ふたりの現況
「なるほどねえ。それでカノジョとはお別れしたのかあ」
注文したばかりのビールを一飲みし、古宮さんは何とも言えない表情で「ぷはぁ」と一息ついた。
美咲への告白をした後、塾のバイトで古宮さんと顔を合わせた俺は、世間話ついでに古宮さんにミサキと別れたことを伝えた。始め、目のパチクリとさせていた古宮さんだったが、その時も悲しそうな、それでいて安心したような顔をして「よし、そういうことなら今日はわたしの奢り!」と、バイト終わりにいつも来る居酒屋に俺を連れ出したのだった。
徹夜明けだったので正直、かなり眠気と戦いながらの一日だったし、そろそろ家に帰りたくはあるが、古宮さんと話しておくのは今の俺にも必要なことだと思い、抵抗はしなかった。
そんな中で流石にいい加減、心の中で反芻されるミサキの「ユウくんはもっと遊びたい」の言葉にも、「ああそうだよ。俺はもっと、色々なことがしたい」と返すことができるようにはなった。
居酒屋で改めて、どうして別れたのかを聞かれた俺は、俺にベッタリでアイドル活動を辞めようとまでしていた彼女を応援したいと思ったことと、それは建前で美咲のことをまだ好きなことに気付いたから、という茉莉綾さんにも話した二点を話した。ミサキと別れてから話すのはもう昨夜に続いて二度目なので、気持ちもほとんど落ち着いて、自分ごとからは離して伝えることができた。
因みに古宮さんも茉莉綾さんと同様、美咲から俺の付き合っている相手が地下アイドルだということは聞いていたらしい。もう、これに関しては美咲に言った俺が悪いな、と思った。普通、そういうのは伏せるだろうよ。美咲もその二人にしか言ってないみたいだから、言う相手を選んでいるのはわかるけどさ。
皆のおかげで、思ったよりも立ち直りが早い──というより、良くも悪くも、美咲への告白が不発に終わったことがデカい。
あの後、結局美咲はずっと喋り倒しで、俺がまた美咲との仲をどうするかを話す暇もなかった。ひとしきり話し終えた後、時計を確認した美咲は今日もバイトがあるからと立ち上がり「それでは先輩、また明日」と言って、部室から逃げるように出て行った。
俺は去る美咲にポカンとしながら、明日来る気はあるんだな、とホッとしたような気持ちになった。ただ、同時に同じくらいムカついてきたのも確かで、この気持ちをどうするか、という処理が今は脳内で優先されていた。
「二人で決めたことなんだろうからわたしは何も言えないけど」
「一応言っておくと、古宮さんは責任感じなくて良いですからね」
「へ?」
古宮さんはまた目を大きくした。
「何かさっきからそわそわしてるので一応。気にしてないならそれで良いです」
古宮さんがミサキと遭遇してから、古宮さんは俺にミサキが重いのが気になると忠告を受けた。結局、烏京さんにも言ったように、それで俺もミサキもお互いに依存していたことは否定できない。ただ、それは俺がミサキと別れることにした直接の原因ではないのだ。
「あー、うん。そうだね。実はちょっと引っかかってはいた。ありがと」
古宮さんは少しだけホッと一息つく。やはり多少気にしてはいたんだろう。
「ただ、あんな可愛い子にずっと一緒にいたいから仕事辞めるまで言われるとは、君も隅に置けないねえ」
「そういうの返しづらいんでやめてください?」
「ごめんごめん」
古宮さんはまだ少しだけ俺を弄るラインを探りつつあるようだ。この辺りは美咲と違うところだよな。古宮さんも俺をおちょくりはするし、以前は可能ならセックスもしたいとまで言っていたけれど、俺の傷つかないラインは考えてくれている。
あくまで美咲と比べたら、ではあるが。この人はこの人でろくでもないから。
「もしかして、君が多少女の子に慣れていたのは、あの子のおかげだったりするのかな?」
「……はい。その通りですね」
古宮さんの問いに俺は大きく頷いた。
高校生の頃にミサキと過ごした日々が、大学に入ってからの俺を形作っていたのはその通りだ。あの頃からあいつは可憐で、それでいてアグレッシブな奴だった。
「あいつと一緒にいて、色々なことを教わりました。人を好きになる気持ちも、そういう相手にどう接するべきかも」
「初恋?」
「流石に違いますけどね。ただ、他がどうでも良くなるくらいの相手ではありましたよ」
だからミサキと再会し、彼女から求められても俺はそれを拒まなかった。大切な相手だった。
ミサキと別れたことを後悔はしない。それでも、ミサキと一緒にいた日々が高校時代も恋人になってからも、俺の中で大切なものなのは確かなことだ。
「だけど今はそれより美咲ちゃんが好きか」
「ですね」
「美咲ちゃんとはどうしていくの?」
「あー……」
俺は昨日のことを思い出す。どこまでを古宮さんに言ったものか悩む。ただ、美咲からも遅かれ早かれ古宮さんに話すだろうし。
「実は俺、美咲に告白しまして」
だから、その事実自体は隠す必要がないだろう、と開示した。
「マジか!?」
古宮さんがまた目を見開く。これだけ右往左往している感じの古宮さん見るの初めてかもな。
「え、じゃあ遂に付き合うんだ君ら」
「いや、美咲には付き合う気はないそうです」
「……え? 嘘だあ?」
古宮さんからしても意外だったらしい。
「え? だってわたし、美咲ちゃんのこと中学の時から見てるけど、あの子が誰かにあんなにベッタリになったのなんて、君くらいだよ?」
「それはまあ、俺もそう、思ったんですが」
俺が告白したことと美咲がそれを断ったことは伝えられても、美咲が何故そんなことを言ったのかの理由までを俺から言うのは憚られる。
「なんでかは聞いたの?」
「一応聞きました」
「そっか。これも二人の問題だけどね。いや、でも今度美咲ちゃん本人にわたしから聞くわ」
「そうしてもらえると俺も助かりますね……」
なんか、心強い味方を得た気分だ。いや、結果として古宮さんが味方につくかどうかはわからないんだけども。
「ねえねえ、一応聞いて良い?」
「どうぞ」
「美咲ちゃんとまだ付き合ってないなら、わたしとヤるのは?」
「しませんからね?」
何度も思うけど、この人も大概しつこいな?
