第14話 森のアジト 5
やがて、ラドゥ達が先程飲み食いをした小屋より一回り大きい建物にたどり着いた。
その小屋の傍には背の高い「長おばけ」が立っていて、来る者を見張っている。見慣れぬ者を見てさっそくダランと伸びた長い腕を持ち上げ、ラドゥ達を指さし、何かまくし立て始めたが、ナティが手を挙げて合図を送るとピタリと口を閉じた。
小屋の中からはバダルカタイ先生の朗々としたアマン語がはっきりと聞こえてきた。ラドゥは梯子段を上がり、入り口に掛かっている筵を持ち上げ、腰を屈めて中に入った。バダルカタイ先生は、茣蓙の上に胡坐をかいた十人程の子ども達を前に、立ったまま、大きく腕を振り上げ、上体を揺らしながら話をしていた。真っ白な髪と口髭に覆われた顔は黒く光っている。その体から発せられるエネルギーと威厳は、農民達の勉強会で見せていたものよりはるかに大きく感じられた。
「我々は我々の言葉や歌、祭りや風習、生活といったものを守らねばならぬ! それは誰からも奪われてはならぬ! 我々に今必要なのは、カサンに従う事でもピッポニアにおもねる事でもない! 我々は自らの力で立つのじゃ! 自分達のこの褐色の脚で、しっかりと大地を踏みしめ立たねばならん!」
さらにバダルカタイ先生は、教室の前面に立て掛けられたひびの入った黒板にアマン語の文字をチョークを叩きつけるように書き付けた。それは「独立」と読めた。
「アマン文字は古い歴史を持ち、今からおよそ千年前のアマン族の王エレウ三世の治世に地域の住民達の間で用いられていた文字をもとに制定されたのじゃ。その後多くの書物が書かれたが、北のアジュ王朝との闘いによって消失してしまった。しかし我々の土地には豊かな知恵も歌も物語も残っておる! ピッポニアの輩やカサンの輩は我々が文化を持たぬ蛮族とみなしている。ピッポニアは我々から文字を奪い、ピッポニア文字を押し付けた。カサン人はさらに、アマン語そのものを奪おうとしておる。お前達は決して大国の暴虐を許してはならぬ!
小さな教室にひしめく十数人の子ども達は物音一つ立てず、真剣に先生の言葉に聞き入っていた。バダルカタイ先生はやがて話すのを止め、ラドゥにサッと視線を向けた。
「ラドゥよ、お前は必ずここに来るものと信じていた。お前が選び取ろうとしているのは正義じゃ。正義と悪の戦いにおいて、お前は必ず正義を選ばなくてはならん」
生徒達はいっせいに振り返り、ラドゥの方を見た。ナティはラドゥの耳元で囁く。
「ここで学ぶのに一切金はかからない。俺らの首領のオムーは読み書きなんて無駄で意味ねえって言ったけど、俺は絶対に読み書きは戦いに必要だって言って認めさせたんだ」
(そうだな。俺もおめえもオモ先生の学校で教わって、勉強のありがたみは重々分かってるからな)
ラドゥはしかし思いを口にせず、ただ黙って頷いた。
ラドゥは、自分の子どもがこの学校で勉強している様を想像した。長男のオーンには自分である程度読み書きを教えたが、オモ先生やバダルカタイ先生のようにうまく教えられる訳でもなく、年々過酷になる労働によってその時間すら取れなくなっていた。
(せめて下の二人には……)
いつの間にかスンニやヌン達も小さな学び舎に集まって来ていた。生徒達は大勢に見られて恥ずかしいのか、クスクス笑っている。男の子が多いが女の子もいる。
やがてバダルカタイ先生が机を叩くと、それを合図に子ども達はサッと立ち上がり、歌を歌い始めた。それはラドゥのよく知っているメロディだった。マルがかつてよく口ずさんでいた、この地に昔から伝わる旋律だった。しかしその歌詞も歌の調子も、マルが歌っていたものとはかけ離れていた。
「進め 我らが誇りのために 武器を取れ 我らの正義と名誉をかけて この土地を 踏みにじる者をなぎ倒さん あかあか燃える 怒りの炎 いざ燃やせ 束ねよう 我らの力……」
「兄さん、あたし、この人達に協力するって決めた。旦那とうちのチビ達をここに来させるわ」
