神に遭う路地

第344話 ダメな大人の代表

 夏休みに入って一週間経ったある日。うだるような暑さの中を、俺とプロの祓い屋である恵比寿センセイは滝のような汗を流して歩いていた。


 今年の夏は宿題もほとんど無いので俺の祓い屋修行は二週間に延長され、その間はセンセイの事務所近くのホテルに部屋を取ってもらい生活していた。

 センセイの仕事が無い日は座学や基礎修行を詰め込み、仕事の入っている日はこうして一緒に出向いて経験を積む。少し緊張するものの、センセイの仕事へついて行く事自体はそんなに大変じゃない。なにせ一緒にセンセイがついている。たまに無茶振りがあるものの、身の危険は殆ど無いも同然だった。

 

 辛いのはこの暑さだ。

 センセイの事務所は都会にあるから、仕事帰りに駅から出て来た瞬間汗が噴き出し止まらなくなる。間違いなく冬や春の本修行よりも体力を消耗している。

 隣を歩くセンセイも仕事は楽勝にこなすがこの暑さはしんどいらしく、いつもは真っ直ぐ流している黒い長髪を今日は一纏めにして上へ上げていた。額から流れる汗を手で拭ったセンセイは、同じく汗だくになっている俺へ振り返った。


「あぢぃ~。マサ……帰ったら何飲む? 今から電話しとけば下の喫茶店に頼んでおけるぞ……。ご馳走してやるから何でも言え……」

 

「センセイ俺、かき氷飲みたいです……それかコーラフロート……」

 

「かき氷何味……?」

 

「イチゴ……練乳要らないっす……」


 俺の「かき氷飲みたい」に疑問を覚えないくらい暑くてたまらないらしいセンセイは、スマホを取り出すとそのまま電話を掛けた。



「おー、千晴ぅ……。かき氷作ってくれ……。練乳抜きのイチゴ味とぉ……ブルーハワイで……。あぁ? 大丈夫だって! おろし金で作れよ! いけるいける! アンタならやれるって! あ、あと下にコーラフロートとメロンクリームソーダ頼んでおいて。今? 駅! あと三〇分くらいで帰るから! じゃ!」


 

 そのセンセイの無茶振りは暑さで鈍っていた俺の頭を一瞬で冷静にした。


(そうだ……今、センセイの事務所って……秋葉先輩が働いてるんだった……!!)


 

 センセイは仕事で向かった怪しい土着信仰の村で偶然、元オカ部部長の秋葉あきば千晴ちはる先輩と知りあったらしい。

 その村での大仕事から帰ってきたセンセイが秋葉先輩の助手としての有能さを褒めていたのは聞いたものの、まさかその後に本当に雇うとは思ってもみなかった。

 今までセンセイしか居なかったあの事務所に秋葉先輩が働いているのにはまだ慣れないが、流石はオカ部の最終兵器なだけあって秋葉先輩が働き出してからというもの事務所内は整然と片付き、苦手な事務仕事から解放されたセンセイは機嫌が良いという良い尽くしだ。しかも秋葉先輩はセンセイが忙しいときには夕飯まで作ってしまうらしい。あの人本当になんでも出来るな……。

 そんな秋葉先輩に遠慮なく無茶振りをして見せたセンセイはニヤニヤと笑いながら電話を切っていた。


「……秋葉先輩……なんて言ってました……?」


「電話切る寸前まで文句言ってたぜ……。こりゃあ帰ったら何言われるかが楽しみだな……」

 

「秋葉先輩って文句とか言うんすか……」

 

「悪びれずに無理難題を吹っ掛けるとめちゃくちゃ文句言う。すっげえぞ……。声も荒げずいつまでも淡々と言ってくるんだ」


「間違いなくセンセイが悪いじゃないっすか……」



 だらだらと話している間にもセンセイの事務所の前に到着してしまった。

 一階にある喫茶店の換気扇からコーヒーの良い匂いが漂ってきているのを感じつつ、俺は緊張しながら階段を上がって行く。


(やっぱり秋葉先輩、怒ってんのかな……。そりゃそうだよな。仕事中にいきなり訳分からん無茶振りされるんだから……)


 そうは思いつつも、あの穏やかな作り笑いで話す秋葉先輩が怒る様というのは想像がつかない。後輩の前では頼りになる良い先輩を徹底している秋葉先輩は一体どうやって怒るんだろう。想像がつかないからこそ、そこら辺に湧いている適当な幽霊なんかよりキレた先輩の方が余程恐ろしかった。



