09 宮廷魔術師
まるで挑発するかのようなキンロップ祭司長の言葉に乗ったものかどうか、ジョリスは迷った。
彼は王に一度進言している。その結果が現状だ。再び進言に行くことは、王の選択に疑義を唱えることになる。
もちろん、王のやることであろうと、誤りであるのなら正されるべきだ。主君に意見するというのは時に困難なことだが、精神的な抵抗を乗り越えて苦言を呈するのは忠臣の務めでもある。
ジョリスは罰や降格を怖れて口をつぐむことなどなかったが、再度の進言がもたらすものを考えると慎重にならざるを得なかった。
彼が現状を案じる発言をすれば、宮廷魔術師や祭司長が任を果たしていないと〈白光の騎士〉が述べ立てることになる。それはサレーヒの言うような、不要な憶測を生む可能性が高かった。ジョリスが両者を貶めているという形はもとより、ジョリスに支持が集まる形も望まない。「一刻も早い解決を」という意見が支持されることは望むが、それは彼自身の功績にするためではない。
彼はサレーヒに相談することを考えた。だがサレーヒの答えは判っているようにも思う。即ち「余計なことはするな」。
(私は)
(余計だとは、思わないが)
「――ジョリス殿」
かけられた声にジョリスは足をとめた。声の主は意外な人物だった。
「コルシェント術師」
宮廷魔術師リヤン・コルシェントが、少し急ぎ足でジョリスに近づいてきた。
「祭司長のお言葉を本気に取ってはいらっしゃいませんでしょうね」
魔術師がまず言ったのはそれだった。
「あれは彼の売り言葉も同然です。ジョリス殿はお判りと思いますが……少々、気にかかりまして」
「陛下にはお時間をいただこうと思っている」
ジョリスはそう答えてから片手を上げた。
「しかし、おふた方にご迷惑をかけるつもりはない」
「何も私は、陛下に我々の批判をするな、と言いにきたのではありませんよ」
魔術師は肩をすくめた。
「先ほどはキンロップ殿の手前、あのような言い方になりました。詫びたいのです」
「詫びなど」
ジョリスは少し驚いた。
「陛下は確かに、ナイリアン国の威信にかけてという仰い方をなさいました。ですが、それを『小物一匹に大騒動など恥である』と解釈されたのは、申し上げにくいながら、祭司長殿でして」
少し声を落としてコルシェントは遠慮がちに言った。
「ご理解下さい、ジョリス殿。キンロップ殿がそうした方向性である以上、私が彼を出し抜くような真似はできないのです。私と彼は均衡を保たなくてはならない」
馬鹿らしい――とジョリスは口に出せなかった。コルシェントのこの発言には少々落胆も覚えたが、同時に、期待も生まれたからだ。
「術師殿。何故、私にそのようなことを?」
「それは」
コルシェントはますます声をひそめた。
「箱のこと」
囁くような声で魔術師は言い、ジョリスは黙った。
「ジョリス殿。あなたが過去の英雄に頼るつもりで箱の話を持ち出したとは思いません。どうして突然、アバスターの箱のことを?」
「それは」
騎士は躊躇った。ピニアの――それもほかの誰かの――あの言葉について、彼は先ほど何も話さなかった。もちろん忘れたのでもなければ、もったいをつけたのでもない。
ただ、不思議な感覚があったのだ。
あれは彼にだけ伝えられた言葉だ、というような。
「いえ、詮索はいたしますまい」
魔術師は何か感じ取ったか、引いた。
「どのような事情があるのだとしても、〈白光の騎士〉の行いはナイリアンのためになるものと信じております」
それは有難く、同時に重い信頼だった。ジョリスはただ、感謝の仕草をした。
「ですから私はあなたに協力をしたい」
コルシェントは顔を上げ、真剣な表情で騎士に目を合わせた。
「箱に関わる
「術師」
またしてもジョリスは驚かされた。魔術師は何か知っているのか。いや、ピニアの言葉を知るはずもない。では、その不思議な力で何か見て取るようなことでもあるのか、と。
「ジョリス・オードナー殿」
静かにコルシェントは彼を呼んだ。
「黒騎士の狼藉、私も大いに気にかけているのです。宮廷魔術師などという座が疎ましく思うことさえある。ただの一魔術師であったなら、もっと自由に動くこともできるであろうにと」
ふう、とコルシェントは嘆息をした。
「ですが、この座にあるからこそできることもある。それはたとえば、こうしてあなたと箱について話すこと」
「アバスターの箱」
ジョリスもまた、声を抑えて言った。
「宝物庫に収められており、半年に一度の清掃のときにだけ厳重な警備のもとで外に出される」
「ええ、そうですね。仮に封印がされていなかったとしても、されているようなものです」
少し冗談めかしたように魔術師は肩をすくめた。
「……それが?」
そして首をかしげる。
「いや」
ジョリスは呟くように答えた。
「そう、封じられて、いるのだったな」
「ええ」
それは秘密でも何でもないが、あまり語られることでもない。ジョリスが失念していたところで不思議ではないだろう。
だが先に箱の話を出したのはコルシェントではない。ジョリスだ。
「しかし中身どころか箱を……そうですね、たとえば見るだけのことだって難しい。〈白光の騎士〉殿でもです」
ゆっくりとコルシェントは、ジョリスの様子を見ながら言った。
「無論だ」
コルシェントは何を言おうとしているのか。ジョリスは見極めようと、相槌だけを打った。
「警戒しておいでですか」
魔術師は少し困ったように言った。
「よろしい。では腹を割って申し上げましょう。私は魔術師として、ピニア殿の読んだ星のことが大いに気にかかります」
「三十年前と同じ形、という点か」
「ええ。かつての裏切りの騎士と現在の黒騎士……貴殿もピニア殿もはっきりとは仰らなかったが、キンロップ殿が皮肉めいて口にしたように、此度の出来事はヴィレドーンの、三十年前の再来とお考えなのではありませんか」
「再来、という言い方には幾通りかの解釈があるようだ」
ジョリスは肩をすくめた。
「符号のよく似通った人物または出来事をして言うこともできよう」
「そしてもちろん、ヴィレドーンその人が再び来襲すると言う場合にも」
「術師」
ジョリスは顔をしかめた。
「そうしたことを口にすべきではないと説くのは貴殿らではなかったか」
「言霊のことですね。ジョリス殿はよくご存知だ」
コルシェントは驚いたようだった。
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