第29話 その背中は遠くされど眩い

 ユナイテッド対川崎の試合は、点の取り合いとなった。先制の口火を切ったのは、川崎。


 川崎は試合開始早々、仕掛けてきたのである。ボールホルダーに対し、積極的にプレスを掛けることで、ユナイテッドの選手達にプレッシャーを与え続けた。


 執拗なプレスに辟易した、ユナイテッドのプレイヤーは前線にロングボールを蹴り込むも、これを川崎に回収されてしまう。


 ボールを持った川崎は、サイドから一気に崩しに掛かかると、サイドバックが振り切られ、あっという間にゴール前まで辿り着かれてしまう。


 焦ったユナイテッドのキーパーは、直接阻止しようと前に出るが、これを川崎の選手が冷静にかわし、最後は、無人のゴールにボールを流し込まれた。


「今のゴール、正明さんだったら、止められたのに…」


 呆気なく、ゴール奪われてしまった事に対して、俺は思わずそう呟く。


 美鈴の兄こと、本郷正明さんは、現在ベルギーで武者修行中だ。


 高校卒業後、ユナイテッドからプロ契約を見事勝ち取った正明さんは、複数のJ2チームへと貸し出される事になる。


 正明さんはそこでめげずに、J1昇格を後押しする活躍を披露するなど、着実に力を付け、ユナイテッドに戻って来た時には、誰もが頼れる守護神へと成長していた。


 そして昨年、兄貴と共に臨んだオリンピック。ユナイテッドの正GKとして培った、その自慢のセーブ力で、五輪チームのピンチを幾度と無く救い、日本の銅メダル獲得に大きく貢献した。


