第8話 怪しげな木箱

 想定外の事態によって、ネズミの体に憑依してしまった陽日はるひの意識。暫く呆然としていたが、ようやく本来の姿に慣れてきたのだろう。おもむろにフェンスへ駆け上がると、周囲の状況を改めて確認してみた。そこから映る光景は、陽の光が陰り始めた夕暮れ時。


 校舎内からは下校を促す放送が流れ、授業を終えた生徒たちが次々と帰宅しているのが窺える。そんな中――、ぼんやり辺りを眺めていると、何やら怪しげな容器が目に飛び込んできた。それは、貯水タンクの下に置かれた道具入れのような木箱。


「ちゅぅ?」


 不思議に思った陽日はるひは、フェンスから飛び降りて箱の傍まで歩み寄る。なんとそれは、人の手で作られた小さな巣箱。一見すると、野鳥に設置されたものと思われるかもしれ知れない。しかし、小鳥が住むには大きく、水槽ほどの広さがあった。


「ちゅぅ……もしかして」


 思わず声を漏らす陽日はるひ。そこにあったものは、絨毯じゅうたんのように敷き詰められたおが屑。加えて、遊戯に使うとされた回し車。これら以外にも、パイプやかじり木といったものまで準備されていた。


「ちゅぅ! やっぱりこれって、僕の部屋じゃん。 ――じゃなくて、ネズミ小屋だったな」


 これに興味を示す陽日はるひは、幼い頃に遊んだ秘密基地でも思い浮かべているのだろう。いつの間にか回し車に足をかけ、嬉しそうに走り込む。この姿から言えるのは、動物が持ち得た特有な習性。もしくは、過去を懐かしんでの振る舞い。どちらからも捉えられるような行動をしていた……。


「ちゅぅ、こんな事をしている場合じゃなかった」


 ネズミ小屋を堪能すると、ふと我に返り本来の目的を思い出す陽日はるひ。ここで再び、一計を案じることにする。


「ちゅぅ……? そういえば智哉ともやさん言ってたよな。人懐こい小動物がいるって。それが、このネズミだとしたら……」


 未来の智哉が話していた話題。学校の屋上には、とても可愛らしい動物が住んでいたというかたらい。要は、巣箱や自身の状態から照らし合わせると、陽日はるひが転送されたネズミに間違いなさそうだ。


「ちゅぅ……つまり、この部屋を作ったのは智哉ともやさんという事になるよな?」


 事実を目の当たりにした陽日はるひは、何かに違和感を覚え思い悩む。というのも、ここまでに至る経緯というのは、日記に書かれた情報から綿密に計算されたもの。偶然にもネズミの体に憑依するなど、あまりにも考えられないからだ。


「ちゅぅ、でも……あのとき僕は、確かに智哉ともやさんといたよな。だったら、準備やデータを書き換える時間はなかったはず。なにより、転送の話を持ち掛けたのは当日だから、必然的にこの状況をつくるのは不可能。それなら、どうやって……」


 日記の内容を思い浮かべながら、原因を解明しようと試みる陽日はるひ。すると、ある一つの仮説が浮上する。それは座標のプログラムを変更したのは、未来の智哉ではないのか。こう一連の出来事を紐づけしたならば、曲がりなりにも合点がいくというもの。


 しかしながら、このような推測には矛盾した点がいくつもあり、これといった証拠もなく疑問を取り除くことは出来なかった。


「ちゅぅ! いや、もう考えるのは辞めよう」


 これ以上考えても無駄だと悟る陽日はるひは、これからの作戦を練るために思考を巡らせる。


「ちゅぅ、とにかく早く父さんを見つけないと、このままじゃまずい」


 というのも、いま陽日はるひが置かれた状況は、ネズミに意識転送した小さな体。もし、猫にでも襲われてしまえば、目的を達成する前に一巻の終わりとなる。ゆえに、自身の安全を守るためにも、早急に父親を探しだす必要があった…………。

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