1-4 母の闘い①
コメットは眼を瞑ったレベッカに対して即座に攻撃を仕掛けなかった。
『あなた如き、目を瞑ってても勝てます』と豪語した少女だ。何かしらの勝算があることに間違いはないだろう。
「来ないなら、こちらから行きます」
その言葉と共に小さな魔力が熾るのを感じる。
地面に魔法陣が浮き上がり、そこから何かが飛び出した。
召喚術……? 出てくるものによっては、厄介かもしれない。
そう思っていたが、現れたのは豚だった。
「……豚?」
「ええ、はい。豚です」
「それで私に勝てるとでも?」
「……恐らくは」
「ナメられたものね」
豚という生物は、家畜として知られている。一方で、素手の人間に簡単に負けるほど弱い生物ではない。怪我だってさせられることもあるだろう。
魔法が使えなければ、の話だが。
召喚された豚が私目掛けて走って来ている。
それを横に躱すと、すれ違いざま脳天にナイフを差し込む。
召喚術で呼び出された生物だからだろうか、このサイズの生物を殺した実感が不思議なことに沸かなかった。だが、あれで生きてはいまい。
ただの豚如きでは、魔力で強化された肉体、動体視力では相手になることはない。
「殺しちゃったけど、よかったのかしら?」
「問題ないです。それより……早くそのナイフで私のことを倒しに来なくていいんですか? 魔法使いが近接戦闘に弱いのはご存知のはずです」
まるで、近づいてきてくださいと言わんばかりのレベッカに対して、コメットは正面からの攻撃は辞めた方がいいだろうと考えた。
彼女は魔力を熾し身体能力を強化して、目に留まらぬ速さでレベッカに接近して、正面から殴り付けようとするふりを見せた後に、瞬時に背後に回り、首筋を狙った。
レベッカは依然として前を向いたままであり、勝負は決まったかのように思えた。
だが、その攻撃は躱される。
偶然とは思えないようなタイミングでレベッカが身を屈めたのだ。
どうして、目を瞑っていて、こちらの動きを把握していないのに、動きを避けられる……!?
コメットは背後から、有効打を狙って攻撃を繰り返すが、当たることはなかった。
前を向いたままのレベッカは、ナイフを避けるためにじりじりと前進しており、そのまま壁際へと追い込まれていた。
「……あ」
コメットはチャンスを逃さずに透かさずに鋭い突きを放つ。
しかし、それもひらりとよけられる。
「あれだけの短刀さばきと身のこなしで、全く息があがらない――見事ですね」
「……馬鹿にしてるのかしら」
「いえ、やはり、戦いに慣れている人だなと思ったのです……前線を退いてから時間も経っているでしょうに。それだけ、息子さんとの訓練に付き合ってきたのですね」
コメットは困惑していた。
なぜ、攻撃が当たらないのか。
なぜ、ただの魔法使いかぶれの修道女が、ここまでの激しい刺突を、息の一つも切らすことなく避け続けることができているのか。
「……さて、次はこちらから仕掛けるとしましょう」
レベッカの内側で魔力が迸っていた。
コメットはそれを感じると共に、右手のナイフで突きをしながら、杖を構えさせないように左手を伸ばし杖を掴む。そして、そのまま奪い取った。
眼なんか瞑っているから、ナイフに気を取られてしまうのだ。
これで、決闘は終わりと思った。
しかし、コメットは気づいた。
気づいたというよりも、勘で危機を感じ取り、上へと飛んだ。
「これに気づきますか……気配は無かったはずですが」
目の前に立つ少女の言うとおり気配を感じなかった。
あれを避けられたのは経験と言う名の偶然。
自身がいた場所を先ほど倒したはずの豚が過ぎ去っていたのだ。
そして豚はそのままターンをして、こちらに再び突進をする。
どうして、倒したはずの存在が動き出しているのか。考える間もなく向かってくる豚を再起不能にするために刃を振るう。先ほどと違って、脳天をかち割るだけではなく、胴体を真っ二つに割った。
その場に倒れる豚。
「……何が起こっているのかは分からないけど、これで貴女の武器はもう無いわよ。修道女ごときが私に目を瞑ったまま勝とうだなんて、甘いのよ。これで貴女になんて、アルの大切な指を渡す必要はないわ――ッツ!」
いきなり腹部に痛みが走った。
それも立っていられない程の強烈な。
少女の魔力は感じられないし、――なにが起こったのか。
下を向けると自分の腹部に、真っ二つにした豚の下半身だけがぶつかっていた。
「――ほ、ほんとに、一体何が」
「――ごめんなさい。わたし、嘘をつきました」
「う、嘘?」
「わたし、修道女なんかじゃありません。実は、死霊術師なんです……この豚さんはここに来る前にあらかじめ契約していました」
目の前に立っている少女はそれを証明するかのように、豚の胴体を一瞬で繋げて再生させた。
「この豚さんをいくら傷つけても無駄です。こうやって、わたしの命令一つで、一瞬で再生します」
「じゃあ、気配を、感じなかったのは」
「はい。死んでいるからです」
だから、最初に脳天を貫いたときに、殺した感覚が無かったのか……。
「それに、この豚さんとわたしの視界は共有されています。だから、眼を瞑っていても貴方の攻撃は見えるわけです。死霊術師の能力の一つ、です」
「そ、そんなの……」
「ズルい、とでもお思いですか?」
そう思って何が悪い。恐らくこの少女は、ほぼ実力を出していない。目を開けば、豚の方にも自分の攻撃が丸見えになり、攻撃は簡単に通らなかったと見るべきだ。それにそもそも、レベッカが攻撃に加勢していたら……。
「でも、ですね。コメットさんの息子さん―—アル様がお勤めしていた騎士団では、そんなズルい存在と戦わなければならない時があります。それがどれだけ強大な相手であっても……」
レベッカはそして、杖を拾い上げて、ただ淡々と告げた。
「そして――戦場で負ければそこにあるのは『死』だけです」
コメットはその言葉と修道女のふりをしていた少女の強さを見て思うのだった。
――アルは、本当に死んだのかもしれない。
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