 その時の活躍が認められ、正明さんは昨シーズンの途中から、イタリアの強豪クラブへと移籍することになる。


 しかし、直ぐにはイタリアの就労ビザが下りなかった為、今はベルギー1部のチームへとレンタル移籍中という訳だ。


 俺は美鈴の前だというのに、正明さんの名前を出してしまうなんて、失言だったと気づき、慌てて謝る。


「あっ。ごめん!」


「ううん、良いの。前も言ったけど、今は平気。そもそも、そんなに気にしてたら、今日の試合も観に来なかったし。寧ろ、気を遣われる方が複雑かな」


「そっか、それもそうだな。悪い、細かいところまで気回せなくて」


「もー、謝らなくっていいってばー!その気持ちだけで、充分だよ!」


「そういうもん?」


「そういうもの、なんですー」


 美鈴が大丈夫そうなら、良かった。


 俺は気持ちを切り替え、再度視線をフィールドに移す。ピッチ上では、今まさに、兄貴が攻撃の指揮タクトを振るおうとしているところだった。


 味方選手のポジショニングだけでなく、相手選手のポジショニングまで思うがまま、自由自在にフィールドの全てを操る。


 正に、ピッチ上の指揮者コンダクターという名に相応しい、ゲームメイクだ。


 兄貴の手によって、川崎の選手間の距離は狂わされ、徐々に陣形が崩壊していく。フィールドには、混和カオスが生み出された。


 その混和カオスから一歩抜け出したのは、ユナイテッド。


 兄貴が縦パス一本で川崎陣地を切り裂くと、味方選手が完璧なタイミングで飛び出し、トラップしてシュート。


 ボールはそのまま、川崎ゴールへと突き刺さり、これで同点。その後、ユナイテッドは攻撃の手を一切緩めず、コーナキックを獲得する。


 兄貴がふわりと浮かせた、絶妙なボールを中へ送りこむと、ユナイテッドの長身センターバックが頭で合わせ、勝ち越しに成功した。


 しかしその後、ハーフタイムを挟んで、川崎がFWの選手を入れ換えると、これが見事に的中。


 ほとんどデータが無い上に、頻繁に嫌な所に顔を出す為、ユナイテッドの連携に乱れが生じる。


 交代選手にいいように翻弄された、守備陣は一瞬、相手エースへの警戒が甘くなる。


 その一瞬の隙を見逃さなかった、川崎のエースはマークを掻い潜り、DFの裏を取って抜け出した。


 交代選手が中継役となって、エースにボールを託すと、川崎のエースがその期待に応える。


 ペナルティエリア手前、右斜め45度まで侵入すると、そこから見事なコントロールシュートを放つ。


 シュートは完璧に枠を捉え、キーパーの手の届かないファーサイドへ、吸い込まれる様に決まった。敵ながら褒めるしかない、実に鮮やかなゴールだった。


 この同点ゴールを機に、川崎が暫くの間ゲームを支配することになる。


 一方、追いつかれたユナイテッドは、虎視眈々とその機会を窺っていた。


 試合終盤、川崎の選手達が攻め疲れた頃を見計らい、ボールを奪取すると、すかさずカウンターを発動。


 手薄だった、川崎陣内はGKが前に出て止めるしかなく、ユナイテッドのFWと接触。これがファウルと見做され、PK判定になる。


 獲得したPKを兄貴が、冷静にキーパーの反対側へときっちり決める。このリードを守りきって、最終スコア3-2でユナイテッドは勝利を収めた。


 兄貴はこの試合、1ゴール2アシストと大車輪の活躍。これで、アシストランキングでは単独トップ、得点ランキングでも3位につけた。


 試合後、スタジアム全体を見回せるフィールド中央、兄貴は、インタビュアーからマイクを受け取り、こう喋り出す。


「今日はこの場をお借りして、サポーターの皆さんにご報告したいことがあります」


 やっぱり、そうか…。重大発表って、そういうことだろ?遂に行くんだな、兄貴。


 この時が来たかと、項垂れる一部のUTサポーター達。一方で、意味がよく分かっていない人達もいた。先程の女性ファン達が良い例だ。


「なになに?報告って、一体なんなのよー!」


「まさか、結婚⁈」


「嘘でしょ!もう、仕事行く気失せるー!」


 ある意味、結婚よりショックかもな。


「ユナイテッドのユースで育った、僕にとって、このチームはもう一つの家族のようなものです。これまでの3年間は、非常に得難い経験となりました。今年の7月を以て、僕はこのチームを去り、活躍の場をイングランド・プレミアリーグへと移します!」


「「「うぉぉー!」」」


 スタジアムから歓声と悲鳴が上がる。


 プレミアリーグは、巨額の資金が注ぎ込まれ、各国のスター選手達が名を連ねる、今世界で最も熱いと言われるリーグの1つだ。


 その特徴は、スピードとフィジカルを重要視する傾向にある。疾走感溢れるダイナミックなプレーと、強靭なフィジカルによる見応えある肉弾戦が売りだ。


 兄貴のプレースタイル的には、スペイン・ラリーガの方が合っていると個人的には思っていたんだが、まさかプレミアを選択するとは。


 兄貴の技術は超一流だ、世界にも通用する。そこは疑い様がない。けど、フィジカルは別だ。


 どこか線が細く、華奢に見えるその身体が、プレミアの怪物達を相手に潰されないか、それだけが心配だった。


 だけどその心配は、続けて明かされたクラブ名に、鈍器で頭を殴られたかの様な衝撃を受け、消え去ってしまう。


「声を掛けてくれたクラブは、マンチェスター・C」


 その名に、スタジアムからどよめきが起こる。


 稀代の名将ビジョップ・ルークディアスに率いられたそのチームは、欧州ヨーロッパ最高峰の舞台チャンピオンズ・リーグを制し、現在世界最強のクラブとして君臨している。


 そんなチームが、兄貴に声を掛けた?


「本当は、今シーズンが始まる前には、話が纏まっていたのですが、クラブには無理を言って、このタイミングまで待って貰いました。この国立競技場で、今日来てくださった沢山のファンの方々に、直接お話ししたいと考えたからです」


「シーズン途中でチームを離れる事は、心苦しいですが、世界最高峰の舞台で、最高の選手達を相手に、ユナイテッドの一員として、恥じぬ闘いをお見せする事を約束します。そしていつか、日本をいえ、世界を代表する選手となって、ここに戻ってきます。これからも、天内海斗というフットボーラーを、どうか応援よろしくお願いします。ご清聴ありがとうございました!」


 ユナイテッドのサポーターだけでなく、川崎のサポーターからも、声援が贈られる。


「そんな事言われたら、素直に応援するしかないじゃない!」


「絶対観に行く!お金貯めて、イギリスまで行くから、待っててね、海斗くん!」


 海外挑戦にショックを受けて黙ったままだった、女性ファン達も、兄貴の言葉で元気を取り戻し、思い思いの言葉を口に出す。 


 そんな中、俺は素直に兄貴を祝福できなかった。今更、嫉妬心が芽生えたとか、そう言う訳じゃない。


 ただ、その背中が余りにも、遠いと感じてしまったからだ。


 兄貴はずっと、俺の目標だった。俺の目の前で、常に道を示し続けてくれる存在だった。


 それが、俺の視界から急に消え去り、遥か遠い山の頂へと、飛び立ってしまった様な感覚に陥った。


 世界最強のクラブが、兄貴の才能を認めた事は素直に嬉しい。流石、自慢の兄貴だと誇らしくなる。


 だけど、今の俺と兄貴の間を隔てる、その距離に愕然としてしまう。


「俺は、本当に兄貴に追いつけるのか…?」


 気付いたら、弱気な本音が口から漏れていた。


 それを聞いた美鈴は、俺の顔を両手で挟み、目を合わせてこう言った。


「大丈夫。テルなら大丈夫だよ。だって、最後には全部成し遂げてるじゃない」


「美鈴……」


「海斗さんが、何処に行こうと関係ない。隣に並びたいっていう気持ちは、変わらないんでしょ?だったら、テルはテルのやるべき事をすれば良い。自分がこうするって決めた事は必ずやり遂げるのが、私の知ってる天内照人だよ。その為の協力なら、私惜しまないから。だから、一緒に頑張ろう、ね?」


「ごめん。つい、弱気になってた。ありがとう」


 本当、美鈴には敵わないな。欲しい言葉を、全部かけてくれる。その内、離れられなくなっているのは、俺の方かもしれない。


「ふふっ、いつものテルに戻ったね。これは、貸しにしておこっかなー」


「大きい借りが、できちまったなー。でも、必ず返すよ」


 だから、美鈴。俺が君に、相応しいと思える男になったら、この気持ちを伝えるよ。


 それまで、待っててくれるか?

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ラブコメと少女漫画は共存可能なんですか⁈ 成瀬 @virutuoso19

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