交換条件 (OL(二十五歳) @会社の倉庫 (その2))
車は最短コースで倉庫に到着した。
クソオヤジはキビキビと車を降り、入口に向かう。
再び誰かに電話をし、聞き取った番号を入口の液晶画面に入力して鍵を開ける。
何度か来たことはあるが、コンクリート打ちっぱなしのひんやりと冷気漂う広い倉庫は車の中とは違う恐怖感があった。
ここで押し倒されたら逃げられるだろうか。
「Dの960だったな?」
「はい。そうです」
クソオヤジは慣れた足取りで倉庫の奥へ向かう。
Dのラインに入ると指を差しながら品番を確認していく。
「あったぞ。いくつ要るんだ?」
「二十五です」
二十五な。
クソオヤジは棚に据え付けられた伝票をめくり、在庫と発送予定数を確認する。
私はドキドキしながらそれを見守った。
月曜日の発送予定数に私が回し損ねた受注数を追加した数がここにある在庫数を超えていたら配送できない。
「大丈夫だ。足りる」
「やった」
私は思わず胸元で拳を握り締めてしまった。
「まだやってない」
冷ややかな視線のクソオヤジはつかつかと歩いて私の横を通り過ぎていく。「数が足りていても配送業者に今日出荷できていない以上、次の出荷は月曜だ。それじゃ、先方への到着は水曜になっちまう」
「はい」
その通りだ。
「八木ちゃんって準中型運転できる免許持ってる?」
「……すいません。持ってません」
私は首を横に振った。
私が持っているのは普通免許のしかもオートマ限定だ。
「そっか。そうだろうな」
クソオヤジは倉庫内の小部屋に入り、壁に掛かっている車の鍵を持ち出した。
そして倉庫の電動シャッターを巻き上げ、一台のトラックをシャッター付近にバックで寄せる。
トラックから飛び降りると、次は台車を転がして棚の前に立った。「休日に倉庫を開けた履歴が残るのは倉庫担当が管理面で嫌がるから、今日中に商品をトラックに積み込む。それで明日俺がトラックで配送する。先方は明日も営業してるから誰かは受け取ってくれる。月曜日までに届くんだから文句は言われないだろう。これで配送は完了だ。どう?」
「明日、配送していただけるんですか?」
「配送業者との契約上、土日は取りに来てくれないから、間に合わせるには配送業者を使わずに届けるしかない。ここに一台しかないあのトラックは倉庫から倉庫への運搬用であって配送用じゃないから、営業日には使えない。倉庫担当の辻ちゃんには仁義を切ってあって、トラックなら土曜日に使ってもいいって了解をもらってる。俺ならトラックを運転できる。これしか方法はないと思うけど?」
全てクソオヤジの言うとおりだ。私は頷くしかなかった。
「すいません。私のために休日勤務になってしまって。私も付き合います」
「別について来なくていいよ。あそことは古い付き合いだから俺も知り合いはいるし、何も問題ない。子どもの遣いみたいなもんだ」
「でも……」
「そんなことより、ちゃんと聞かせてくれよ」
「え?」
全身を怖気が走った。何か悪い予感がする。「何をですか?」
「俺はまだ八木ちゃんから何も頼まれていない。ここに来たのは単なる俺のおせっかいってことだ。だが、ここから先、頼まれてもいないのに、こんだけの商品を荷積みし、休みの日に残業手当のつけられない仕事をするほど俺もお人よしじゃない」
クソオヤジは腕組みをし、見下すような目で薄笑いを浮かべる。
「お願いします。私のミスをカバーしてください」
私はこれでもかというぐらいに頭を下げた。
ここまでは人として必要な礼儀だ。「お休みの日に作業していただく分のお礼も支払わせていただきます」
お金の話も切り出した。
タダで動かすのは、こちらも心苦しい。
それに、お金で済むなら、それに越したことはない。
お金で済むなら……。
「ふーん。お礼って?」
私は上体を起こして、改めてクソオヤジと対峙した。
「三万円でいかがでしょう?」
ドンと大目に言ってみた。
三万円の出費は痛いが、ギリギリと価格交渉するのも馬鹿馬鹿しい。
「悪いけどさ……。俺、お金は有り余るぐらい持ってるんだわ。もっと違うお礼がほしいな」
クソオヤジのまとわりつくような視線に吐き気がした。
お金では動かないなら何を……。
そう考えた先にあるものは一つだ。
改めて訊くほど私も子どもではない。
しかし、私の体をあいつの手が這うことを想像しただけで、脳がシャットアウトした。
それ以上はイメージすることさえ受け付けられない。
「できません」
「そっか。じゃあこの話はなかったってことで」
クソオヤジは私の足元に鍵を放り投げ、出口に向かって歩いて行った。
地面に落ちた鍵がシャランと音を立てる。「全部元通りにしといてね」
つまり、トラックを元通りに移動させ、電動シャッターを下ろし、倉庫を戸締りして帰れと。
そんなの無理だ。
電動シャッターは動かせるだろうが、トラックには乗れないし、戸締りの仕方も分からない。
そして、ミスはミスとして残ったまま。
「困ります」
私はクソオヤジに駆け寄り、すがるように声を掛けた。
このまま置き去りにされたら、全てが困る。
「そりゃそうだろうけど、俺も嬉しくないもの貰っても嬉しくないんだわ」
「じゃあ、何なら?」
訊いてしまった。
仕方ない。
こちらからは口が裂けても提案したくない。
「応えるつもりもないのに訊くなよ」
クソオヤジは出口のドアノブに手を掛けた。
私はその節くれだった手に手を載せた。
クソオヤジは驚いた目で私を見つめた。
それを私は至近距離で見つめ返した。
「何なら?」
「じゃあ、これでどうだ?」
クソオヤジは素早く私の腰に手を回し、私を抱き寄せる。
そして、唇を寄せてきた。
鼻がぶつかりそうな距離で動きを止める。
キスか。
「あの日の晩のこと、私、忘れてませんよ。これで次の要求出して来たら、人生掛けてあなたを潰しますからね」
私はクソオヤジの染みの浮いた顔を睨みつけながら、その分厚い唇に自分から唇をぶつけに行った。
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