いくらかぼんやりと歌に聞き入るラドゥの横で、スンニが言った。
「でもおめえの亭主はおめえがここに来るのさえ反対してたじゃねえか」
「大丈夫。あたしの言う事なら絶対聞くから」
「そうか」
ラドゥは子供達の歌が終わった後、再びナティの方を向いて尋ねた。
「ところで、お前達のリーダーのオムーはどんな人間だ」
「俺達に協力するなら当然それは知りたいだろう。もうじきここに来るぜ。ちなみにオムーはマルの兄だ」
「何! ……本当か、それは!」
「おっと、さっそく来たな」
ナティが視線を動かした。ラドゥはサッと振り返り、入り口にかかった筵の方を振り返って見た。ギシ、ギシ、と梯子段が軋む音がしたかと思うと、ザッと筵が持ち上がり、一人の男が姿を現した。
「いらっしゃい、隊長!」
子ども達は口々に挨拶した。顔の半分は長い前髪によって完全に隠れている。そして隠れていない片方の目から放たれる鋭い光は、ラドゥを思わず一歩後ずさりさせる程の鋭い光を放っていた。
「ラドゥだな。話には聞いている」
その声を聞いた時、ラドゥは初めて、目の前の、マルとは似ても似つかない雰囲気の男に、初めてマルの面影を見た。マルと同様、その声には人を引き付ける強烈な力があった。
「ナティからいろいろと話は聞いた。しかしこれは俺達だけの問題じゃねえ。妻や子ども達にも関わる事だ。あいつらを危険にさらすわけにはいかねえ」
「そうか。ここにいる子ども達は幼くても皆戦う覚悟が出来ているがな。この村の平和は、幼い子どもも含めた我々妖人の犠牲の上に成り立っている。それは昔も今も変わらない」
「オムー!」
ナティはオムーをたしなめるようにその肩に手を置いた。
「そんな事ないわよ! いざって時にはあたし達農民も戦うわよ!」
スンニが一歩前に出てゲリラの首領に言った。
(やれやれ! いざという時は、女は腹をくくるのが早い)
ラドゥはそんな事を思いつつ、オムーに返事した。
「分かった。向こうに戻って仲間らに話してみよう」
オムーは幼い子ども達にまで戦い死ぬ事を強いる恐ろしい男のようだ。そして妖人である彼は、恐らく農民に対し相当の猜疑心を抱いている。それは想像通りだった。妖人でありのゲリラの頭目でもある人間がにこにこ自分達を出迎えるはずがない。しかしここにはナティがいる。ナティは荒っぽいが、弱い者にとことん寄り添う優しさがある。
「彼らを里まで送ってやれ。身の安全のためにこれを持って行け」
オムーはナティに山刀を渡した。それを受け取る際、ナティの表情に一瞬動揺が浮かんだのをラドゥは見逃さなかった。
(身の安全のため、なんて言ってるがそうじゃねえ、もしおら達が裏切る素振りを見せたら切れって事だろう)
ラドゥの意志は既に固まっていた。いや、意志と呼べるものかどうか分からない。それ以外、選ぶ道は恐らく無いのだ。しかし妻や仲間達にそれを理解させる事は出来るか? ラドゥの脳裏には頑迷で妖人嫌いの村人達の顔が浮かんだ。妻のクーメイは妖人を嫌ってはいないが、自分の子ども達をゲリラの仲間にする事については首を縦に振らないだろう。
(さて、どうしたものか……)
ラドゥは自分の顔を伝い落ちる塩辛い汗を舐めながら考えた。
ラドゥらを先導するナティも自分の考えにふけっているのか、口をきかなかった。森から出ると、真昼の巨大な橙色の光に包まれた。
里が見えてきた。その先に、キラキラ光って見えるのは川だ。近くから見ると泥で濁っている川も、ここから見下ろせば、幾百の光の粒を反射して限りなく美しい。あの先にはかつて水田が広がり、この時期には水を湛えて青々と光って見えていたはずだ。しかし今は見る影もなく、苦悩を湛えたような重苦しい油の木が黒々と、囚人の群れのように立っているばかりだった。
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