第三部 美咲・モラル・クライシス
告白
「久しぶり」
俺が美咲に言うと、美咲はペコリと頭を下げる。俺はいつもの自分の席に座る。
美咲はパソコン画面を見つめながら、じっと静かに口をつぐんでいる。
「昨日のメッセージだけど」
「見ました。その、ご愁傷様でした」
「あー、ありがと?」
沈黙が流れる。どうしたものかと思案していると、美咲が先に口を開いた。
「何で別れたのかとか、聞いた方が良いです?」
「聞きたくないなら言わないけど」
「いや、聞きたくないわけではないです。寧ろ興味津々です」
だろうよ。
美咲のやつ、俺のせいでかなり気を遣っているのだろうか。そりゃそうだ。こいつに対して逆ギレしたのは俺なんだし。
「ごめん」
「何がです?」
「勝手にキレて、勝手に部室来なくなって」
「別に構いませんが」
美咲はそう言って、パソコンから目を離し、椅子を回転させて俺に向かい合う。
「いやでも、寂しかったです」
「そっか。ごめん」
「構いません。謝ることはないです」
──どうしたものか。ウダウダしないと自分に言い聞かせはしたものの、流石にこれは、どう考えても今じゃない。
「そういや、茉莉綾さんに聞いたけど、なんか色々バイトしてたって?」
「はい。バイトアプリで募集しているようなバイトを色々と。飲食店のヘルプだったり、倉庫番だったり、大学生定番の試験官だったり、ラブホの掃除とか、引越しの手伝いなんかもしましたね」
「色々ってのが本当にそこまで色々だったとは……」
確かに、俺も何度か使ったことがあるが、今はバイトアプリで隙間時間に働くのはそう難しいことじゃない。
「どうだった?」
「良い経験になったと思います。就活している野々村先輩だったり、これからの先輩だったり見てると、大学卒業しちゃったらこういう機会も減るのかなーと思いまして」
「そっか、そりゃ良かった」
「はい。本当に色々あったので、先輩にはいつかお話するつもりでした」
そしてまた沈黙。今度は俺の方から美咲に話しかける。
「美咲」
「何でしょう」
「俺に言いたいことまだあるだろ」
「ありますが、また怒られるの嫌です」
「怒んないって」
「そうですか?」
美咲は自分の顎に手を当てた後、覚悟を決めたように口を開いた。
「先輩がまた部室に来てくれたのは嬉しいです」
「そっか。ありがとう」
「ただ、フられた後だからと言ってすぐにここに来るのは、なんかアレだな? キープしていた相手の元に来るみたいなムーヴでダサいな? と」
ズバリ言いやがったな、こいつ。
それ、そっくりそのまま俺も思ったわ。
「いや、その通りだと思う」
「私は別に構わないのですが」
「今日のお前、そればっか言うじゃん」
いや、これもまた何度も考えたように、マジで俺に美咲のことをとやかく言う資格はない。
「後は茉莉綾ちゃんと飲むなら私も呼んでください」
「うん。そうだな」
でも、あれは成り行きだったから。メッセージ送った後、美咲から返事はなかったし。それを口にすると言い訳っぽさが半端ないから言わないが。
ああでも──。
「一つだけ訂正させてもらって良い?」
「どうぞ」
「俺、フラれたわけじゃない」
「……はい?」
俺の言葉に、美咲は首を傾げた。
「俺からフった」
「何でですか!? もったいな!?」
それ、お前に言われんのかよ。
「え? 桔梗エリカですよ? 私、あの後調べて動画見ましたからね。チャンネル登録もしました」
「ファンじゃん」
色々な感情が流れるが、それに関してはなんか、こっちが感謝したい。
「アイドルですよ!? そりゃ、大っぴらにできないご苦労とかあるかもしれませんが、あんな、あんな可愛い子を!?」
そこでこいつにここまで狼狽えられるの、正直想定外だったな。いや、俺が美咲の反応を想定して合ってた試しなんかほとんどないのかもだが。
「なんでなのか、お聞きしても?」
ミサキがずいっと椅子ごと俺に近付く。俺の方は思わず体を少し引いてしまった。
「俺といると、あいつがアイドル活動に集中できない」
「そんな理由で?」
「あいつ、俺と一緒にいたいから仕事を辞めるとか減らすとか言うんだよ」
「結構なことじゃないですか。それだけ愛されていたってことでしょう?」
「それはそう。俺には勿体無いくらいだった。でも、それだけじゃなくてさ」
