11 いま為すべきは

 そのとき、国王レスダールの時間に少々の空きがあったのは、果たして僥倖であったのかどうか。

 ジョリスは最後まで迷った。

 どのように告げても、コルシェントとキンロップを糾弾する形になるだろう。それは彼らに、ジョリスが権力を狙っていると見られかねない。

 だが、放ってはおけない。たとえ彼がどのような誤解を受けようとも。

 一日でも早く、黒騎士の討伐を。

(いま最も重要なのはそのことだ)

 彼は心を決め、頭を垂れて王を待った。

「ジョリスか」

 レスダールは彼を認めると疲れたような声を出した。

「面を上げよ」

「はっ」

 〈白光の騎士〉はその言葉に従い、すっと顔を上げると片手を胸に当てて敬礼をした。

「挨拶は不要。余は疲れておる」

 ふう、と息を吐いて国王は豪奢な椅子の背もたれに寄りかかった。

「何の用だ。簡潔に話せ」

「では」

 余計な美辞麗句は語らず――もともと、そうしたものを発する気質はないが――彼は本題に入った。即ち、黒騎士討伐が何も進展を見せていないことを――なるべく二者を貶めないように――告げ、自分たち騎士に任せてはもらえないかというような話を短くまとめた。

「何の冗談だ、ジョリス」

 王がまず返したのはそんな言葉だった。

「コルシェント術師とキンロップ祭司長に任せておけばそれでいい。彼らは優秀だ」

 王は肩をすくめた。

「父上の時代とは変わった。余の在位中はあれらを怠けさせないつもりだが、あのふたりであれば少なくともその心配はない」

 先代の宮廷魔術師と祭司長は日々登城こそしていたものの、閣議の類に顔を出すことすら少なく、ごくたまに意見のような曖昧な発言をするくらいであった。その裏で不当に私腹を肥やし、金の力に物を言わせて偏った意見を通すようなこともあったと言う。

 レスダールは即位すると同時にその二権力者を思い切って入れ替え、キンロップとコルシェントを抜擢した。この二者は前職者たちの顔色を窺うことなく、積極的に自らの意見を先代や王らに進言していた。レスダールはそこを買ったのだ。

 実際、取り立てられた現職者たちは旺盛に仕事をしたが、レスダールの改革でも修復し切れなかったのが魔術師と神官の溝だ。優秀なふたりはことあるごとに張り合うようになっていったのである。

 それは時にナイリアールを盛り立てる形になったが、常によい方向に働くとも限らなかった。下らぬ見栄の張り合いとしか見えぬこともあった。王、宮廷魔術師、祭司長の間にはまた新たな問題、一種の緊張が生じるようになり、王はそれに疲れはじめている節があった。前王までのやり方が正しかったのではないかと――つまり、適当な権力だけを与えて怠けさせておいた方がよかったのではと――口にこそ出さなかったが、レスダール王はそんなふうに考え出していたのかもしれなかった。

