二一話 しっかりしっかり、洗われて


 と、もここ、もっちりした奇妙な、生まれてはじめての感触に驚いた。危うく珍獣ちんじゅうの叫びがでそうだったが振り返って背に触れてきた謎感触を見る。と、桜綾ヨウリン様の手で泡立てられた石鹸せっけんの泡が背に触れていた。そして、そのままもこもこ洗われてしま……って!


「はい、動かないの」


「え、う、え」


「いいから。これでも足りないのよ?」


 それは湖で助けたことについてか? 気にしなくていいのにというかどうか気にしないでほしい、が本音。だって、こんな四夫人しふじんのひとりが手ずから洗ってくれるなんて。


 こういうのをおそれ多い、というのだろうか。生憎誰にも抱いたことない感覚なので上手く言葉や表現にできない。ただ、カッチコチに固まってしまった。触れられている。


 私なんかにこんな綺麗なひとが触れている。あのむらの連中だったら穢れが移るなり言いそうだが、桜綾様は楽しそうに鼻唄歌って私を洗っていく。ざぱり。泡を流される。


 で、終わったかと思ったら髪を纏めていた手拭いを取られてそこに湯をかけられ、めんの紐に触れないよう気を遣われながら頭皮をわしわしと揉まれはじめた。うわあ……。


 恥ずかしい。気持ちいいけど恥ずかしい。私は無意識から面を押さえてぎゅっと目をつむって固まった体をさらに強張こわばらせた。一瞬、桜綾様の手が止まったが、すぐ優しく揉み洗いされていくのがわかった。わしわし、もみもみ。頭皮を按摩マッサージするように洗われる。


 で、最後にもう一度湯をかけられておしまい。終わった終わって乗り越えた、私。


 これで今後の風呂はひとりで入れるし、作法も覚えたから大丈夫だと思うので桜綾様に言って離れてもらい面を一瞬だけ外して目を瞑ったままおけの湯で顔を洗っておいた。


 手拭いで顔をこしこし拭いて面をつけた。面そのものはまた夜半やはんにでも水をつくって洗っておこう。紐を一度結んで脱衣室にでたが不思議なことがあり、着替えが消えた。


 ……。一着しかないんでないと困るんだがと思っていると侍女じじょの中では歳嵩としかさに見える女が脱衣室に入ってきて私の後ろに続いた桜綾様になにかかごの中身を見せて確認取る。


「こちらでいかがでしょう?」


「ええ。とっても似合うと思うわ。ジン


「は?」


「あなたの服はお洗濯にだしておいたから私のお古で悪いのだけどこれを着ていてちょうだい。仕立てるにもあなたの体をはからないとわからないし、間にあわせ、だけど」


 私の中で桜綾様の印象がガラッと変わった瞬間だった。こ、このひといつの間にそんな手配したんだっ!? 全然気づかなかったというより、気づけるひといなかったな?


 なので、私はちと観念が入っていたし諦め多分で桜綾様が覗き見た籠の中身を見てサアアー、と青ざめたのがわかった。風呂で温まった筈なのにどうしてか血の気が引く。


 体を隠す手拭いがふるふる震えるのがわかる。これ、どう考えても高級品、では?


 籠にしまってあったのは桜綾様たちが纏うべき薄墨色ではなく、白牡丹しろぼたんのような白と黄糸きいと刺繍ししゅうがされた服だった。意匠デザイン自体は胸がなくても着れるものではあるが。ええ?


 これ着るの、私? こんな見事な刺繍とところどころいつけられた極小のぎょくが光り輝くこんなすさまじいお衣装着ないといけない、んだよな。これも皇帝こうてい陛下の計らい?


 それを無下むげにしたらそれで罰がくだる。なので、私は諦めて髪の水気をできるだけ切って服を着込んだ。と、言っても着方がわからなかったので桜綾様に教わりながらだ。


 うわあ、思わずうっとりするくらい肌触り最高。これを着て私が元々着ていた服、着られるかな。そんなどうでもいいことを心配する程度、とんでもなく高級なお衣装様。


 服は桜綾様のお古で間にあわせだと言っていたが、古着に特有のにおいもなくて。きちんと手入れされていたのだとわかる。なぜ、黒に属しない色の服があるかは謎だが。


 まあ、いっか。ユエを見ると妖力で替えの服を編みだしている。で、髪の水気を火ので乾かした。月は続けて私の髪の毛も乾かしてくれて桜綾様たちの髪も乾かしている。


 月に一応、礼を言って面の紐をきっちり結い直した私は桜綾様たちに続いて応接間にある椅子をすすめられたので腰かけた。ら、即行侍女たちが私の髪にくしを通したばかりでなくはさみを入れてきた。シャキシャキ、と音を立てて髪を手入れされていくのがわかる。


 私はどうしたらいいかわからなくて硬直してしまうが対面の長椅子に腰をおろした桜綾様と優杏ユアン様はわくわく、といったふう私の手入れを見ている。枝毛えだげを摘まれ、長さを揃えて切られる。仕上げに香油こうゆを数滴垂らした湯で軽く揉まれてお手入れ終了した様子。


「? ほほう、静よ。研くものぢゃな」


「あ?」


「絡み気味だった髪がまるでみどりの黒髪ぞ」


「みどり?」


「美しい黒髪のことをそう言うのぢゃよ」


「……髪がどうだろうがつらは変わりねえし」


 月の茶化しているのか、率直な褒め言葉なのか。軽く言われすぎて判断に迷う言葉に私は自身と相手にも向く皮肉を述べておく。私の面は、かおは変わりなく醜悪しゅうあくであろう。


 見ていないのに、でたらめを言っている自覚はある。だが、少なくとも美しくはない筈だ。私は鬼に魅入みいられた娘なのだから。元がどうであれ、鬼を宿す穢れた娘なのだ。


 勘違いしてはいけない。この時間も有限であり、私には予期せぬ事態なのだから。


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