これから、あの日のお別れ②

「言いたくなかったら別に良いんだけど、フラれたの?」


 ジョッキ内のビールを半分くらい飲んでから、かなこさんが俺に尋ねた。

 ストレートに聞きにきたな。


「……俺がフりました」

 俺は答えづらさを感じながらも、小さな声で答えた。

 かなこさんは俺の答えを聞き、また「あー」と納得したように頷く。


「私が束縛強い系とか言っちゃったから?」

「いや、それは関係ない」

「そっか。とりあえず飲も飲も。辛い時はね、他の楽しいを無理矢理でも埋めるのが一番」

「気遣わせてごめん。今日はかなこさんの餞別だったのに。改めて就職おめでとうございます」

「ありがと。でも無理せんで良いから」


 そんな風に話しているウチに、かなこさんの注文した品も続々とテーブルの上に並べられていく。


「お疲れ様ですー」

「お疲れー」


 最初に合流にきたのは、ゆりあさんとみわさんだった。ゆりあさんは黒のブラウス、みわさんの方はチェック柄のカジュアルシャツだった。そういや、この二人の私服姿は初めて見る。一昨日の送別会メンツの中にもいなかった。


「先輩さん、別れたって本当ですか?」

「フったんだって」

「え、何それ。最悪じゃん」

「そういうこと言わない」


 ゆりあさんはかなこさんとそんな風に話しながら席につく。みわさんの方は「失礼します」と言ったぎり、何も言わずにゆりあさんの隣に座った。制服コスチュームでこそないが二人とも店での雰囲気とそう変わらない。


「なんか飲み物頼みなー」


 かなこさんはそう言って二人にタブレットを渡す。タブレットはゆりあさんが受け取り、みわさんに何が良いかを聞いて、ゆりあさんが二人分の飲み物を頼んだようだった。


「結城さん、お辛いですよね」


 と、二人の飲み物が届けられて改めてかなこさんが乾杯した後、みわさんが口を開く。因みにゆりあさんはフルーツカクテルで、みわさんはハイボールだ。キャストの皆ほとんど俺のことを先輩さんと呼ぶが、みわさんはあまりあだ名には興味がなく、普通に俺を苗字で呼んでいる。


「ぼくも昔、付き合ってた人と別れた時は三日三晩泣き腫らしたので」


 みわさんの言葉にゆりあさんが頷きつつ、フルーツカクテルのストローに口をつける。


「でもフった側なんでしょ。あんま引きずってもしょうがなくない?」

「そうだよね」


 ゆりあさんの言葉に、俺は首を縦に振った。それを見て、かなこさんが溜息をつく。


「ゆりあ、あんまそういうこと言わない。先輩さん、カノジョの話振っただけで泣いてたんだから」


 かなこさんの言う通りなのだが、それをそんな風に言われるとまた泣きそうになるからやめてほしい。とは言え、一度衝動的に涙を流したせいか、さっきよりは気持ちが落ち着いている。


「確かに、ちょっと目元腫れてる」

「それは多分、昨日泣いたせい……」


 ゆりあさんに言われ、俺は思わずそう返して目元を拭った。今は泣いていない。


「ゆりあ、デリカシーないよね」

「あんまりそれ、みわに言われたくないな」


 みわさんとゆりあさんは、どちらとも元々はあまり他のキャストと話すタイプではなかった筈だが、最近の見学店での待機中の様子を見ていると、よく二人一緒にいる姿を見かけていた。どこか波長の合う二人なのかもしれない。


 そんな二人に続けて合流したのは、あずささんとななみさんだった。

 あずささんは入ってそろそろ三ヶ月程になるキャストで、この人は一昨日も居た。物腰滑らかに見えながら、酒の席に呼ばれたら確実に来るタイプだ。あずささんもかなこさんと同じオフショルダーだったが、こちらはニット生地で、ハーフアップの髪とも合っている。今はこんな感じだが、待合室ではことある度にメイクを気にしたり、待機中なのに髪型を変えたりしている姿が印象的で、俺から言って、色々な髪型やコスチュームを三日ぐらいに分けて撮影したのが印象に残っている。

 ななみさんは、Web宣伝用の写真を見てバイトを始めたと言っていた新人キャストの一人だ。キャストの中でもかなり小柄な方で、カジュアルな服装を好んでいる印象がある。今日の服装は青色のワンピースだった。入店時期が最近でミサキと付き合っている頃に被るのもあり、あまり話したことはないが、自分から話すのが好きなタイプらしく、撮影の時も好きなアイドルの話や最近観ている動画の話なんかをひっきりなしにしていた。


「泣いてる先輩さんを肴にして酒が飲めると聞いて」


 あずささんはそう言って俺の隣に座る。あけすけな性格の彼女は、相手の懐に入り込むのが上手いが、その分人の恨みも買いやすいのか、以前の職場では同僚と揉めて、片桐さんの店に流れて来たという話を聞いている。