「畏れながら、陛下」

 ジョリスは胸に手を当てて王への敬意を示した。

「黒騎士と呼ばれる咎人の件は、いち早い解決を必要としております。おふた方が牽制し合っていらっしゃる現状は望ましくありません」

「ずいぶんはっきりと言うのだな。珍しく、やり合ったか」

 レスダールは少し笑った。

「陛下」

 笑いごとではない、と心に浮かぶのはそのような思いだったが、口にはできなかった。

「案ずるな、ジョリス。黒騎士とやらの件はいずれ片づく」

「どうか一刻も早く」

「彼らに任せておけばよい」

「その結果が、何の進展もない現状なのです」

 感情を抑えながらジョリスは言った。

「陛下、どうか我々に……そうでなければせめて、彼らに再度のご命令を」

「しかしだな、ジョリス」

 レスダールは首を振った。

「彼らの面目も保たなくてはならん」

「畏れながら」

 ジョリスは声を震わせまいと努めた。

「民たちが怖れています。実際に被害があった周囲だけではない、国中に広まり出した噂が」

「大したことではなかろう」

 王は騎士の言を遮った。

「黒騎士などと言われたところで、子供ばかり狙うような小物だ」

「……件の人物が小物であろうと名剣士であろうと、どうでもよいことです」

 静かにジョリスは言った。

「亡くなった子供と、嘆く親と、怖れる人々がいます。これが事実であり、正すべき現実です!」

 ついに語尾が厳しくなった。王は驚いた顔を見せた。

「――申し訳ございません」

 ジョリスは声を荒らげたことに対して謝罪した。

「ですが、どうかいま一度ご一考を。子を亡くした親の嘆き、子を持つ親の、その周囲の、そして当の子供たちの怖れ、それらを一刻も早く払うべく」

「もうよい」

 息を吐いて王は手を振った。

「そちの言い分は判った。だが余はキンロップとコルシェントに託したのだ。話は彼らにするがいい」

 その答えは、結局のところ同じだった。ジョリスの訴えは王の心を動かさなかった。

『彼らは権力を競い合った結果、時に王陛下までもしのぐ力を持つ』

 サレーヒの言葉が彼の耳に蘇った。それ以上は言わぬようにと〈赤銅の騎士〉を制したジョリスだったが、それが事実に近いことは否定しきれない。だからこそ反論ができなかったのだ。

「……実質」

 ぼそりと王は呟いた。

「ナイリアンを取り仕切っているのは彼らふたりだ。余の決定は、彼らの決定に許可を出すだけのもの」

 王の選んだふたりは優秀だった。王はそのことをよく知っていた。初めの頃はレスダールも様々な会議に加わって話を聞き、意見も述べたが、ふたりの判断に間違いがないと考えるようになると、ほとんど任せきりにするようになった。

 サレーヒのほのめかしたことは、城内である程度以上の地位を持つ者であれば誰もが感じていることだ。

 王の権威や権力は昔変わらず存在するものの、祭司長と宮廷魔術師に対してそれが振るわれることはない。

 これは皮肉にも、レスダール王自身が優秀であるからこそ落ちた陥穽だった。自分より優秀な人物に理不尽な憤り――嫉妬や羨望――を抱くことなく登用し、その能力を認めているからこそ、つまらぬ意地を張らずかのふたりに全てを任せる。

 これまでは大きな問題は生じず、国はそれで回っていた。「王がお飾りになっている」などと思われるほどではなく、誰も深刻な危惧を覚えはしなかった。

 しかし、黒騎士の件に関しては。

「黒騎士騒ぎよりも、余には考えねばならぬことがある。もうしばらくしたらそちに重要な仕事を任せることになるやもしれん。つまらぬ騒ぎに気を取られず、いつものように過ごしておれ」

 それはレスダールから発せられた、退出の命だった。

 ジョリスはきゅっと唇を結ぶと、丁重に挨拶をし、礼をした。

 「重要な仕事」が何であるのか、問いかける気持ちにはなれなかった。王がこう言うからには確かに重要なのだろう。だがおそらくそれは名誉として重要なこと。〈白光の騎士〉の銘が必要な仕事なのだと推測できた。

 いま為すべきは名誉ある任ではない。たとえ不名誉をかぶり、泥にまみれて醜態をさらすようなことになろうとも、ナイリアン国に広がった黒い霧を消し去ること――。

 国王レスダールは祭司長と宮廷魔術師を賢く使っているようなことを口にするが、彼らに逆らわれたら面倒だということはよく判っている。王が最高権力者であることは間違いないのだが、もしも彼らと意見が異なれば、王はそれを押し切ってまで勅命を出すことはしないだろう。

 あのふたりの内、もし片方が突出すれば、サレーヒの言うようなことはもっとはっきり前面に見えてくるだろう。そうあってはならないとジョリスは思うが、無論と言おうか王も同様だ。レスダールとて判っている。ただそれは牽制ですらなく、警戒を越え、顔色を窺うという段階になりつつあった。

 いつ崩れるか判らない均衡。ジョリスとてこれを壊したくはない。国の上部が混乱すれば、それはナイリアン中に及んでいくのだから。

 しかし彼まで顔色を窺っていては何も進展しない。殊、黒騎士に関する出来事についてはもうこれ以上控えてはいられない。

 自分にできることは何なのか。

 この〈白光の騎士〉という立場で。

 いや――それを越えても。

『箱の封印を』

 心にかかるのは占い師の言葉。

『猶予は、あなたがお思いであるほどには存在しないのです』

 行動を促す魔術師の言葉。

(アバスターの……箱)

 ジョリス・オードナーは顔を上げた。

 その蒼玉カエリラのような青い瞳には、決意が宿った。

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