17 戦い、始まる

 *




 ――戦況に動きがあったのは、翌昼だった。

 報告がなくてもわかる、轟音と、魔力が弾けた気配。……間違いない。結界が破られたのだ。


「まずい……」

「おや、どうされたのですか? 陛下」

「気づかなかったの? 結界が破られたわ。守城戦が始まります」


 まだ結界を張って一日だというのに。こんなに早く破られるなんて、どうなってるんだ。

 俺も遠目に見たが、そうそう魔術攻撃を受け付けるような脆弱な障壁ではなかった。着弾した時魔術の効果を弱めるデバフがかかっているからだ。


(それでもなお破る、強力な魔術の使い手が?)


 いや、考えている暇はない。俺は立ち上がると、「誰か!」と声を張り上げた。


「ハッ。いかがなさいましたか」

「すぐに馬車を用意してください。国門に向かうわ」


 侍従に命じると、グレンロイが目を見開く。「門へ向かうというのですか? 何を馬鹿な」


「あくまで待機所に行くだけ。危険はないわ。ついてきたくないのならそれでも構いません。そこで待っていればよろしい」


 女王が一人で出歩くなど言語道断だろうが、正直、こいつがついてきても足手まといになる気しかしない。


 周りをちょろちょろされるくらいなら、自分の身を自分で守っていた方がよほど安心だ――と思っていたのだが、さすがに一人では行かせられないと思ったらしく、グレンロイもついてきた。馬車の中でも正気ですか、とうるさい。


「戦況はいかがですか!」


 グレンロイを無視し、待機所へ駆けていく。

血の匂いがする。結界が崩壊してから一刻にじかんもたっていないはずだが、もうそれなりに負傷者が出てしまっているらしい。


「陛下! なぜここに……」


 と、上から声が振ってきた。子爵の声だ。

 待機所のほど近くにある塔、のような、櫓のような建物。どうやらそこが司令部になっているらしい。俺はグレンロイを連れてその建物の上へと上っていった。


「結界が破られたのがわかったので来ました。もう攻城戦が始まっているようですね」

「ええ……陛下、あなたがここにいると露見してはいけません。どうか、敵から姿を隠してください」

「大丈夫、ルネ=クロシュの民以外には気がつかれにくいように、既に隠蔽の魔術を使っているわ。味方にはわたしの姿が見えた方が、士気が上がるかと思って対象を絞ったの」

「なんと、隠蔽魔術で対象の選択ができるのですか」

「ええ」


 驚いた様子の子爵だったが、このくらいは別に難しくない。どうやら俺には魔力制御の才能だけはあるみたいだからな。


「ここからなら危険を冒さず、かつ魔術で援護もできるでしょう。だから来たのよ。まずは兵の回復から」

「陛下⁉ まさか全ての兵を癒すと? 無茶です!」


 それがそうでもない。

 俺は右手を掲げ、軽く唱えた。



「【癒し与えよセラフィクーレ】」



 途端、俺から放たれた柔らかな金色の光がその場を満たし、塔下に集められていた負傷兵たちが起き上がり始める。治った、何故、と戸惑いと喜びの声が足元から響き、思わず頬を緩めた。


「なんと、こんなことが……これが月の神子の御力……」


 子爵が呆然と呟く。……いやむしろ逆。これは闇の化身の力です。


 ひそかに冷や汗をかきながら、俺は自分の右手を見下ろす。

 ……すごいな。大規模な治癒魔術を使ったにもかかわらず、魔力を消費した感じがあまりない。逆に、アインハードから力を貸されてなおゴリゴリ魔力が削られた感じがした、即死魔術のヤバさを今更ながらに実感する。


「魔術で回復したとはいえ、負傷兵はいったん休ませた方がいいかもしれないわ。怪我をして回復してすぐに戦線復帰する、を繰り返していれば、精神が摩耗してしまう」

「かしこまりました。聞いたか!」

「はいっ! その通りに!」


 子爵の言葉に、塔から駆け降りていく兵を見送る。

 俺はふうと息を吐き、城壁の上を見遣った。


「撃てっ、撃てェー!」


 城壁の上からは、指揮官らしき兵が矢を射かけている。

 城には雲梯や縄梯子がいくつもかかり、今にも敵が城壁の上に登ってこようとしている。

 もちろん高低差があるとはいえ、下からも壁を越えて矢が飛んできている。塔までは届かないが、射抜かれて地面に伏す兵士たちがよく見えてしまう。


 ――人が死にゆくのをこの目で見て、足が竦む。

 だが、怯むわけにはいかない。


 城壁の上を占領され、こちら側に降りてこられてしまえば、敵兵が内側から城門を開けてしまう。そうなれば負けだ。だから兵士たちは尽力しているのだ。

と、そう考えたその瞬間。



 ――ドゴ……ン



 轟音。祭の最中のあの音を思わせる重い音と衝撃が、大地を震わせた。バランスを崩しそうになり、あわててバルコニーの縁につかまる。


「なんだあれは!」

「大砲、か……? 大きいぞ!」


 兵たちの声、そして間を置かず、また轟音。思わず頭を低くして目を瞑れば、頭上で子爵が「なんということだ」と呟くのが聞こえた。恐る恐る顔を上げ、壁を見ると。


「……城壁が」


 それなりに厚いはずの壁に、穴が開いていた。大きくはないが、穴から向こうが見える。

 結界は破られているとはいえ、ちゃちな平衡錘投石機トレビュシェットくらいでは穴なんて空くはずのない頑丈な東の国門。そのはずなのに、だ。



(ただの大砲じゃない。あれは攻城砲だ!)

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