第13話 森のアジト 4

 ふと顔を上げると、ナティが小屋の壁によりかかり、少し笑いを含んだ表情でラドゥの方を見ていた。

(変わったな……)

 かつてのナティは、やいやい自分の言いたい事を言うばかりの奴だった。今のナティは一歩引く事を覚えた。美味しい食事やかつての級友を使ってじわじわと自分達を仲間に引き入れようとしている。ナティはおもむろに立ち上がると、ラドゥの傍にやって来てしゃがみ込んだ。

「ラドゥ、おめえの心配は分かってるさ。ゲリラは殺しやら盗みやら人の道に外れた事をしている。自分達にそんな真似は出来ねえ、そうだろ? だがな、俺らはおめえ達にそういう事をして欲しいんじゃねえ。そういう汚ねえ事は俺らがやる。俺ら妖人はずっと汚ねえ仕事してきたから慣れてる。俺は妖怪ハンターだ。そして今俺らが退治しなきゃいけねえ最大の妖怪はカサン人だ。おめえ達農民はただ手助けしてくれたらいい。昔、村に出た人面獅子をやっつけた時、農民達が相手を酔わせる酒を用意してくれた事があったよな。あの時みてえにしてくれたらいいんだ。例えば木を切り開いて焼き畑を作ったり種を植えて食料を作るとか、そういう事をしてくれたらいい」

「ジャングルの中に畑を作るのか?」

「そうだ。ここに俺達の一大基地を作る。そうして完全に自給自足出来るようにする。そうすりゃ無闇な強奪はやらなくてすむ。それで俺らはカサンに抵抗出来る力を蓄える」

 ラドゥは、酔っていくらか頭がグラグラしながらも、何とか言葉を紡ぎ出した。

「おめえはいつからカサン人をそんなに憎むようになった? おめえもおらも、カサン人のオモ先生にいろいろ役立つ事を教わったじゃねえか。それに、世の中には卑しい人間も尊い人間もねえって事を教えてくれたのもオモ先生だ」

「あれはカサン人の策略だ。俺らアジェンナの民から平等に搾取するためだ」

「そりゃあんまりな言いぐさだ。だいたいおめえも、しじゅう悪態をついてはいたが、随分楽しそうに学校に通ってるように見えたぜ」

「楽しんじゃいねえ。カサン人は敵だ。カサン人の事をよく知るために勉強してた!」

「……おめえ、ひょっとして、オモ先生がマルをタガタイの学校にやった事を恨んでるんじゃねえか?」

 一瞬の空白。ラドゥはとっさに、自分は触れてはならない事を口にした、と思った。次の瞬間、ナティは吐き出すように言った。

「あいつの事は思い出したくもねえ! あいつはもう心の中までカサン人になっちまった。俺らの事なんか忘れて、カサン人と一緒に俺らを踏みつけにしてるんだ!」

「ナティ、そんな事本気で思ってんのか!?マルが俺達を忘れるわけねえ。おめえが一番分ってるだろ!」

 ナティは壁の方を見たまま黙っていた。肩に落ちた髪が微かに震えていた。

「ラドゥ、悪い」

 ナティはそう言ったまま、小屋の外に出た。小屋の中には再び、仲間達が食べ物を咀嚼する音だけが残った。恐らく彼らはもうここを出て里に戻る事はあるまい。胃袋を支配する者には無条件に従うのが人間の摂理というものだ。しかしラドゥの口の中は乾いていた。あんなに仲の良かったマルの事をこんなに悪しざまに言うようになったナティの変化が恐ろしかった。殺伐とした世界に身を置くという事は、親愛の情を失うという事なのか……。

 しばらくして、再びナティが小屋の中に入って来た。今度はさっきとは打って変わってにこやかな表情を浮かべていた。

「おめえの言いてえ事も十分分かった。おめえは優しい。昔から俺ら妖人の事を悪く言う事も無かったしな」

 ナティはラドゥに向き合うように、ストンと胡坐をかき、そのままラドゥの方ににじり寄った。ナティが感情を抑えつつラドゥに差し向けた顔は、ハッとする程美しかった。この時、ラドゥは理解した。ナティは人が変わって薄情な人間になり下がったわけじゃない。マルへの強い思いからあんな言葉が出たのだ。

「ゲリラのような、人の道に外れた連中の手助けなど出来ない、と。その気持ちも分かるさ。だがこのまま黙って油の木を作り続けるのか? おめえみたいな賢い男が、想像出来ねえわけじゃないだろ? 取れた油が一体何に使われてるか。あれはみな、戦車や戦闘用飛行機の燃料に使われるんだぜ。今、カサン帝国はシャク王国と軍事衝突してる。軍事衝突って言ったって、実際には戦争だよ。カサン帝国はアジェンナみてえにシャク王国を支配下に入れようと目論んでる。飛行機から爆弾を落とせば、兵士だけじゃなく普通の農民も死ぬ。おめえ達が黙っておとなしく働けば働く程、よその国のおめえ達と同じ農民を殺す事になる。そうは思わねえか?」

 ラドゥはナティの話を聞きながら、今しがた胃袋におさめた物の一部が逆流したかのように、口の中が酸っぱくなるのを感じた。言われた内容は、ラドゥにとって全く想像を超えたものではなかった。ただ日々の労働に追われて、その事に想像を巡らす暇が無かったのだ。俯いたラドゥの頭の後ろに、何か重い物がのしかかっている。ヤモリの鳴き声が、まるで自分を責め立てるように甲高く聞こえてきた。ナティの声はあくまでも穏やかだった。

「おめえはオモ先生から色々役立つ事を教わったかもしれねえ。だがオモ先生が教えてくれたのは片一方から見た世界だ。支配する側から見た世界だ。だがな、俺らはもっと、支配される側から物事を見なきゃなんねえ。それで、ただ苦しい苦しいと言って今晩の飯の事ばかり考えるんじゃなくて、もっと勉強しなきゃなんねえ。なあ、ラドゥ、俺らにはバダルカタイ先生がついてる。もうちょっと森の奥に入った所に、俺達の学校がある。そこで教えてくれてるんだ。俺達の学校を見てみないか」

「バダルカタイ先生……」

 高潔で学者肌のバダルカタイ先生が反カサンゲリラに協力している事など、これまで考えてもみなかった。ラドゥは一瞬驚いたものの、最近のバダルカタイ先生の言動を思い返せば返す程「さもありなん」と思えてきた。バダルカタイ先生は、農民達が働き詰めで勉強の時間が取れず、思考力さえ奪われている様に業を煮やしていたのではないか。

「分かった、行ってみよう」

 ラドゥが仲間達に

「これから彼らの学校を見てくる」

と言うと、ふるまわれた食事を久しぶりにたらふく食ってすっかりくつろいでいた彼らは、慌てて立ち上がった。彼らには皆、年少の子ども達がいる。学校の事は彼らにとって他人事ではないはずだ。ラドゥ達一行はナティの案内で森の奥に進んだ。

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