「ちーす。帰ったよ~。どうだ千晴~。おろし金でかき氷作れたぁ?」



 センセイの半分煽るような言葉選びにヒヤヒヤしながら事務所内を覗き見ると、秋葉先輩は特に怒ったような様子もなく事務机でパソコンのキーボードを叩いていた。



「おかえりなさい。三〇分しかないのにおろし金でかき氷なんて作れる訳が無いでしょう? 今度ご自分でやってみては?」



 秋葉先輩はセンセイの目を見ることもせず淡々と言い放つ。そんなドライな先輩を見たのは初めてで少し驚いたが、それより驚いたのは『作れる訳が無い』と言っておいて、応接テーブルの上にはしっかりと注文したものが全て乗っていた事だった。


「おお~やるじゃん千晴!! どうやった!?」

 

「下で古いかき氷機をお借りしました。昔はかき氷も出していたとスミレさんが以前話していましたので。次このような事があったら俺の給与に無理難題手当を追加します」


「んじゃあ次は金払ってでもやってもらいたい無理難題を吹っ掛けるよ」


 センセイは満足げに笑うと荷物を置きに奥の部屋へと入っていった。

 俺も手を洗う為に事務所内へ入って行くと、秋葉先輩は先ほどのセンセイに対しての態度と打って変わっていつもの穏やかな笑みを向けて来た。


「やあ雅弘、暑い中疲れただろう? ゆっくり食べるといい」

 

「あ……ありがとうございます秋葉先輩……」


「私のときと態度違くない!?」


「先輩として望ましい態度で後輩に接するのが俺の信条でして」


 荷物を置いて戻って来たセンセイの指摘に、秋葉先輩は再び真顔で応対した。この場合、後輩に向かって笑顔を作り気を遣っているのと、なんの遠慮も無く真顔なのとどちらが秋葉先輩にとって良い事なのか俺には判断がつかなかった。


 手を洗い汗を拭いてセンセイと一緒に席へ着くと、作業をひと段落させたらしい秋葉先輩が思い出したように声をあげた。

 


「ああそうだ綾香さん、先ほど大塚さんから電話がありましたよ。近くでの仕事が済んだらこちらへ寄っていかれるそうです」

 


「げえ~! マジかよ! あのオッサンが来るとロクな事ねえもん! どうせまた仕事押し付けるつもりだろ!?」

 


「そうかもしれませんねえ。用件は特に仰っていませんでしたから。まだ時間がありそうですのでお茶菓子でも買ってきましょうか?」

 

「いいよそこらにある菓子で。あのオッサンの為に暑い中出て行くの嫌じゃん」

 

「あの……大塚さんって……センセイの……センセイっすか?」


 確かセンセイの師匠は『大塚』という名の男性であると聞いた事がある。

 俺の質問に対しセンセイはいつものように明るく笑ってみせた。


「おお、そういやマサは会った事無いね! これから来るからダメな大人の代表として頭に入れとけ」


 センセイは『ダメな大人の代表』なんて言っているが、その表情や言動からセンセイがその師匠を嫌うどころか親しみを持っている事が察せる。もし本当に嫌ってたりしたらセンセイが長く関わっている筈も無い。

 

「は……はあ。秋葉先輩はセンセイのセンセイに会った事あるんすか?」

 

「いや、何度か電話で話した事があるだけだ。実際に会うのは今日が初めてだよ」


 センセイの言動からその大塚という男性が悪い人じゃないのは解るが、師匠の師匠に初対面するとなると少し緊張してきた。

 俺はコーラフロートのアイスを沈めながら、緊張をほぐす為にセンセイへ話を振ってみた。


 

「そういえば聞いた事無かったんですけど、センセイはなんで祓い屋になったんですか?」



 実を言うと前から聞きたかった事だ。

 今やこんなに強いセンセイは幼い性分にどうやって霊感と向き合いこの道へ進んだのか。俺がガキの頃に悩んだようにセンセイも悩んだりしたんだろうか。

 次の仕事にとりかかろうとしていたらしい秋葉先輩も手を止めてセンセイの方を見ている。どうやら先輩にとっても興味深い話題らしい。

 

 俺の突然の質問にセンセイは少し意外そうな顔をした後でカラっと笑った。




「ん? ああ……。話してなかったっけ? あー……私があのオッサンに出会って祓い屋なんて職業を知ったのは、高校生に上がって間もない頃だったな」



 懐かしそうな表情で話し始めたセンセイの昔話を、俺と秋葉先輩は静かに聞き続けていた。

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