「泣いてたけど、もう引っ込んだ」


 俺はそんな風になんでもない様子を装うが、油断するとまた涙を流しそうな、不安定な精神状態なのは自覚していた。


「先輩さんからフったんだって?」

「そう」

「自分からフッて後悔しちゃったんだ?」

「まあね」

「あずさちゃん、あんまり突っ込み過ぎない方が良いよ」


 さっきは自分がみわさんに嗜められていたゆりあさんが、ぐいぐいと聞いてくるあずささんを止めた。

 あずささんは「ごめんごめん」と俺とゆりあさんに対して手を合わせると、みわさんが持っていたタブレットを受け取って飲み物を注文した。


「フッたフられた関係なく、失恋は苦しいよ。本気で相手を好きだったら特に」


 みわさんはハイボールを既に一杯飲み干していて、既に二杯目に突入していた。


「炎城くんも水見くんのことを本気で愛していたからこそ、水見くんが敵に回った時にあれだけショックだった。あれはぼくも泣いた」

「みわ、それアニメの話でしょ。しかも二次創作。もう酔った?」


 ゆりあさんが、みわさんに対して溜息をつきながらも、笑って突っ込む。


「まあ、あの展開はかなり連載が続いた頃だったから読んでてもショックだったよね」

「流石結城さん、わかってる」


 みわさんがグッと親指を立てて、二杯目のハイボールを口にする。もう半分以上減っており、かなりペースが早いようだが大丈夫なのだろうか。


「カノジョさんとは長かったんですか?」


 あずささんの隣に座ったななみさんが、あずささんを挟んで、テーブルに膝をついて俺に尋ねた。


「三ヶ月弱くらいかな」

「結構短いね」


 俺の答えに正直に返すあずささんを、ななみさんが小突いた。


「先輩さんの様子見てると、倦怠期とかってわけでもなさそうだけどね」


 あずささんの言葉にかなこさんがそう話を続ける。


「まあ色々」

「確かにその辺は当人たちの問題だしね」


 煮え切らない俺の返答に対して、かなこさんはそんな風に流してくれた。


「好きな人と別れて辛いのは当然。それよりも前を見ようよ。おかげで先輩さんとまた飲めるわけだし」

「おかげで……」


 ── ユウくんはまだいっぱい遊びたいんだ。


 かなこさんは俺を慰める為に言ってくれたのはわかっているが、俺はミサキの言っていたそんな言葉を思い出し、少しだけ気分が落ち込む。違う、俺はこんな風にされる資格もないんだ、という気持ちが沸々と湧いてくる。


「あ、ありゃ? なんか地雷踏んだ? ごめんね?」


 かなこさんは俺に向かって手を合わせる。そんなかなこさんに対して「かなこさん、デリカシーない」とゆりあさんとあずささんが口々に文句を言った。

 ネガティブな気持ちを完全に払拭するなんてできないが、そんな俺を慮りつつ、各々好き勝手に話してくれるのは実際、とてもありがたい。


 そこで一旦、俺の話は流れ、かなこさんの新しい仕事についての話になった。かなこさんは調剤事務員の仕事に就くことになったらしく、今は仕事の為に医療系の知識を勉強しているそうだ。確かに、見学店の待機室でもたまに参考書を読んでいる様子は見ていたので、そういうことだったのかと俺は納得する。


 かなこさんに茉莉綾さんから連絡が入り、そろそろ茉莉綾さんも合流するとのことだったが、ラストオーダーの時間になったのでそのまま全員、二次会でカラオケに行くことにした。


「すみません。遅くなりましたー!」


 六人でカラオケに入ってから、誰が一曲目を歌うか相談している頃に茉莉綾さんが合流した。


「あ、すずか来た。じゃあすずかで」

「すずかさん、ナイスタイミング」

「すずかセンパーイ、お願いしまーす」

「すずちゃんの美声聞かせて」

「ぼくも聞きたーい」


 五人からの熱烈歓迎を受け、茉莉綾さんは一度部屋から出て扉を閉めた。それから再度部屋に入って来て、大きく溜息をついた後にマイクを手にする。

 全員が盛り上がっている様子を見るに、多分ちょっとした恒例行事だな、これ。


 茉莉綾さんは流行りのアイドルソングを入れて一人でダンスも交えながら歌う。そんな風に茉莉綾さんが一曲歌う間、各々は手拍子をしたり、間奏の間に酒やツマミを注文をしたりしていた。茉莉綾さんが歌い終わると、全員で拍手が起こる。


