目覚まし時計 (高校一年生女子 @電車の車両内 (その2))

「は?俺が?」


 川島君の驚く顔を初めて見た。


 私は全力で大きく頷く。


「それを目覚ましにしたら明日、起きられると思う」

「そんなことあるかな?」

「ある」


 力強く断言した。

 何なら、川島君の声をしっかり聞きたくて、目覚ましが掛かる前に起きられると思う。


「でも、なぁ……」


 川島君はちょっと首を伸ばして車両の前後を見渡した。

 午後七時過ぎの電車は昼間以上に空いていて、この車両には私たち以外に三人しかいない。「ちょっと、恥ずい」


 そう言われるとは思った。

 私が逆の立場なら、恥ずかしくて断るだろう。


「お願い。私を助けると思って」

「何で俺が?自分で言えば良いじゃん」

「自分でやってたら気持ち悪いでしょうが。川島君の声が良いんだよ。何か、響きが良いの」


 これはもう好きだと言っているようなものかもしれないが、事実だから、そう思われても構わない。


「だけどさ。恥ずかしいだけで俺にメリットないじゃん」

「じゃあ、私も何でもするから。おはようでもおやすみでも、こんにちは何でも言うから」

「そんなの要らないけど……」

「だよね……」


 要らないか。

 そりゃ、要らないよね。「でも、そこを何とか。川島様。優子、おはよう、をください」

 

 私は川島君に向かって手を擦り合わせた。


「……しょうがねぇなぁ」

「やった」


 私は再びスマホの画面に録音ボタンを表示させ、準備万端の顔で川島君の目を見る。

 もう逃がさない。

 絶対に「優子、おはよう」を頂く。


 川島君が少し顔を赤らめて、いいよ、という感じで頷いた。


 んーもう。

 川島君、可愛い。

 尊い。


 私は祈るようにボタンを押した。


「優子、おはよう。そろそろ時間だぞ。起きろよ」


 私が停止ボタンを押した途端に川島君は「ぷはー」と息を漏らし、私は喜びに全身を震わせ壊れるほどに強くスマホを握り締めた。


 車両が減速し、車内にアナウンスが流れた。

 川島君が降りる駅が近づいてくる。

 私が降りるのはこれの次の駅。


 寂しいけど、この上ない充実感。

 心地よい疲労感も。

 私は、明日起きる前、どころか、今日の寝る前に何度となく録音した川島君の声を聞くだろう。

 そして、何度も悶絶するだろう。

 ああ。

 早く家に帰りたい。

 部屋に閉じこもって布団に包まりたい。


「じゃあ、また。次会うのは新学期かな」

「うん。元気でね。二年生もクラス、一緒だと良いんだけど」

「どうだろうな。でも、せっかく仲良くなったんだから、クラスが別々でも仲良くしてくれよ」


 嘘。

 そんなこと言ってくれるの?

 私が言いたいことと全く同じじゃん。

 以心伝心ってやつ。

 ヤバい。

 心の蓋が開いてしまいそう。

 好きの気持ちがドバドバ出てしまう。


「それは、こっちの台詞だよ。また、夏期講習も一緒に行きたいし」


 勢いで夏期講習の約束を取り付けようとしてしまった。

 顔から火を噴きそう。


「そうだな……」


 窓外の景色の流れがかなりゆっくりになる。

 まもなく駅だ。

 川島君が立ち上がり、急に右隣が肌寒い。「さっき、何でもしてくれるって言ったよな?」


「あ。うん。何でも言って」


 私はにっこり笑って川島君を見上げた。

 私が何かをして川島君が喜んでくれるなら、それは私の喜びでもあるのだから。


 電車が止まり、扉が開く。

 三月末の柔らかな風が入り込んでくる。


「じゃあ、今、ちょっと目を閉じて」

「え?こう?」


 私は姿勢を正し、手を太ももの上に置いて目を閉じた。


「そう。そのままじっとしてろよ」


 川島君が近づいてくる気配があって、私の唇に何か温かくて柔らかいものが触れた。

 そして、川島君の足音が風に運ばれるようにスーッと扉の外へ遠ざかって行った。


 硬直した私は目を開けられないでいた。

 だって、川島君にじっとしてろって言われたから。

 目を開いたら、夢から覚めてしまうような気がするから。

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