俺は再度、自分の気持ちを確認する。俺がミサキと別れた理由。確かめるまでもなく、俺がずっと持っていた気持ちだ。
「あいつと一緒にいて、気付いちゃったんだよな。俺はエリを好きだった。なんなら、今でも好きだ。でも、あいつ以外にも、俺には好きな人がいた」
ミサキは俺が自分以外の人間を好きになることは、許してはくれなかった。それは当たり前のことだ。けれど、無理矢理に蓋をしていたその気持ちをしまったままにすることは、結局俺にはできなかった。
「俺、美咲のことが好きだ」
これまで美咲本人に対しては口にせず、なあなあにしてきた気持ち。俺だけじゃない、サークルの皆やバイト仲間だって、俺と美咲を見ていてバレバレになっていた恋心。美咲だってわかっていることなんだから、わざわざ言う必要もないと言い訳をしていたその言葉。
それを今、俺は口にした。
「え」
美咲は困惑したように、きょろきょろと辺りを見回す。無理もない。俺も突然に言ってしまったことは自覚している。
「それは先輩、どういう」
「どうもこうもない。お前だって、知ってたろ。俺の気持ちは」
未だに全く納得も許しもしないが、両片思いだからと言ってNTR報告をしてきた時だって、こいつは俺の気持ちはわかっていた。
──だって先輩、私のこと好きですよね。
あの時だって、そんなことを言って美咲の方から俺の気持ちを突きつけてきた。こいつの理屈で言うと、だからこその行動だったはずだ。
「俺は美咲が好きだ」
もう一度言う。そうだとも、俺はこいつのことがずっと好きだった。どれだけ俺のことを馬鹿にしようと、どれだけふざけたことをしでかそうと、昔から好きだったミサキとの恋愛があろうと、厄介なことに、俺の好きな気持ちは掻き消えなかったんだ。
「だから、ちょっと恥ずかしいし、美咲の言う通り今のタイミングでこれを言うのがダサいのは認める。だけどさ」
「は、はい」
別れてすぐに他の好きな奴のところに行くのが良くないだろうとか、そういうのはもう良い。自分の恋心に気付いた上でミサキと別れた。それ以外の人間とは決してそういう関係にならないようにした。
「俺と付き合ってほしい」
俺の今の正直な気持ちをそのまま言う。
そういや、こうやって誰かに告白するのは初めてだな。だから、この言い方が本当に正しいのか、全く自身がない。けれど、これまでに学んで来たことだ。
自分の好きな気持ちから逃げるな。
必要以上に自分を卑下するな。
自分のことを安売りするようなことはするな。
それを踏まえた上で、俺は遂に美咲に告白した。
「すぐ返事くれとは言わないからさ……」
「無理です」
「──え?」
俺が続きの言葉を紡ぐよりも前に、ミサキが被せ気味に答えた。
──無理だって?
一瞬が永遠のようにも感じられる時間。
美咲がすぐに返事をくれるとは思わなかった。断られることだって想定はしていた。俺だって、完全に勝ちが確定しているから告白しようと思ったわけじゃない。
けれどそれでも、美咲のその拒絶の言葉は、強く耳に残る。
「先輩が私を好きなことは知ってました」
「そう、だろ?」
「以前も言ったように、私も先輩といるのは楽しいです。その気持ちに嘘はありません」
「ああ、俺も美咲といると楽しい」
でも、と美咲は続ける。
「先輩と付き合うのは、無理です」
「それは、何で」
「だって、私は先輩を好きになったことありません」
「──え?」
俺は美咲が言っている言葉の意味を理解しかねた。
──好きになったことがない?
だって、あの時だって言ってたじゃないか。両片思いだって。それはつまり、美咲だって俺のことを好きだってことだったんじゃないのか。
「え、でも」
「先輩が他の誰かと付き合ったから、好きじゃなくなったとか、そういうことでもありません」
放心状態に近付く俺をよそに、美咲は畳み掛けるように言葉を続ける。
「私、先輩といてドキドキしたこと一度もないんです」
「それは──」
俺の反論を待つことなく、ミサキは更に言葉を続けた。
「私は先輩のこと、好きじゃない」
ミサキはそう言って、頭を小さく下げる。
「だから、ごめんなさい。私、先輩とは付き合うことは、できません」
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