「ダメかー」
「ダメです」
ミサキには恋人じゃなくてセフレなら良いと言われたことも今は黙っとこう。いや、これも美咲が言うかもしれないけど。
あの後、俺も家に帰って一人悶々と考えたのだ。美咲とセックスをしたいかと聞かれれば、そりゃしたい。だったら、セフレという形もありではないのか、と。
けれどミサキが恋人にならず、ミサキと一緒にいたいというだけなら、わざわざ関係を変える必要はない。それに、ミサキがセフレを提案してきたのは恋人の代わりだ。だからセフレを選択することは、完全にその選択肢をなしにすることも意味にしている気がする。美咲との関係をわざわざセフレという形に持っていくことはない……と、今のところは思う。あくまで今のところは。
「なんだろう、めんどくさいね君ら」
「それは俺もそう思います」
「まあ美咲ちゃんも処女みたいではあるしね。前は違っても、君が実際に童貞卒業して気持ちがノらなくなっちゃったとかはあるのかな? うーん」
「……え?」
「え?」
今、古宮さん何て言った?
え? そこは美咲、古宮さんに言ってないの? いや、自分のセックスのことなんか他人に話すことではないから、それ自体本来は不思議ではないはずだけど。いや、それならそれ以外に言わなくて良いこと山ほどあったろうが。
「えっと、美咲は処女じゃない、です」
美咲が言ってないことを、俺から言うのは良くないとは思いつつも、思わずそう口にした。
「え? あれ?」
古宮さんは首を傾げる。それから俺を指差した。
「ヤった?」
「んなわけないでしょ」
俺がミサキと別れてまだ一週間経ってないんだから。
「でも、わたしも別れた痛みを埋めるために他の人とセックスとかは全然あるし」
「古宮さんはそうかもしれませんが!」
「じゃあ、君が美咲ちゃんと一発ヤって、そのピロートークの時に告白したから美咲ちゃんが断った、とかではない?」
「違いますね。違います。俺を何だと思ってるんですか?」
なんなら、それができるくらい器用な男だったら良かったよ。
「えー、待って。わたし今わかんない」
古宮さんが昨日の俺みたいになっていた。この人でもそうなるのか。美咲は古宮さんには何でも話しているとのだと思っていた。俺も何故だか勝手に、古宮さんは美咲が俺にしでかしたことも知っているものと思い込んでいたが、確かに古宮さんとその話をしたことはなかったかもしれない。
「高校の時とかってこと? わたしもあの子の恋愛遍歴を全部聞いてるわけじゃないし。でも彼氏ができた話とか聞いたことないけどなあ。いや、それ君に聞いても仕方ないか」
「古宮さん、ホントに美咲から何も聞いてないんですか?」
「全然聞いてない。美咲ちゃんそういうとこあるよね……」
古宮さんが頭を抱えていた。今日は何やら、今まであまり見ないこの人の姿ばかりみている気がする。
「君は詳しく知ってるわけ?」
「知ってるも何も……」
あいつが処女を金元に捧げたのは、美咲曰く俺の小説のためだという。知ってるも何も、俺が絡んでいる話でもある。古宮さんに隠してた? それも本人に言わない限りはわかることではないか。
ただ、これも美咲の話と金元から聞いた話とで食い違いがほんの少しだけある問題がまだ俺の中でも解決してない。金元も美咲が処女であることは知らずにヤったみたいだったし。
昨日、金元とのことを聞こうとしたらそのタイミングで逆ギレされたしな……。あれは金元の話を聞こうとしたのが悪いわけじゃなく、俺と恋愛の話をしているのが嫌だっただけなんだとは思うから、またタイミングを見計らって確認はできるはずだ。そう思いたい。
「今から美咲ちゃんここに呼び出しても良いかな?」
「今はバイト中のはずですね」
「んもー、もどかしいなあ。わかった、それもまた今度聞く。くっそ、美咲め」
古宮さんはパッと自分の頭から手を離した。
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