これから、あの日のお別れ①

 揺れる電車の中で、ミサキとの思い出が駆け巡りもした。再会してからのことだけではない。高校生の頃にあった色々なこと。

 ミサキに「いつ好きになったのか」を聞かれて「いつからか」と答えたが、そういえば、 結局俺はあの頃、ミサキに告白しようだとかそういう気持ちは全くなかったな、ということも思い出す。

 それでも何か一つ、彼女のことを好きになったきっかけを言うならば、俺が書いた小説を楽しんでくれたのを見た時だ。

 まだミサキと知り合って間もない頃のこと。いつだったか、ミサキにいつも休日に何をしているのかを聞かれたのだ。それで俺は正直に小説を書いていることを言ってしまい、それから何度か「書いたの見せてよ」と言われて、最後には根負けした。あの頃は今ほどたくさんの量を書いていたわけじゃなかったが、ミサキに小説を見せると面白がってくれて、続きを読みたいと言われた俺は、その日のうちに続きを書いた。それからも何度か、彼女の読みたいと言ってくれた小説を書いては読んでもらい、俺はそれが嬉しかった。今思えば、恥ずかしい思い出だ。けれど、ミサキは決して俺を馬鹿にしなかった。それがあの頃の俺には、誰といるよりも心地よかったのだ。

 ミサキと一緒にいるのは楽しかった。できることなら、恋人のようなこともしたかった。そして彼女に頼られるようになってからは、彼女の為に俺ができることは全てやりたいと思うようになった。それが、彼女への恋心を自覚した始まりだ。

 美咲のことを好きになっていったのも、あの頃に書いた小説を彼女が読んでいてくれたからだったのは無関係じゃないと思う。ミサキに「あたしと同じ名前だから好きになったの?」と聞かれたことも思い出す。それも全くなかったとは言わない。きっと俺は、最初のうちは、そんな美咲をミサキと重ねていた。


 ──そんなことを考えているうち、気付いたら目的の駅を通り過ぎていた。俺は思わず座席から立ち上がり、いつもならしないようなミスをする自分に少しイラつく。声を出して自分を罵倒したかったが、電車の中なのでグッと堪える。乗換検索アプリで今戻った場合の到着時間を調べると、店長に伝えた時刻を過ぎてしまうこともわかり、余計に自己嫌悪をする。

 俺は急いで、店長に正直に乗り換え間違いをして遅れることをメッセージで伝えた。程なくして店長から『全然大丈夫!』のメッセージが届き、一応ホッとしながらも、今度こそ目的駅に着いた瞬間、店まで急いで走った。約束の時刻は、かなこさんの退勤時間に合わせていたので、あまり遅れると最後の最後でかなこさんに迷惑をかけることになる。


「お疲れ様です」

「お疲れ様」


 スタッフルームに入ると、部屋にいた店長が陽気に手を振ってくれた。

「この間も撮影に遅れたみたいだったけど、大丈夫? 結城くんもスタッフ仲間みたいなもんなんだから、何か悩み事あったら遠慮なく言いなね」


 続けて約束を破っているというのに、片桐さんのみならず、店長にそう言ってもらえるのは本当に頭が下がる思いだった。

 店長は「かなこちゃん、そろそろ上がりだから待ってなよ」とスタッフルームから出ていく。シフトや店内の管理があの人の仕事だが、いつもは基本的に他のスタッフに混じって仕事をしているので忙しない。


「先輩さん、お疲れー」


 スタッフルームで待っていると、既に着替え終えていたかなこさんが入って来た。今日はクロップド丈で肩もヘソも出ているトップスに、一昨日と似たような短めのデニムスカートを履いている。


「かなこさん、今までお疲れ様です」


 俺は持っていたバラの花束をかなこさんに手渡す。


「ありがとうー。わざわざ来てもらってごめんね?」

「送別会行けなかったのは俺の方だから、一応ちゃんと挨拶は、と」

「律儀だよねー。言うて皆そこまで気にしないよ」

「かなこさんは、これからどうするの?」

「就職!」


 俺が聞くと、かなこさんは右手でピースサインを作り、笑顔で答えた。俺は「おお」と嘆息する。

 

