第37話 おとぎ話の終わり




 前世では私という団長は、国王陛下と騎士団が全てだった。


 その頃は特別な人が必要だとも思えなかった。


 それだけ充実した日々を送っていたからだ。


 それは私が追いかけていた飲み屋の女将もわかっていたようで、私の好意を本気にはしてくれなかった。


 私が本気じゃないのがバレていたのかもしれない。


 女将はいつも私に言っていた。「私のことを本当に抱きしめたくなってからいらっしゃい」と。その意味が、今ならわかる気がする——。




「……なあ、姉さん」


 リビングで前世について考えていた私は、ふとそばにいる姉に声をかけた。

 

 すると、コの字ソファでスマホをいじっていた姉さんがこちらを向いた。


「どうしたの彩弓ちゃん」


「最近、おかしいんだ。胸の奥にずっと住み着いてるやつがいて……どうしても消せないんだ」


「彩弓ちゃんったら、ようやく自分の気持ちに気づいたのね」


「姉さんは気づいていたのか?」


「誰が見てもすぐわかるわよ……それで、どうして気持ちを消したいの? もしかしてまだ騎士団のことを……」


「騎士たちの絆を壊すような気持ちなんていらない」


「……彩弓ちゃん、もう遅いわよ」


「遅い? 何がだ?」


「あのね、彩弓ちゃん。とっくに彩弓ちゃんの争奪戦は始まっているんだから、いまさら彩弓ちゃんが我慢したところで何も変わらないわよ。あの子たちはすでに個々の道を歩いているのよ」


「個々の道……?」


「彩弓ちゃんが誰も選ばなければ、無駄に期待させるだけで誰も幸せになれないじゃない」


「だが私が一人を選んでしまったら……」


「他の子たちは、新しい目標を抱くことができるわ」


「新しい目標」


「そうよ。あなたを諦めることで、次に進むことができるの。時間はかかるかもしれないけど。だから好きな人と早く幸せになってしまいなさい」


「そんなことを言われても……」


「けど、好きな人と一緒にいることが幸せとは限らないわね」


「どういうことだ?」


「愛されるほうが幸せになれるってよく言うじゃない? だからもし彩弓ちゃんが誰かを選ぶつもりなら、誰よりも愛してくれそうな人を選ぶのもアリね」


「愛してくれる人……」


 一瞬、尚人の顔が浮かんでは消えた。


 尚人は何年でも待つと言ってくれたが……。




 ***




「おはよう、彩弓」


 通学路の住宅街を歩いていると、健に声をかけられた。最近は忙しいようで、あまり見かけなかった健だが、今日は珍しく遅い時間に遭遇した。


「おお、健。どうしたんだ? こんなところで」


「彩弓のことを待ってたんだよ。一緒に登校しようと思って」


「そうか」


「また手繋ぐ?」


「いや、もうやめておく」


「彩弓はすっかりガードが固くなったんだね」


「自分を大切にするという意味がわかったからな」


「彩弓が大人になっちゃうなんてつまらないな」


「私は最初から大人だ」


は大きな子供だろ?」


「父さん……か。懐かしいな」


「覚えてる? 団長、僕が養子になった時のこと」


「ああ、覚えているぞ。ジミールは最初、なつかない猫のようだった」


「まさか僕みたいなスラム出の人間が、貴族の養子になるなんて思わなかったから。何か裏があるんじゃないかと思ってた」


「裏とはなんだ?」


「だって団長の財布を盗んだ結果、養子になるとか……罠だと思うでしょ、ふつう。処刑されるのかと思った」


「根性を叩きなおしてやりたかったんだ。それにこの私から財布を盗るなんて、なかなかのスキルの持ち主だと思ったからだ」


「あの頃は、生きるためにそういう能力を磨くしかなかったからね」


「だが私の目に狂いはなかった」


「でも父さんと一緒に暮らした日々は楽しかったよ」


「なんだかくすぐったいな」


「父さん、ありがとう」


「………私はもう、お前の父親なんかじゃない」


「けど、僕は父さん以上に尊敬できる人に会ったことがないんだ」


「前世の話をされても、今の私はただの高校生にすぎない」


 言いながら、私はハッとする。


 ……そうか……騎士たちは、こんな気持ちなのか……?


