Folge 9 手掛かり

 赤レンガの建物の中は明かりが乏しく、薄暗かった。妙に埃っぽい空気が漂っているところをみると、ここの清掃管理が如何に杜撰であるかが見て取れる。


 そんな中、男が一人、机やら棚やらを行ったり来たりしていた。スポーツ刈りの頭をした、しかめっ面をした中年の男だ。何か探し物をしているのか、それとも片付けものをしているに違いない。詳細は不明だ。


 彼がふと顔を上げると、普段聞き慣れない足音が聞こえてきた。いつもの仲間達や上司の雰囲気とも違う。


 誰かがこちらに向かって歩いてきていた。

 どうやら大人ではなさそうだ。

 頭に赤いリボンをつけた少女だ。

 それも、高級そうな赤い衣服を着ている。

 しかし、年端もいかない少女が、何故こんなところにいる?

 こんな巣窟みたいな都市に、未成年の遊び場なんてない。

 一体何の用だ?

 彼女はやや内股気味に歩いているし、不安そうな顔をしている。

 右左と顔を向けているところをみると、ひょっとして迷子か?


 スポーツ刈り頭の男が色々思案していると、目の前でその美少女が足元に転がっていた箱にぶつかり、急にふらつくのが視界に入った。思わず駆け寄ったが間に合わず、彼女は床に倒れ込んでしまった。


「きゃっ!」

 

 その美少女は床に横座り状態のまま、その場から動こうとしなかった。頼りなげなか細い声が、耳に大変心地良い。庇護欲をそそられてしまった男は、思わず声をかけた。


「おいおい。ここはあんたみたいな娘が来るところじゃないぜ、お嬢ちゃん」

「おじさん……だあれ?」

 

 少女は顔を上げると瞬時に顔を横へと背け、両手で覆った。


「いやぁ〜ん! 怖い顔!」

「……生まれ持ったもんは、仕方ねぇよ。ほらよ、手を貸しな」


 男は少女を助け起こそうと手を伸ばしたが、彼女は眉をひそめてうずくまったまま立とうとしなかった。


「……いったぁ〜い……!」

「……え?」

「あたし……足を痛めちゃったみたい……動けなぁい……」


 裏声だが、誰がどう聞いてもローティーンの少女の声だった。

 大きな瞳にうっすら涙を浮かべた様は、まるで無垢な妖精のようで、触ると直ぐに壊れてしまいそうである。しかし、それは退廃的な雰囲気を醸し出しており、陰のある美しさ──深淵に引きずり込もうとする、どこか抗えない危うさ──を併せ持っており、彼女を破壊したくなる衝動に駆られそうになった。


 いつもと調子が狂いかけている男に対し、少女は小さな唇を震わせつつ動かし始めた。

 

「お仕事で来ていたパパとはぐれちゃったの……あたしが悪かったんだわ。〝ここにいなさい〟と言った言いつけを守らないで猫ちゃんを追いかけていたら、ここまできちゃって。猫ちゃんは見失ってしまうし、ここはどこかも分からないし……ひっく……!」


 クッキーベージュ色のゆるふわな前髪がさらさらと小さな額にこぼれ落ちている。ぐすんと音を立てつつ下から見上げてくる、涙を潤ませた大きな海色の瞳。屈折した光が幾重にも散らばり、見事なグラデーションを伴った宝石の輝きを放ってくる。その吸い込まれてしまいそうな瞳の美しさに、男は喉元まで出かかっている〝追い返す言葉〟を瞬時に霧散され、すっかり魅入られてしまった。やや震えがちなか細い声が、更に畳み掛けてくる。


「ねぇ……おじさん。ここは一体どこなの? お願い、一人にしないで。あたし、凄く怖いの……」


 鼻にかかった声を出しつつ、少女はさり気なくスカートの裾をまくり上げた。透き通るような色白いふくらはぎを目にした男は、不幸にも背中にゾクリとした、妙に心地の良いさざ波に意識を奪われてしまいそうになった。思わずゴクリと音を立ててつばを嚥下した。


 (急に色目を使いやがって! 何という小娘だ!)


「分かった分かった! ここよりマシなところがあるから、そこでひと休みしていけ」

「あら……良いの? 嬉しい……! おじさんって、すごぉく良い人なのね。……顔は怖いけど」

「最後のは余計だ」


 その男はさっさとこの場を離れるためにも、少女の要求を敢えて飲むことにした。このままだと、自分が何をしでかすか分からなくなりそうな、そんな恐怖心が鎌首をもたげてくる。


 男は赤いワンピースを着た美少女をそっと両腕に抱えて、隣の部屋まで運ぶと、その先に見えるソファの上に下ろそうとした。その細い腰から回した腕を外そうとした途端、水気を帯びた温かい気流が自分の耳の奥をくすぐるのを感じて言葉を失った。全身の血がその耳へと一気に集まる。


「……お……おい……お嬢ちゃん……?」


 ソファに下ろされた美少女は男を下から見上げ、誘うように長いまつ毛を瞬かせる。


「おじさん。どうもありがとう。あたし、優しい人、だ~い好き! ちょっとの間だけなら、おじさんの相手をしてあげても良いわよ♡」

「……え……?」


 戸惑うあまり言葉の出ない男に、更に追い打ちをかけるかのように、美少女は突然首に両腕を絡めた。目の前に映る太い首筋にそっと舌を這わせ、耳に向かって再度ため息のような声を吹き込んだ。


「あたし、なんかおじさんのこと、好きになっちゃったみたい♡」

「はぁ!? ……いきなり何言い出すんだ!?」

「おじさんだ〜い好き♡」

「……ちょっ……ちょっと離……!!」

「……ちょっとだけよ」

「おい……よせ……何を……!?」

 

 男は身体の奥から勝手についた火が、じりじりと燃え上がってくるのを感じた。熟女好みな自分にそんな趣味・・・・・はない、ない筈なのに、抗えない欲望が下半身に集中して、おさえつけたくてもおさまらなくなっている。男はそんな己に愕然とした。

 

 下から見上げてくる海色の瞳は、ほの暗い光を反射しつつ、魅惑的な光を放っている。自分よりも明らかに小さく細い指が首筋を伝って太い唇を押さえ、そっとなで上げてくる。小さな掌によって頬を押さえ付けられた。少女の赤く艶めいた唇が近付いてきて、あと一センチメートル位で触れそうな位になる。


 その瞬間、突然男の全身の筋肉に一気に緊張が走り、硬直した。


「!!!!!!!!!!!!!!」


 一分も経たずに、痙攣を起こした男の体はソファーの上に崩れ落ちた。そのまま床にずり落ちて、ぴくりとも動かなくなる。美少女の皮を被ったクソガキの右手には、いつの間にか掌におさまるサイズの黒いスタンガンが握られており、緑の火花をバチバチと音を立てながら光っていた。

 

「誰がおっさんの相手なんか本気でするか。ばーか!」


 左手には、薄汚い紙切れが一枚握られている。どうやら、昏倒した男が内ポケットに隠し持っていたのを、素早くスったようだ。ティルはその紙切れの中身を開き、ざっと目を通すと、何事もなかったかのようにそれを元の場所へと戻した。


 (どうやら、おっさんが探しているものの手掛かりを掴むには、この部屋の先へと入り込むしかなさそうだな。地下にありそうという勘は、あながち間違ってなさそうだし……)


 美少女はスタンガンをポケットの中へと隠しつつ、無意識に舌舐めずりをした。

 

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シュヴァルツ・インパルス 蒼河颯人 @hayato_sm

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