第15話 惨劇 1

 その時だった。

 パン! パン! パン!

 空気の弾けるような、異様な音がラドゥ達に降り注ぐ。続いて

「タタタタタ」

 という連続音。

「銃声だ! みんな森へ引き返せ!」

 ナティが叫んだかと思うと、低く呻いた。

「畜生! カサン兵め、もう来やがったか!」

ラドゥはしかし、次の瞬間音のする里の方に力の限りに走り出していた。

 行かなければ。あの場所へ。妻や子ども達が待つ橋の向こうへ。

 やがて、一人の少年がラドゥ達の方に向かって走って来るのが見えた。髪を振り乱し、両腕をもげそうな程ぐるぐる振り回して壊れそうになりながら走る裸足の少年。

「ナティーーーー!」

 彼は、まるで小動物が牛車の車輪に踏み潰されるかのような叫び声を上げた。

「ヤヤ!」

 ナティが少年の名を呼んだ。

「カサン兵が、橋の向こう側でみんなを殺してる! 家もみんな、火を付けてる!!」

 少年の言葉に、ナティは沈黙で返す。

 ラドゥもまた。一言も声を発する事が出来なかった。ただ、走った。少年が走って来た方に向かって。殺戮が行われているその方向へ。舗装されていない道を走った。一歩ごと自分の足にまとわりつく泥を蹴散らしながら。

(クーメイ! クーメイ! 早く! 逃げるんだ! 俺はここにいる! ああ、どうして無理矢理にでもここに連れて来なかったんだ……!)

 木立によっていったんラドゥの視界から遮られた川が、再び姿を現した。妖人と農民が住む地域を隔てる川の間に架けられた木の橋がはっきり見えてきた。橋のたもとには、ラドゥたちが今朝来た時とは違い、妖人達がびっしり集まっていた。彼らは皆、たいまつを手にしている。

「カサン兵が来るぞー!! 橋を落とせー!!」

 そんな声がラドゥの耳を殴打する。

「待ってくれーー!!」

 ラドゥは彼らの前に飛び出し、両手を広げて絶叫した。

「待ってくれ! 橋は焼くな! 向こうから逃げて来る人がいる!」

 実際に、橋の向こうには、ひとかたまりの村人達がこちらに向かって走って来るのが見える。さらに彼らを追い立てるパン! パン! という絶え間ない銃声。

「頼む! お願いだ! あいつらを渡らせてやってくれ!」

 しかし、迫り来る銃声に恐れをなした人々の耳に、ラドゥの声は届かない。川のこちら側の人々の放った炎が、たちまち真っ赤な舌で木の橋を舐め始めた。ラドゥはこの時、末の娘を腕に抱えて走って来る妻の姿を見た。

「クーメイ!」

 ラドゥは、既に真っ赤に燃え上がる橋に向かって突進した。

「ラドゥ! 待て! 危ない!」

 ナティの声がラドゥの背中に響く。しかしその声はラドゥを止める事は無い。橋は既に燃え上がる炎の道と化していた。そして地獄のような炎の向こうに、ラドゥは自分に向かってクーメイが手をヒラヒラと振るのをはっきりと見た。クーメイの、自分に向かって差し伸べられた手は蝶の羽ばたきのように揺れながら地面に落ちた。同時にこちらに向かっていた大勢の村の仲間達も、燃え上がる橋の向こうで銃声と共にバタバタ倒れていく。

 立って動いている者が一人もいなくなったところで、十数人のカサン兵が姿を現した。倒れた村人達一人一人を銃剣で突き刺して行く。

「やめろー! この鬼畜めー!」

 ラドゥは絶叫した。しかしその声は対岸には届かない。ラドゥは燃え上がり崩れ落ちて行く橋の脇、川の中へと突き進んだ。ラドゥは泳ぎを知らない。しかし今のラドゥを引き止めるものは何も無かった。だが水嵩がラドゥの胸の辺りまで届いた時、何かによって行く手を阻まれた。濁った水の中に横たわる巨大なそれは、長く川上から川下へと延び、薄く光る掌程の大きさの鱗にびっしりと覆われていた。

(龍蛇……!!)

 ラドゥはその存在を妖人達から聞いて知っていたが、実際に目にしたのは初めてだった。でもなぜ! なぜ今なんだ! なぜ愛する人達の所へ行かせてくれない!? ラドゥは何度も何度も龍蛇の鱗を叩いた。しかし龍蛇は、ラドゥの嘆きなどつゆ知らぬかの如く、ゆったりとその巨大な体を揺らしているばかりだった。

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