「私は……もう父親じゃないんだ」


「そう? 僕にとっては、今も父さんは父さんだよ。誰よりも大切な人だから、誰よりも幸せになってほしいんだよ」


「そんなことを言われても……私だけ幸せになるわけには」


「違うよ。父さんが幸せになれば、みんなが幸せになるんだ。父さんはもう、前世から解放されていいんだよ。今は彩弓なんだから。だからほら——」


「なんだ」


「伊利亜のところに行っておいでよ」


「ど、どうしてあんなやつのところに……」


「伊利亜を誰かにとられてもいいの?」


「……それは」


「ねぇ、彩弓。もしも僕たちに騎士の記憶がなくて、普通に出会っていたとしたら……彩弓はどうしたい?」


「騎士の記憶がなければ、私たちはこんな風に仲良くなれなかっただろう」


「そうだね。もしかしたら、彩弓は伊利亜と出会うために、再会したのかもしれないね」


「そんなこと……」


「ねぇ父さん、思い出してよ。昔の父さんなら、何も考えずに好きな人を追いかけていたでしょ? だから今だって、何も考えなくていいんだよ」


「今はお前の父親じゃないんだ」


「だったら、僕たちも騎士じゃない。だから彩弓は自由なんだよ」


「……健」


「わかったなら、早く伊利亜のところに行っておいでよ。ほら、今もきっと女子に告白されてるよ」


 話し込むうち、いつの間にか学校の前にいた。まさか前世の息子に焚きつけられるとは思ってもみなかったが——でも、なんだか不思議と胸が高鳴っていた。


 いまさらながら、伊利亜に会いたいと思う。


 だから私は——。


「健……ありがとう」


「どういたしまして」


 いてもたってもいられなくなった私は、非常階段をのぼった。いつもあいつがいる場所なんて、ひとつしかない。それを知っている自分が自慢げに思えたのは、きっと私があいつを独り占めしたかったからだろう。


 そう確信して、私は息を切らしながら階段をのぼった。


 そして踊り場でスマホをいじっているあいつを見て、私は突進する。


 が、


「伊利亜、好きだあああああ!」


 ————ドカッ!


 気づくと、勢いあまって伊利亜に、頭突きしていた。




 ***




「……本当は彩弓のことを父親だなんて思ってもないくせに」


 校門前に立つ健に、あとから来た尚人が告げる。


 彩弓に発破をかけたまでは良かったが、そのあと寂しさに襲われて健は登校できないまま鼻を啜っていた。


「うるさいよ、尚人。言っただろ? 僕は彩弓に幸せになってもらいたいって。これで僕は悪夢から解放されるんだよ」


「なら、泣くなよ」


「尚人こそ。彩弓のことを止めなくていいの?」


「俺はもう、気持ちを告げたから。何年だって待つよ」


「尚人も負けず嫌いだね」


「健ほどじゃないよ」


「悪いけど、僕は尚人と違って次に進みたいんだよ」


「だったら俺も二番目に好きな人に方向転換しようかな」


「ええ? 二番目に好きな人とかいるの?」


「健のことだよ」


「……」


「冗談だよ」


「冗談でもやめてよ」


「彩弓を焚きつけた罪は重いからね」


「地味だけど最悪な嫌がらせだよね」




 ***




「伊利亜、目を覚ませ」


 階段の踊り場で伊利亜に頭突きをお見舞いしてしまった私は、膝に伊利亜の頭を乗せて、目覚めるのを待っていた。


 するとそのうち、眩しそうな顔をして伊利亜が目を開ける。


「なんなんだ……一体」


「すまん、ついクセで頭突きを……」


「お前はイノシシか闘牛か」


「一応人間だ。それより、私はお前に話があるんだ」


「俺は聞きたくない」


 伊利亜は起き上がると、私に背中を向けた。


 私は慌てて伊利亜の背中に問いかける。


「どうしてだ?」


「自分の気持ちに納得がいかないからだ」


「とにかく、私は言いたいから言うぞ」


「やめろ」


 振り返る伊利亜。その顔はなぜか青ざめている。


 だが私はどうしても言わずにはいられず、伊利亜に一歩ずつ近づきながら、大きな声ではっきりと告げる。


「私はお前のことが——」


「近寄ってくるな」


「好―――」


「ああ、もう黙ってくれ」


 全てを言うまでに口を塞がれた私は、これ以上もなく胸が熱くなって、とっさに離れようとしたら——伊利亜に背中を掴まれて動けなくなる。


 どこまでも深くなる口づけに動揺していると、そのうち私から離れた伊利亜が笑い始める。


「い、伊利亜……好きだと言いたかったが、やっぱりやめたほうがいいのだろうか」


「何を怖気づいてるんだ。もう遅いだろ」


「だが、伊利亜との接吻はなんだか大変だ」


「言っておくが、俺以外のやつと、こんなことをしたら——」


 伊利亜は真面目な顔で警告する。


「もっと大変なことになるからな」


「なんだか知らんが、恐ろしいな。肝に銘じておこう」


 私も負けじと真面目な顔で答えると、伊利亜はやわらかく破顔した。






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