第17話 惨劇 3
真っ先に沈黙を破ったのはナティだった。
「カッシ! おめえの死んだ仲間やご先祖様に、森を抜けて逃げる方法を教えてもらえるんだな! 今俺たちが頼りに出来るのはおめえしかいねえ!」
「ナティ!」
オムーが鋭い一言でナティを制した。
そして長い前髪で隠れていない方の目で、じっとカッシを射るように見た。再び沈黙が、このゲリラの頭目を中心にその場を支配する。
「報酬はどれ程を求めている? もちろん今すぐにという訳にはいかない。我々が無事に森を逃げ延びて、その後での支払いになるが」
「三万ドロン」
周囲からうめき声が上がった。
「三万ドロンだと! そんな金手にして、一体おめえ、何に使うつもりだよ! いつでもそんなぼろを着てるくせに!」
ラドゥはすぐに、カッシが自分のためだけでなく山の仲間皆が当面安心して暮らしていける金額を求めているのだと分かった。しかし三万ドロンはゲリラのメンバーがおいそれと出せる金ではないのは明らかだった。オムーは沈黙のまま、片方の目でじっとカッシを凝視していた。ラドゥはオムーが何とかこの「山猿」を出し抜くか丸め込むかしてその額を引き下げようと画策しているのが分かった。過酷な戦闘の場において、そんな駆け引きは当たり前だという事は、ラドゥにも分る。しかし差別や序列に基づくそれは見ていて気持ち良いものではない。ラドゥがいたたまれず口を開きかけた時、カッシの表情に少しばかり笑いが浮かんだように見えた。
「だが、おら達山のもんは、仲間から金を取る事は一切しねえ。そこで聞きてえんだが、おらはおめえ達の仲間か?」
その場に集う者は皆押し黙っていた。金を払いたくないばかりに今さらカッシに「お前は仲間だ」などと白々しく口に出来る者はいなかった。いや、言う資格のある者が一人だけいた。ナティだ。
「当たりめえじゃねえか! おめえら山のもんはみんな俺たちの仲間だ! だけどおめえがずっとそう感じてなかったとしたら、それは俺の責任だ。皆を代表して謝る。金は出せねえかもしれねえが、俺達はおめえとおめえの仲間達の暮らしを全力で守る!」
「出しゃばるな! ナティ! 我々の第一の目標は闘争だ。お互いの傷のなめ合いではない!」
「人の暮らしをめちゃめちゃにしといて闘争も何もあるかよ! カッシ達山のもんは俺達のせいでずっと迷惑してんだよ!」
「何!?」
オムーの目がギロリと刃のように光った。
「こいつはナティにそんな事を言ったのか!?」
「カッシは俺に恨みつらみは言いやしねえ。だけどそんなの見てりゃ分るぜ! 山のもんにとっちゃあ俺らが勝とうが負けようがどうだっていいんだ。カサン人からも俺ら里に住むアマン人からもいじめられてきたからな!」
「お前は何も分ってない!」
怒りを糧とし戦いだけに身を捧げてきたであろう男の妥協を許さぬ声の響きが小屋の中に満ちた。この男から発するとてつもない力に抗える者はほぼいないだろう。ナティでさえ、一瞬ひるんだように見えた。ラドゥは今こそ自分が口を開く時だと感じた。悲しみと絶望の底にいる今だからこそ。
「差し出がましいようだが、少し話をさせてくれ。おらは今、悲しくてつらくてたまらねえ。どうしようもねえ程。家族も仲間も大勢死んだ。ただ、今カッシの話を聞いて思い知った。山のもんがこれまで何度も何度も今のおら達みてえな思いをして、それにジーっと耐えてきたんだってな……」
ラドゥはあまり口が上手くなかった。今自分の内側に込み上げて来る感情をどう説明したものか分からなかった。しかし、どうにか絞り出すように言葉をつないだ。
「つらい思いをしてようやく分った事がある。それはつらい思いをしたもん同士、助け合わなきゃいけねえって事だ。オムー、おら達農民は確かにこれまで散々あんた達妖人を見下して来た。しかしそれじゃいけねえ。おら達はあんた達に助けてもらわなきゃいけねえ。だがそれと同時にだな、あんた達も山のもんに助けてもらう時じゃねえのか」
オムーの髪に覆われていない方の目をくっきりと見開かれ、人を押し倒すかのような視線がラドゥに注がれていた。恐らくこの誇り高い男は、ラドゥのへりくだった態度にいくらか満足を覚えているらしかった。
「おらはこれから山の仲間を集めて森を抜ける準備にかかる。一緒に行くかどうか、決めるのはあんた達だ。夜が明けたらすぐにここを出るから、それまでに決めてくれたらいい」
カッシはそう言うと立ち上がり、小屋の外に出た。ラドゥは彼の姿が見えなくなるまでその背中を見詰めていた。みすぼらしい服に包まれた丸みを帯びた背中は、多くの人々の運命を背負ったそれにのみ現れる力強さが感じられた。
(賢い男だ)
ラドゥは思った。かつて一緒に学校で学んでいた頃、なぜ彼の事を愚鈍な少年だと思い込んでいたのだろう。彼は短時間でここにいる全ての者の心を揺さぶった。その上で、自分達山の者を見下すような態度を改めて欲しい、と暗に伝えたのだ。そしたカッシが去った今、誰もがこれまで顎で使っていた男に頼らざるを得ない状況である事を理解していた。恐らくあの誇り高いオムーさえも。
夕刻から降り出した雨は滝のように厚みを増し、ラドゥは静かに酩酊に襲われていく。それはラドゥを森の奥と未知の世界に誘い込む響きでもあった。
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