第26話 あのお嬢様
今日は、相談を受けた「引きこもってしまった娘」のところに訪問する日だ。
訪問先には、一際大きな屋敷が待ち構えていた。
流石に公爵家の屋敷ほどの大きさではないけれど、この辺りを治めている人の屋敷なだけあって、街の中では一番大きな屋敷になっている。
屋敷の扉の前には、既に執事が待機していた。
「リディア様ですね」
「はい」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
彼の容姿はどこかで見たことがある気がして……。
どこで見たのか、記憶を探っていく。そういえば、別の人と一緒にセットで見たような気がするんだけど……。
『ほら、お嬢様。こんなマウントして恥ずかしいですよ。早く帰りましょう』
『ちょ、何よ!』
男性に引きずられて帰っていくお嬢様の姿がフラッシュバックする。
「あぁ!」
「どうしたんですか?」
「もしかして、時々、風呂カフェ前に来ていたお嬢様様の……?」
思い出したのは、私の店の前に来ては「婚約者に捨てられた可哀想な女」だとしてマウントを取ってきたお嬢様である。そして、毎回必ず、彼女を回収していく執事がいた。
記憶と目の前を歩く彼は完全一致している。
私が聞くと、彼は気まずそうに頷いた。
「はい。あの時のお嬢様の執事です。度々、うちのお嬢様がすみませんでした」
「いえ、そんな」
……ということは、あのお嬢様の話し相手をしなければならないということよね?
マウントを取ったりと、少なからず敵意を向けてきた相手だし、あのお嬢様の話し相手なんて、私に務まるかしら。
ある意味、極度に心配していたルークの嫌な予感は的中していたわけね……。
「それにしても、少し前まで風呂カフェの前に来るくらい元気でしたよね? どうしたんですか?」
「急に部屋に引き篭もるようになってしまったので、原因が分からないんです。誰が説得しても部屋から出ようとはせず、頑なな態度でして……。ただ、部屋の前に食事を置いておくと、空になって返ってくるので、少なくともお食事はされているんですが」
「そうなんですね」
「出来れば、お嬢様には部屋から出てきてもらいたいと思ってるんですけどね……」
彼の言葉から察するに、お嬢様の引きこもりに相当参っているようだった。曰く、幼少期から活発なお嬢様がこうなったことは一度もなかったらしい。
だからこそ、藁にもすがる思いで私に話を持ちかけたのだろう。
「こちらがお嬢様……エレン様の部屋です」
話しているうちに、目的の部屋にたどり着いたらしい。
「部屋から出て来ようとしないので、外から話しかけて下さると嬉しいです」
「分かりました」
私は頷いて、さっそく部屋をノックした。
「……誰?」
「初めまして……ではないわね。風呂カフェを経営してるリディアよ」
「リディア? リディアって言ったのかしら? あの風呂カフェの?」
「ええ、そうよ。今日はあなたのお父様に頼まれて、話し相手になりに来たわ」
私がそう伝えると、扉の向こう側から、ガンっと何かが投げつけられる音がした。
「帰ってちょうだい! あなたみたいな可哀想な女に同情されるなんて、絶対に嫌よ!」
「それでも……」
「帰って! あなたに話すことなんてないわ」
「エレンさん」
その後、私が何度呼びかけても、一切無視だった。
前にマウントを取ってきた時よりもずっと攻撃的に感じる。
彼女のお父様は「解決してほしい」と言っていた。だから、私と話すことで彼女が外に出てきて欲しいと思ってるはずだ。
でも、現状は、話すらさせてもらえない状況である。
どうしたものかと考えてみる。うーーーん。
専門的なカウンセラーの知識なんて持ってないから、彼女を外に呼び出す案として、物や食べ物で釣るくらいしか思い浮かばないな。
女の子が喜ぶのは甘いものとか? 前世で落ち込んだ時は、近くのレトロなお風呂屋カフェでメロンソーダを頼むのが好きだったな〜。レトロカフェがエモいってテレビでも取材されるくらい有名な店だったのよね。
ソーダと言えば、炭酸風呂を試してみたいのよね。でも、炭酸風呂って重曹を使わなくちゃいけないから、これが手に入らないのよね〜。是非とも炭酸風呂やりたいんだけど……じゃなかった。
ついついお風呂の方に思考が傾いてしまった。今は、目の前の問題をどうするかだ。
でも、お風呂が私の思考の大部分を占めていて、尚且つ一番の得意分野なのよね……。
それなら、得意分野で勝負をするしかないわね。
「エレンさん。答えなくていいわ。ただ聞いてちょうだい。まずは……」
「……」
「お風呂の歴史について」
私の言葉に、「は?」と言ったのは、その場にいた執事さんである。彼は訳が分からないとでと言いたげな表情だ。
私は執事さんの表情は気にせず、すぐに口を開いた。
「お風呂の起源って、紀元前4000年まで遡ることができて、その頃に体を清める目的の浴場ができたの。本格的なお風呂ができたのは紀元前2000年頃ね。古代ギリシャでは誰でも利用できる公衆浴場があったそうね。
古代ローマでは最初は混浴が採用されて大衆娯楽として浸透していったんだけど、段々と男女の出会いの場だったり売春の場だったりになってしまって、これを禁止したのが……」
こんな調子で、ほんの
「じゃあ、私は帰るわね。明日も話に来るわ。テーマは、お風呂の効能についてにするわ。じゃあね」
執事さんが「嘘だろ」という顔をしていたけど、気にしない。
それから、私はほとんど毎日彼女の部屋の前に通って、毎日お風呂のことを聞かせ続けた。
そうして改装工事終了が近づいてきた頃。
「今日は、季節湯について語るわね。季節湯って言うのは……」
「もうううううううるるるるるさいのよおおおおおお」
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