
『いいよ』
『俺かけるわ』
俺は美咲に電話をかける。
『はい』
コールが鳴ってすぐに美咲の声が聞こえた。
「お疲れ」
『お疲れ様です、先輩』
さっきまで俺から美咲に電話して、セフレでも良いなんてことを言おうとしていたことを思い出して、少しだけまた鼓動が高鳴ったが、それは一時の気の迷いだ。最終的にその結論になる可能性はあるとしても、今のところは置いておく。
『実は、金元さんとのことについて、古宮さんと話しました』
「それさ、俺も古宮さんから連絡あって、さっき聞いた。お前のこと、叱っといたって」
『はい。先輩の性癖を確認するより前に、一生傷に残ることはするな、と』
……叱り方それなの? 確かにそれはそうなんだけど、もっとこう根本的なデリカシーというか。いや、美咲に対してはそういうアプローチが一番通じんのかな、などと頭の中でぐるぐると考えた。
よし、これも一旦流そう。
「まあ、それはそうね」
『先輩がSMプレイをお好みかもしれないとしても、いきなり鞭を打ったら、それは傷害だろうと』
「あー……そうだな」
やっぱり古宮さんの叱り方、かなりクセあるって。
それで本当に合ってる? 俺から古宮さんにお叱りを入れたいところだったりするんだが。
「……因みに俺はまだそっちの経験はない」
『そうですか。この間、バイトでSM趣味の人が登録するマッチングアプリのオフ会会場設営のバイトをしたのですが、話聞きます?』
お前はお前で何やってんだよ。思っていた流れとは全然違う方向に話が進むので調子が狂う。正直、面白そうではあるのが困るな。
「気にはなるけど、また今度な」
『そうですね。失礼しました』
「気にはなるから、またじっくり聞くわ」
『ですよね? あの、そうですね。それで先輩』
通話口の向こう側で、美咲がごにょごにょと口ごもっていた。しばらくしてから息を吸い込むような音が聞こえて、美咲は言葉を続けた。
『あの件に関しては、申し訳ありませんでした』
「……ああ、うん」
なんだろうな。古宮さんにも言ったけど、美咲からのNTR報告を思い出して気分が落ち込んだりはするけれど──こうして謝られると、本当にどっちでも良くなった。
「良いよ。今も全く意味はわかんねえけど、ある意味で俺の為だったんだろ。いや、ホントに意味わかんねえけど」
あの報告の後、小スランプを脱したのは事実だし。ショック療法にも程があるが。
「っていうか、美咲は良かったのか?」
『何がです?』
「あー……。あー! 金元の野郎に処女捧げたことだよ、馬鹿!」
とは言え、言葉にするのにはまだ抵抗がある。
『それはまあ、別に』
「あのさ、相手はあいつで良かったの?」
『別に後生大事にしていたわけではなく、たまたまこの歳まで処女だっただけなので』
……なるほどな? そういう認識なんだな。改めて、美咲の考え方については一個一個確認する必要があるんだな、というのが今端的にわかった。
『金元さん、お上手でしたし』
「待った。そういう話は聞きたくない。やめて。マジやめろ」
『……すみません』
──古宮さんの叱り方の是非はともかく、こいつに対しては少なくとも本当に有効だったらしい。
「そういうことなら、良いよもう。気にしないことにする、俺も」
『良いんですか?』
「あのな、お前がしでかすことを一つ一つ気にしてたら、俺はこの身がいくつあっても足らねえの」
『善処します』
「その言い方よりは、もう少し反省してほしいかな」
ああ、でも。本当にもう聞きたくはないが、金元の言っていたことはずっと気になってはいた。この際だからそのことだけ、確認しておいても良いかもしれない。
こうして話してみてもわかったが、結局のところ俺と美咲との間には圧倒的に会話が足りなかったのだと思う。どうでも良いような話や、文学論の話、小説の面白いネタになりそうな話なんかはいくらでもしてきたけれど、俺は美咲のことが好きだと言いながらも、美咲が一人暮らしかどうかも曖昧だった。
「あのさ、美咲」
『なんでしょう』
「俺、実はこの間、金元とも話したんだわ」
『……なるほど』
「俺がお前に、童貞じゃなくなったこと話した後、金元にも連絡入れたらしいじゃん」
ああ、そうだ。美咲が謝ったんだから、俺もあの時のことは改めて謝らないと。
「あん時は本当、ごめん。あれ、完全にお前への当てつけだったし。お前が俺のこと何も気にしてない風なのがムカついて、ついカッとなって」
『いえ、あれも私が悪かったんです。先輩の気持ち、何もわからず』
「……まあそれは良いとしてさ。それであの野郎に聞いたんだけど、元々はあいつとセックスする気はなかったってのは本当?」
美咲がまた、黙りこくった。この質問自体が即答できないものだったのか、それともこれまでのことを鑑みて答え方を探しているのか。
『そうですね。あの日、先輩にも言いましたが、誘ってきたのは金元さんでした。私はあの時は先輩に寝取られ体験をさせるちょうど良い機会だと思い』
「そこがふざけてんだよなあ……」
『すみません』
「良い。そこはもう良い」
気になったのはそこじゃないんだ。
「元々金元に聞こうとしてたのは、男の喜し方だって聞いたんだけど、それは何?」
『……』
「言い辛いなら無理に聞かねえけど」
『私は先輩とは恋人になれません』
またその話。それはそれでガックリくる言葉なんだけど、一々言っててもしょうがないか。
『だから、先輩が私のことを好きならせめて──』
美咲はまた大きく息を吐いた。
『そのくらいはしてあげないと、と』
「……それどういう意味」
『すみません。今日はこのぐらいで失礼します』
「え」
『おやすみなさい、先輩。SMオフ会の件とか、そういうのも含めて話はまた今度で』
そう言って、美咲は通話を切った。
「はああああ」
俺は独り、大きく溜息をつく。途中まではかなりうまく話せていたと思うのだが。俺としてはできれば、気になることは全て今日、確認してしまう腹づもりだったりしたのだが。
「まあ、一筋縄じゃいかねえか」
俺はそう独りごちる。
なんてったって、美咲だもんな。いいさ、あいつのわけのわからなさは今に始まったことじゃない。
『おやすみ』
俺は美咲にそうメッセージを送って、晩飯のシチューを温めることにした。
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