第10話



 もう日時などわからなくなるくらい過ぎたある日、真一は船の揺れが目に見えて穏やかなものになってきたのに気が付いた。


 外で、歓声が上がっている。


「目的地に着いたのか」


 閉鎖された部屋の中では、外の風景が見えない。


 ドアの隙間から漏れる白い光が、暗い部屋に鋭い切れ目を入れている。


「明るい場所なんだな」


 彼は、不思議と救われた気持ちで呟いた。


 これからの自分の運命がどうなるのかということよりも、なぜか太陽が恋しくてたまらなかった。


 明るい場所に出れば、強がっても強がっても折れそうになる自分の心も立て直せそうな気がした。


 しばらくすると強い衝撃があり、船の動きがあきらかに変わった。


 止まった。


 ――いったい、どこに。


 真一は自問した自分を笑う。どこだっていい、どこだって同じだ。

 愛する人達の希望も幸せも、自分が砕いてしまった。


 脳裏に再現されるあの時の記憶が、心の奥に突き刺さったままの後悔の斧をひどく揺らす。そして閉じかけた傷口を再び裂くような痛みを全身に送り込んだ。


 いっそ死んで自由になりたかった。


――お前だけ、逃げる気か。


 そう思うたびに父親の言葉が耳の奥に響き、真一を地獄につなぎ止める。

 彼はいつものように、目を半眼にして静かに息を繰り返す。しばらくすると外界のすべてが、白い煙の向こうで揺れている影に過ぎなくなった。


「波止だ。降りてくれ」


 声とともに開け放された扉から一杯に射しこむ光が視界をまばゆく照らし、思わず真一は抱え込んでいた膝の間に顔を埋める。

 

「着きました。降りましょう」


 貴志が寝ているのか起きているのかもわからない父親を背負う。まるで軟体動物のように、ぐにゃりと力を抜いたまま父は抵抗もせず担がれている。


「さあ、真一も」


 父親を確保していれば、真一が抵抗せずに降りてくることが貴志にはわかっているのだ。

 悔しいが、その通りだ。

 残念だが、真一には今の父親を担いで逃げる力は無い。

 運命に身を委ねるしかなかった。

 

 

 船が付いた場所。

 それはずいぶん昔に作られたと思われる陸から海に突き出た細長いコンクリートのつつみであった。


 そこが島なのか、それともどこかと地続きなのかはわからなかったが、真一はエターナルの一人に手渡された植物で作ったらしい草履をはいて、ほのかに温かいコンクリートの上に立った。

 まぶしさに慣れず、彼は目をしばたたかせる。

 ずいぶん久しぶりに見る、視界いっぱいに広がる空の青。


 船に連れてこられた時は秋だった。

 あれからずいぶんと時が経っているというのに、ここにはまだ湿った夏の風が吹いている。

 遠い所に来た。

 真一は改めて、もう戻れないことを実感していた。

 

 導かれるままに歩いて行くと波止はとに続いて茶色の土が現われた。


 久しぶりの大地の感触。長い距離を歩いていなかったため、最初こそふらついたものの踏みしめた足の下はがっちりと動かず、気を抜いてもたおれない。

 動かない、ということがこれほど心に安堵をもたらしてくれるとは。

 真一は大地に感謝した。


 ふと顔を上げると、目の前には切り立った崖があった。


「この崖の向こうに、我々の里があります」


 後ろから貴志の声がした。


 「真一、あなたとお父様は我々の恩人です。だから、この里では自由にしてください。だけど、もうあなた方を元の社会には戻すことはできません」


 貴志は真一の横に立つと、海辺に迫る山の方を指さした。


「あの山を越えた所に我々の隠れ里があります。ここら辺は、昔化学兵器が使われた場所で、エターナル討伐隊もなかなか訪れません。殲滅を目的にして犠牲を出すよりもここに封じ込めて残留薬剤で弱らせておけば、そのうち滅びるというもくろみでしょう」


 子供に対しても、貴志の口調は丁寧だ。


「彼らにとっては実験体を残しておくという意味もあるのかもしれませんが……」


 生い茂る植物の蔓を掻き分け、けっこうな勾配のある道なき道を歩くこと一時間。山の中に、ぽっかりと開けた場所が見えた。


「ここです、真一。見えますか?」


 真一の目の前に藁ぶきの家が並ぶ。その周りはすべて畑になっており、背の高い野菜の中でたくさんの人々が作業していた。


「あなた方は村人と暮らしていただきます。この里はエターナルの隠れ里のなかでは汚染が少なく比較的安全で、食べ物も豊かなほうです。だからお辛いでしょうが、安心して暮らしてください」


 安心して暮らす。


 安心して?


 安心して暮らしていたのに、お前たちが台無しにしたんじゃないか。


 真一は貴志を睨みつける。


 しかし、横に居たはずの貴志はおらず、そのかわり真一と同じくらいの子供たちが数人立っていた。







「思えば、穏やかな6年間だったよ。あんな状況にもかかわらずね」


 金色の巻き毛を持ち、黒いマントに身を包んだ美しい娘の写真を見ながら白髪の青年が呟く。


「だが、それは表向きの話だ。私の心の中ではいつも復讐の嵐が渦巻いていた」


 写真がびりびりと裂かれた。


「ただ、その嵐が何処に向けられるべきものか自分でもわからなかったのだ、あの日まで……」


 髪をかきあげ、青年は鋭い目つきで窓から外を見渡した。


「そう、あの日まで」

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エターナル 不二原光菓 @HujiwaraMika

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