「次は私ー」


 と、かなこさんがマイクを手にして、二曲目の再生が始まった。

 かなこさんが歌い始める中、マイクを置いた茉莉綾さんは、どしんと勢いよく俺の隣に座る。


「なんで言ってくれなかったんですか?」

「え?」


 茉莉綾さんは機嫌悪そうに俺を睨みつけた。


「カノジョさんと別れたこと。静音しずねさん──かなこさんの前で泣いたってのも聞いた」


 かなこさんが歌う中、茉莉綾さんは俺に聞こえるように少しだけ顔を近付けてそう言う。


「あれは、我慢しきれなくて……」

「そんなに大変だったなら、なおさら言って欲しかったな。私、先輩さんとはもう少し気兼ねなく話せる仲だと思ってた」


 一応、昨夜連絡をするか迷ってはいたのだが、今そういうことを言っても仕方なさそうだった。


「ごめん。あんまみっともない姿、見せたくなくて」

「先輩さんそういうとこあるよね」


 茉莉綾さんは呆れたように頬杖をつき、それから可笑しそうに笑った。


「今更、遠慮しなくて良いでしょ。裸まで晒した仲だよ?」

「それ今言う?」

「遠慮も配慮もいらないってこと。寧ろ、先輩さんからもっとみっともない姿見せてくれないと不公平」

「確かに」


 それは言われてみれば、そうかもしれない。


「結城さん結城さん」


 みわさんがカシスソーダを両手に持ちながら、茉莉綾さんと反対側の俺の隣に座った。居酒屋で既に五杯もハイボールを飲んでいたのだが、その上まだ飲むのか。

 みわさんは耳打ちするように口を俺の顔に近付ける。


「カノジョさんと別れたってことは今フリーってことですよね? ぼくが新しいカノジョ候補に立候補するのはダメですか?」

「みわちゃーん?」


 茉莉綾さんが今度は笑顔でみわさんを睨む。


「ありゃ、藪蛇」


 みわさんは肩を落として、俺から顔を離す。

 俺は苦笑して、みわさんの方を向く。俺もお酒を飲んで思考が散漫になっているからか、気付けばかなり気持ちが落ち着き、周りにいるのが仕事の仲間ばかりというのもあってか、少しだけいつもの調子が戻ってきた。

 酒を飲んでしまえば逆に気持ちが乱れるかもと思ったが。かなこさんの強引さで、皆にもみくちゃにされたのが功を奏したかもしれない。


「ごめん。気持ちはありがたいけど、遠慮しとく」

「そっかー。手強いなー」


 みわさんはストローでカシスソーダをズズズと飲み干した後、俺の隣から立ち上がって注文用タブレットを操作しに行った。まだ飲む気だな、あの人。


「みわちゃん、私もびっくりするくらい飲むんだよね。だから割と一緒に飲みにいくけど、酔うとあの感じだから困るよ」

「そうなんだ。みわさんがいる飲みの席は初めてだから知らなかった」


 言ってる茉莉綾さんも、既に二杯目を注文している。


「ちょっとそこー!? 一応、今日も私の送別会ってことになってるはずなんだけどー!」


 歌い終わったかなこさんが、俺達の方を指差し、マイクを使って呼びかけた。

「良かったですよー!」


 と茉莉綾さんが拍手をすると、かなこさんは俺の方を見て、安心したように微笑んだ。


「美咲ちゃんには?」


 突然、茉莉綾さんに尋ねられ、俺は一瞬呆けて「うーん」と唸る。


「できたら今日言うつもりでサークルの部室に行ったんだけどいなかったから」

「あ、そうか。先輩さん知らないんだ。美咲ちゃん、今色々とバイトしてるみたいだよ」

「そうなの?」

「なんか、色々な経験した方が小説の為にもなるからとかなんとか」


 あいつはやっぱりまだそんなこと言ってんのか。ただ、美咲が変わらない様子であることにはホッとするものがある。


「先輩さん嬉しそう」


 それで思わずニヤけてしまったのを茉莉綾さんに指摘された。


「まあ、あいつ何しでかしてもおかしくないから……。いや、安心はできないけど」

「そういえばみわちゃんは先輩呼びじゃないんだね」

「あの人、我が道を行くタイプだから」

「ふーん」


 茉莉綾さんは少し考え込むと、テーブルにおいたカクテルに手を伸ばし、ぐいっと一杯飲む。


「ねえ、そしたら私、ハルトくんって呼んで良い?」

「え、良いけど。なんで急に」

「どうやら私が思っていたより君と私の間には距離があったみたいなので?」


 茉莉綾さん、失恋の苦しみを吐露しなかったことを相当根に持っているらしい。


「あ、でも勘違いしないで。みわちゃんみたいに狙ってるとかじゃないから」


 慌てて否定する茉莉綾さんを見て、俺は吹き出した。俺は改めて、ミサキとのやり取りを思い出す。烏京さん程に腹を括ったわけじゃないが、ミサキとああして別れた以上、あまりフラフラしている気はない。

 ただ、かなこさんや茉莉綾さんとの繋がりに感じる心強さは認める他なさそうだ。特に茉莉綾さんとは、最初はあまり普通とは言えないとこらから始まったけれど、ミサキにも言ったように、色々なことを通じて、俺はここにいる。


「ごめん。だとしたら俺、気持ちには答えられない」

「違うって言ったでしょ! そういうとこ、ハルトくんの悪いとこだと思うなー」

「悪い。次、俺も歌うか」


 俺はそう言って立ち上がり、今はななみさんが持っていたデンモクを受け取って、曲を入れた。

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