「おめでとうございます」

「ありがと! 前の仕事やめて、元々次の仕事が見つかるまでの繋ぎでやってたんだ。手っ取り早く稼げると思って。でもカレシの仕事も安定してきたし、私も無事に就職」

「良かった」


 かなこさんは頷くと、俺の渡したバラの花束を改めて掲げた。


「だから皆にも先輩さんにも、こんだけされてホント嬉しい。正直、割といかがわしいバイトでしょ? 始めた時は、こんな風に終えられるとは思ってなかったから」

「確かに」


 風通しの良い店でありたい、というのはオーナーの片桐さんもよく言っていることだ。片桐さんは「こういう仕事はキャスト同士がギスギスするのも不思議じゃない」と言っていたが、それだけに今のこの店の空気は代え難いモノだろう。


「かなこさん、新しい職場でも頑張ってください。挨拶も済んだし俺はそろそろ」


 俺はかなこさんに小さく頭を下げた。


「えー、もう行くの? ま、しょうがないか。カノジョが待ってるもんね」

「……うん。そうだね」


 俺は顔を伏せた。一昨日、かなこさんや店の皆には、俺に恋人がいることを言っていたから、当然かなこさんもそのつもりでいる。俺は今日、そのことを言うつもりはなかったので、適当に返事をして、かなこさんに背を向けた。


「じゃあ、俺はこれで」

「待って」


 かなこさんは、裏口の扉を開けて店を出ようとする俺の腕を掴んだ。


「ど、どうした? 何かあった?」

「え?」

「泣いてんじゃん」


 俺は自分の目元を拭う。昨日、あれだけ泣いたというのに、ただ他人から恋人のことを言及されたそれだけで涙を流していた。俺はゴシゴシと手の甲で目を擦る。


「うっわ。ごめん」


 本当にあまりにもみっともない。せっかくのかなこさんの門出だと言うのに。気持ちよく送り出してやるつもりだったのに、今の俺はそんなこともままならないのか、と心の中で落ち込んだ。


「大丈夫」

「いや、明らかに大丈夫じゃないでしょ」


 かなこさんは俺の腕を引っ張り、裏口の扉を開けた。俺はかなこさんにそのまま外に出され、ハンカチを渡された。


「ありがとうございます」

「いや、ビックリした。なんかあった?」

「……別れたんです。カノジョと」


 そのまま何もないと言い張ろうともしたが、こうなってしまえばそちらの方が逆に不誠実だと感じ、正直に事実を述べた。


「ごめんなさい、私事でこんな」

「あー、なるほどね」


 かなこさんは俺の腕を離し、腕を組んで眉を潜めた。それからパシン、と両手を鳴らす。


「よし! そしたら先輩さん、あれだ。一昨日来れなかったんだし、改めて送別会してよ。先輩さん、もう今日は予定ないんでしょ?」

「そうだけど。……え?」

「決定! 来れそうな他の子にも連絡しよ。とりあえず、すずかは確定。他は今残ってる子らかな。あ、カレシにも遅くなるって連絡するからちょっと待って」

「いや、えっと」


 かなこさんはスマホを操作した後、すぐに電話を掛ける。


「うん、そう。送別会二回目ー。一昨日来てくれなかった子とか。あ、今日は男の子もいるよ。心配なら来る? 大丈夫? りょーかいー。帰る時また連絡するねー」


 かなこさんはスマホを仕舞うと、駅のある方角に歩いて行き、俺の方を振り返る。


「ほら、来なよ。とりあえず開いてるお店もとったから」

「あ、はい」


 俺はかなこさんに言われるがままに後を着いて行った。かなこさんに連れられたのは、駅前の居酒屋だった。奥の団体席に通される。

 ──思わずここまでついてきてしまった。昨夜、茉莉綾さんや古宮さんに連絡するのは慰めてもらいたいみたいで嫌だと思ったばかりだったのに、完全にかなこさんに気を遣ってもらっている。


「先輩さんもビールで良い?」

「あ、大丈夫」

「それしか言わんね」


 俺はまた、すみませんと頭を下げようとして、言葉を飲み込んだ。半ば強引に連れて来られたとはいえ、むしろだからこそ、せっかくの厚意をあまりに無碍にするのもよくない。

 かなこさんが店内の客用タブレットで注文をする間、口を開くことができずにただその様子を黙って見ていた。かなこさんは、スマホを確認して「あ、すずか来るって。後はゆりあとみわと……。あ、あずさも来るんだ。酒飲みたいだけだな。そんだけ来るなら色々適当に頼むか」


 そんな風に、かなこさんがスマホとタブレットを同時に見ながら、一人で色々と口にするのを見ている間、先に頼んでいたらしいビールが二杯、店員から届けられた。


「はい、乾杯!」


 来たビールジョッキを待ってましたとばかりに掲げるかなこさん。俺もかなこさんに合わせてビールジョッキを掲げ、音を立てて乾杯した。


 

 

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