幕間

未来の翼

葵SIDE


 小さい頃の俺は、人見知りだった。

いや、今でも、根っこの部分は変わってないかもしれない。新しく知り合った人と、仲良くなるのは苦手だから。


 それでも、臆病というか、昔より他人の目を気にしなくなったのは確かだ。きっかけは、あの日。


 親父の仕事の都合で、スペインに移り住んだ俺たち家族。唯でさえ、人見知りな上に、言葉の分からない、初めての海外は怖くてしょうがなかった。


 何をするにも怯えてばかりで、スクールに通うのも一苦労だった。そんな俺を見兼ねた親父は、ある時スタジアムへ連れ出した。バルセロナのホームスタジアム、カンプ・ノウだ。


 この日は、宿敵レアル・マドリードとの伝統の一戦、エル・クラシコだった。


 街中かお祭り騒ぎ。スタジアムは人で埋め尽くされ、試合前から興奮している様子の人も数多くいた。

 

 あちこちで、両サポーターによる喧嘩も起こっていて、とにかく怖かったのを覚えている。


 今にしてみれば、親父が臆病な俺を、あんな所に連れて行ったのは、正気の沙汰とは思えない。荒療治にも程がある。


 だけど、そんな事は試合が始まってしまえば、直ぐにどうでも良くなった。


 ピッチの上で披露されるは、世界のトップ・プレイヤー達による、力・技・精神の削り合い。その一挙手一投足に、俺たち観客は否応なく魅了される。


 スタジアムは、興奮と熱狂、感動と絶望、感情の渦に飲み込まれる。自分が泣いているのか、笑っているのか、それすらも分からない。


 そんな、他人の感情が入り乱れる場所に、本来ビビりな筈な俺は、どうしようもなく惹かれた。俺の魂がこれだと叫んでいた。


 俺は、この場所に立ちたい。いや、そうじゃない、立つんだと決めた。


「俺、今度はあのフィールドから、この景色を観る」

 

 口に出すつもりはなかったけど、本音が溢れた。


「できるよ、葵ならできる」


 それを聞いた親父は、笑うでもなく、励ますのでもなく、ごく普通に、当たり前のようにそう言ってくれた。俺はそれが、唯々嬉しかった。


 すぐに、町のクラブチームに入った俺は、メキメキと頭角を表すようになる。その噂は一つの町を飛び越え、やがて、あの日夢見たバルサに届いた。


 バルサの下部組織にスカウトされた俺は当初、レベルの高さに圧倒された。だけど、同時にワクワクしたんだ。


 此処にいるのは、未来のトップ・プレイヤーの雛達。自分がどれだけ成長できるのか、楽しみで仕方なかった。


 最初は、アジア人というだけで、俺のことを懐疑的に見てくる奴も多かった。俺はそんなことは気にせず、スポンジが水を吸うが如く、周りの人間の技術を吸収していった。


 そうしているうちに、本当の意味でチームメイトとして認められ、中心選手として試合でも活躍するようになった。


 このまま、バルセロナでずっとやっていくつもりだったけど、また親父の転勤が決まってしまう。今度は、日本に出戻りだ。少なくとも、中学の間は向こうで過ごさなきゃいけないらしい。

 

 俺は1人でもこっちに残ると言ったけれど、両親に猛反対された。それでも、俺も意思を曲げるつもりはなかった。


 結局、日本へは一緒に帰る事になったが、高校に上がる段階でスペインに戻っても良いという話にまとまった。


 俺は日本のサッカーは、あまり詳しくない。そこで、日本へ戻る前にどの程度のレベルか把握するため、Jリーグの試合を観ることにした。


 相手は何処かだったか忘れたけど、ユナイテッドの試合を観たのは覚えている。何故なら、俺はこの試合を観て、日本でサッカーを続けるなら、ここしか無いと思ったからだ。それくらいの衝撃を受けた。

 

 特に、俺は1人の選手に目を奪われた。それまでも、ユナイテッドはチームとして良く纏っている印象だったが、その人が入った途端に全く別のチームに変貌した。


 「天内海斗」選手、あの人は本物だ。正直、なんでこんな人が日本で、しかも、控えに甘んじているのか意味が分からない。スタメンで出場していた選手が悪かった訳じゃない。寧ろ、良い選手だなと思った程だ。


