褒め言葉を素直に受け取れる人間は幸せである

 人間、お世辞が多くないか? と思ったことがある。いや、もしかしたら俺が多いのかもしれない。


 ともかく、俺はよくお世辞……というより褒め言葉を使う。小説の感想も、相手が求めなければ良いと思った面を探して報告する。


 それが俺のやり方だ。


 悪い面なんて簡単に浮かび上がる。人はいつだって粗探しをしているから。人の弱点をつくのが好きだから。


 しかし、良い面は意識して探さないと見つけづらい。余程のことじゃないと、誰も人の良い面なんて広めようとしないから。


 炎上とかいうネットスラングがそれを表している。


 ……閑話休題。


 ともかく、俺はよく良い面を探し、世話になったら「ありがとう」というのだが、それでもたまに理解できないものも存在する。


 この作品、評価と質が見合ってなくね?


 何が面白いの?


 下手すぎる。


 面倒くさい、嫌いなやつだな、なんて考えることがある。


 俺はそういうものと出会ったとき、何をするか。


 お世辞だ。


 小説の感想なんて最たる例だ。


 もちろん、本気で面白いと思ってポストする場合もあるが、読了報告のためにお世辞を書くことだってある。


 なぜか。理由は至って単純。


 X(旧Twitter)にはたくさんの知り合いがいるから。その人たちの伝で俺の批評が伝わることだけは避けたい。


 荒波を立てたくないから。


 もっというなら、俺程度の実力で他者・他者作を批判するのはおかしい気がするから。


 ブーメランなんて思われたくない。


 お前ごときが語るなと思われたくない。


 要するに、自己防衛。


 及び、自己肯定感が低いだけである。


 それに、その人と俺とでは価値観に違いがある。何を面白いと思うか、何を美しいと思うか、どのリズムがいいと思うか。


 俺に合わなくても不思議ではない。


 なんて、綺麗事を並べるわけだが。


 口で、文字で表すのは簡単だ。それでも、目についてしまう。おかしいと思ってしまう。そう思いながら褒める。


 気付けば、俺は人の褒め言葉を素直に受け止められなくなった。


 どうせお世辞だろ、なんて考えてしまう。


 まず疑ってしまう。


 もちろん、言われる分には嬉しいし、全てがお世辞だなんて思わない。思いたくもない。


 そんな気持ちもネガティブ思考が汚染する。


 だから俺は自小説において、賞賛よりも批判の方が安心できた。


 言われたら悲しいが、それは相手の本心だ。信頼できる。


 ……少なくとも、賞賛よりは。


 褒め言葉は信頼できないが、言われると嬉しい。批判は信頼できるが、言われると悲しい。


 実に面倒くさいやつだな、と書いていて思った。こんな考えも未来ではなくなっているのだろうか。


 もしかしたら、何かのコンテストに受賞して、小説を出せたとき、こんな考えはなくなるのかもしれない。

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未来の自分へ 西影 @Nishikage

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