第3話 祖谷

 結城は、私と美咲を薪ストーブの前に座らせると、自ら教授室の横の給湯室に行って、私たちにコーヒーを入れてくれた。美咲が結城からコーヒーを受け取るときに、少し顔を赤らめたように見えた。コーヒーを一口飲むと、美咲はバッグから紙を取り出して、結城と私に手渡した。


 「コピーをちょうど三枚持ってきたので、よかったです」


 私がその紙を見ると、こう書かれていた。


********

祖谷いや地方に残る民謡 「みたからの歌」


九里きて、九里行って、九里戻る。

朝日輝き、夕日が照らす。ない椿の根に照らす。

祖谷の谷から何がきた。

恵比寿大黒、積みや降ろした。

伊勢の御宝、積みや降ろした。

三つの宝は、庭にある。

祖谷の空から、御龍車ごりゅうしゃが三つ降る。

先なる車に、何積んだ。

恵比寿大黒、積みや降ろした、積みや降ろした。

祖谷の空から、御龍車ごりゅうしゃが三つ降る。

中なる車に、何積んだ。

伊勢の宝も、積みや降ろした、積みや降ろした。

祖谷の空から、御龍車ごりゅうしゃが三つ降る。

後なる車に、何積んだ。

諸国の宝を、積みや降ろした、積みや降ろした。

三つの宝をおし合わせ、こなたの庭へ積みや降ろした、積みや降ろした。

********


 美咲の声がした。


 「これは、徳島県の祖谷地方に伝わる不思議な民謡なんです。実は、祖谷の近くにある剣山には『契約の箱』が隠されているという都市伝説があるんです」


 私は思わず声を上げた。


 「契約の箱?」


 結城が私の顔を見ながら言った。


 「藤堂。『契約の箱』とは、モーセがシナイ山で神から授かったとされる『十戒が刻まれた石板』を入れた箱のことだよ。十戒については、旧約聖書の出エジプト記と申命記に記されている」


 美咲が後を続けた。


 「そうなんです。『契約の箱』の伝承は、古代イスラエルのソロモン王の時代にまで遡ります。ソロモン王が建てたエルサレム神殿には、ユダヤの秘宝が隠されていたとされ、その中には『契約の箱』も含まれていました。この箱の中には、モーセの十戒の石板が収められていたと伝えられています。でも、『契約の箱』はその後、行方不明になり・・・現在でも行方は分かっていません。で、実は、四国の剣山に、この『契約の箱』が埋蔵されているという伝承があるんです。特に、剣山の近くの祖谷地域では古くからこの伝承が語り継がれており、祖谷の民謡にもそのヒントが隠されていると言われています。その民謡の歌詞がこれなんです」


 美咲はそこで一旦言葉を切ると、結城の顔を見た。


 「それで、今日、お伺いしましたのは・・・結城先生に、この歌詞の謎を読み解いていただきたいんです」


 私は首をひねった。『契約の箱』なんて、本当にあるのだろうか?・・・しかも、それが日本の剣山にあるんだって?・・・そんな馬鹿な!


 私は思わず美咲に言った。


 「でも、『契約の箱』だなんて、そんなものは伝承に過ぎないのでしょう。つまり、都市伝説に過ぎないわけですよね。しかも、あのイスラエルのモーセの十戒を入れた『契約の箱』が日本の剣山にあるなんて・・・あまりにも荒唐無稽な話じゃないですか。この歌詞の謎を読み解けって言われても・・・そもそも、この歌詞には謎なんて何も無いのではありませんか?」


 すると、結城が私をなだめるように口を出した。


 「まあまあ、藤堂。頭からそう決めつけるわけにはいかないよ。この歌詞は、ボクも、今、初めて見たが・・・実に不思議な内容だね」


 私は結城の顔を見た。どこが不思議なんだろう・・・


 結城が自分が持っている紙を見ながら話を続けた。


 「藤堂。この歌詞を見てみろよ。徳島県の祖谷の民謡なのに、伊勢が出てくるんだぜ。普通、こういった民謡って、地元のことを自慢するわけだろう。ところが、祖谷の近くの地名ならいざ知らず、徳島県とは遠く離れた三重県の伊勢が出てくるんだよ。おかしいとは思わないか?」


 私は手の中の紙に眼を移した。


 なるほど、『伊勢』が二か所出てきている・・・『伊勢の御宝、積みや降ろした。』と『伊勢の宝も、積みや降ろした、積みや降ろした。』だ。


 結城が今度は美咲に言った。


 「分かりました。今日はこれから特に予定はないので・・・じっくりと、この歌詞の謎に取り組んでみることにしましょう。ついては、藤堂も美咲さんもボクに付き合って欲しいんだ。謎解きを手伝ってもらいたいんだよ」


 私は結城に言った。


 「僕は構わないが・・・」


 美咲が弾んだ声を出した。


 「私も問題はありません。結城先生と藤堂先生のお手伝いができるんでしたら、願ってもないことです」


 結城が笑いながら美咲に釘を刺した。


 「ただし、出来るだけやってみるけど・・・藤堂が言ったように、謎なんか何も無かったという結果になるかもしれないよ。それでよかったら・・・」


 美咲が首を振るように答えた。


 「もちろん、結構です。都市伝説は、やっぱり伝説に過ぎなかったってことでも一向に構いません」


 すると、結城が部屋の隅に置いてあった、折り畳み式の簡易机を二つ持ってきた。それを、私と美咲の前に広げると、ノートパソコンを教授の机の上から持ってきて、美咲の前に置いた。


 「美咲さんには、パソコンでいろいろと調べる役をやってもらいたいんだ」


 それから、結城は仕事用の自分の机に座った。私たちを見た。


 「では、さっそく謎解きを始めようか」


 そう言うと、結城は昆虫採集の獲物を前にした、いたずら小僧のような顔で笑った。

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