 だけど、海斗選手と比べてしまうと霞んでしまう。技術・視野・頭脳、凡そ司令塔として必要な資質を全て兼ね備え、そのどれもが一級品だ。


 極め付けは、芸術的なフリーキック。この人を相手にフリーキックを与えてしまっては、1点は覚悟しておかなければならない。理不尽なキック精度だ。


 世界中のビッグクラブが、喉から手が出る程欲しがる才能の持ち主。経験を積めば、いずれ、世界のトップ・オブ・トップに肩を並べるだろう。


 日本の事を軽く見ていた事を、反省せざるを得ない。


 日本に戻った俺は、早速、ユナイテッドのセレクションに申し込んだ。その後、簡単なテストを受け、無事合格。スペインで技術を磨いていたとはいえ、少し拍子抜けだった。

 

 そうして入ったユナイテッドには、海斗選手の弟がいた。一つ歳上の先輩で、いったいどんなプレーをするのだろうと俺はワクワクした。


 だけど、俺の期待は裏切られた。同年代では、充分優秀と言えるだろう。だけど、それ以上でもそれ以下でもない。これなら、バルサの元チームメイト達の方が上だ。


 中学生でも、相当な活躍をすれば、トップチームの練習に参加できると聞いた。


 だから、俺は海斗選手に会いたい一心で、自分の技術を見せ付けるようにプレーした。そのせいで、周りの反感を買っているのは気付いていたけど、どうでも良かった。


 そんな日本での、サッカーライフが変わったのは、クラブ選手権の決勝。


 この日の天内さんはずば抜けていた。天内さんだけじゃ無い、チーム全員が凄まじい集中力だった。それは、相手チームも同じだった。


 俺はタイトルにも、対戦相手にも興味なかったけど、全員の気迫に押されるように、どんどん試合にのめり込んでいった。


 味方を良く観察すれば、俺が加入した当初よりも格段に上達している。短期間で、チームメイトがこんなに成長していた事に驚きを隠せなかった。如何に、自分が他人に興味が無かったか思い知らされた。


 最後は、俺と天内さんで試合を決め、他のチームメイトにも祝福された。日本に来て初めて、サッカーが楽しいと思えた瞬間だった。


 しかし、そんな楽しい時間も長くは続かない。同学年のチームメイトから、僻みを受けるようになってしまったのだ。


 だが、俺は誰にも相談せず、放置してしまう。今は無理でも、いつかこいつらとも分かり合える筈だと考えたからだ。


 でも、それは間違いだった。よりにもよって、天内さんを巻き込んでしまうなんて…


 お見舞いに行った俺は、唯々、申し訳なさで一杯で、何を喋ったら良いのか分からなかった。サッカーを続ける資格なんて、自分には無いと思った。


 だけど、天内さんはそんな俺の心情を見透かすように声を掛けてくれる。俺のファンだと言われた時は、涙が出そうになった。


「ユナイテッドのこと、頼んだぜ、葵!」


 何があっても、サッカーを続けろと言われた気がした。謝りに来たつもりが、逆に励まされた。だから、俺はこの人に誓う。


「俺が、ユナイテッドを世界にも負けないビッグクラブにしてみせます!」


 病室から出ると、兄の海斗選手が待っていた。


「本当はね。被害者の君も含め、この件に関わった奴は、全員許すつもりなかったんだ」


 当然だろう。天内兄弟は自他共に認める仲の良さだ。大事な弟を傷つけられて、黙っていられる筈がない。


「だけど、テルがあんな事言うなんてね。これじゃあ、俺が文句言うの格好悪いだろう?」


 どうやら、俺たちの会話を聞いていたらしい。


「俺も、そんなにがない。教えられる事は、全部叩き込んであげるから、早く上に上がっておいで」


 それだけ言うと、海斗選手は病室に入っていく。


「はい!」


 俺は返事をして、その背中に頭を下げた。時間が無いとは、どう意味だろうか。海外移籍とかか?


 何れにせよ、やる事は変わらない。早く、トップチームに上がって、あの人から全て学ぶんだ。


 そして、さんが戻ってくるまでの間、俺がユナイテッドを支えるんだ!

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