2. 奴隷のアズサ
る一〇四、アズサ。それが私の名前。
名前を初めて知ったあの後、名前を呼ばれた奴隷たちは全員がこの
柱こそ
まともな手入れがされていないことは、
そんな吹き抜けからの日差しも、基本的には早朝と夕方にしか差し込まなかった。そして小さい窓故に風通しも悪く、空気はいつも
草も生えない程に踏み固まった地面の上に、薄い
しばらく経ってから、
それでもまだ、この体にある記憶と比較すれば、ここは
一番つらかったのはトイレだった。
納屋である場所に
やがて、ひとりが同じようにその藁影に向かったかと思えば、次第にその場所は皆が使う場所になっていった。
もちろん、そんな状態をいいと思うわけもなく、私は
それでも、体調を崩した何人かがその場で垂れ流していたそれらに比べれば、距離があり直視をしないだけでもいくらかはマシではあった。
体調を崩している子の中には、まだあどけなさが残る少年もいたが、今の私には
そしていつまでも続くこの
◇
名前を呼ばれたあの日から、多分、二十日は経とうとしていた。
この納屋での生活は何も変わらなかった。
体力を
何も考えたくない。いや、考えられるほどの余裕がない。でも、今はそれでいい、そう言い聞かせるしかなかった。
隙間風と呼吸だけが延々と続く、
音の鳴る方を見れば、出入り口の引き戸が乱暴に音を立て、勢いよく開いた。出入り口からの外光が私たちを
唐突な光を前に、思わず目を閉じてしまった。
「全員、外に並べ」
しかし、その声で起き上がる奴隷はまばらだった。私を含めその多くはその場から動けず、顔だけを男の方に向けるので精一杯だった。
その光景を見てか、男が地面に
「てめぇらぁッ!!!!!外に並べぇッ!!!!」
男の手には一本の細いムチが握られていた。そのムチの先からは、
岩のように踏み固められた床を削るムチ。それは、今の私にとっては、何者でもない純粋な恐怖にしか見えなかった。
その場にいる奴隷らは
ふと、あの少年が目に止まった。あれからずっと横になっているが、やはり体調が優れないのだろうか。後ろを振り返れば、他にも何人かは寝たままでいる。このままじゃ彼らはあのムチで……そう思うと、目前の少年に手を差し伸べられずにはいられなかった。
だが、すでに遅かった。
出入り口から差し込む光で照らされた彼の顔は、すでにウジ虫が
◇
無理やり外へ出された私たち奴隷は、そのまま納屋の出入り口から出て左側、長い壁に背を向けるように並ばされていた。
なにをされるのだろうか、早く終わってくれ。横になりたい。
雑草の緑や
「――ッあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ ゛ッ!!!!!!」
だが、突然聞こえた
何事かと思い、叫び声がする方へ視線を向ける。そこには、地面にうずくまったままの少年と、その
少女は叫びながら抵抗をしているが、木製の台座に
ガタイのいい男の側には、
その瞬間、私は何をされたのかを理解してしまった。
「ぃや゛っ!!や゛だっ!!や゛め゛でっ゛でばぁ゛ ッ!!!!!」
遠目では白にすら見える焼きごての先が、周囲の空間をぐにゃりと
そんな願いは届くこともなく、焼きごてが彼女の左鎖骨にしっかりと押し付けられた。
「ッあ゛あ゛あ゛ッ!!!!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!!!!!」
腹の底から出た少女の絶叫が、肉が激しく焦げる音を全てかき消した。
その悲鳴はさっきと同じように私の耳をつんざいたが、
彼女の声が止んだ。恐る恐る視線をそちらに向ければ、焼きごてを外された彼女はそのまま横に転がされ、流れるように次の奴隷がまた台座に押さえつけられていた。淡々と業務としてこなされてゆく光景がただただ続く。そうして一人、また一人が叫び、地面にうずくまってすすり泣くにつれ、私は確実に訪れる、避けられない未来に
あれを、わたしも、される。
いやだ。こわい。
やめて。
たすけて。
いやだ……!!!
いや、だ……!!!!!!!
絶望の真っ只中、突然、私の両腕と両肩を掴まれた。気づけば、すでに私の目前にあの台座が
「っいや!!いやだ!!!やめてぇっ!!!!!」
出せるだけの体力でなんとか抵抗をしようとするが、
視界の
いやだ、やめて、いやだ、いやだ……!!!
その熱された先が近づくに連れ、頭の中が恐怖と
そして、今はどちらの感情が強いのかも分からないほど頭がぐちゃぐちゃになったとき、その焼きごてが私の左肩、
「――っ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!!!!!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!!!!!い゛っ゛、ぅ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!!!」
痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたい!いたい、いたいいたいいたいいたいやだいたいいいやだいやだいやだ!!!!
肉が焼ける音と共に、焦げ臭い煙が一気に立ち込める。反射的に
そして声を出すのにも疲れた頃、私は他の奴隷と同じように、硬い土の上に倒れ込んでいた。
◇
日は
ここを出る前に
永遠とも思えるあの時間はとっくの前に終わっている。体力は使い切っている。
あのときに思わず
いつまでこの地獄は続くのだろう。いつになれば、この痛みは消えるのだろう。まだ思い出せてしまう日本でのあの生活が、今は心の底から恋しい。
温かいパジャマ、ふかふかの毛布、朝ごはんの味噌汁とサクサクのトースター、温かい電車の座席、暖房の効いた教室、
そんなもの、全部ここにはない。
あるのは痛みと苦しみと、希望のない現状だけ。
でも、これが今の私の全て。これが、私の現実。
「かえりたい……たすけて……」
そんな襲いかかる恐怖を前に、思わず言葉が漏れる。
だけど、今の私には、膝を抱え、ただすすり泣くことしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます