4-3

入院期間はひと月ほどになった。

私が退院する頃になっても伶龍は戻ってきていない。


「痛い痛い痛い痛い……!」


「泣き言言うんじゃないよ」


滝に打たれる私の隣で、祖母が呆れたようにため息を落とす。

動けるようになり、祖母から巫女として一から叩き直されていた。


「ううっ、痛かった……」


「ほら、次行くよ。

休んでる暇なんてないからね」


「ひっ」


滝行がやっと終わったかと思ったら、そのまま山渡りに連れていかれる。

私はふらふらなのに祖母は溌剌としていて、化け物かと思う。

いや、祖母だって曾祖母ほどではないがいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた猛者なのだ。


「やっと晩ごはん……」


ようやくまともに休めてほっと息をついたものの。


「食べたら精神集中の修練をやるからね。

さっさと食べな」


「……はい」


祖母の宣言に食欲はみるみる失せていった。




「穢れが、来るよ」


修行が始まって一週間ほど経った頃、朝のお勤めで宣託が下った。


「でも、伶龍が……」


伶龍の行方はいまだにわからない。

公安の手を尽くしても、だ。

どこでなにをやっているのか心配になる。

しかし、本当に暴力団などに……などというのはなぜか、心配していなかった。


「私と威宗で出る。

翠は控えてな」


「うん」


控えろもなにも、刀がいない私にはなにもできない。

伶龍の行方は知れないし次の刀を、などという話も出ていたが、番号札が割れていない=伶龍は折れていないので、できずにいた。

それにあんなに別の刀にチェンジしたいと思っていた私だが、今は伶龍以外の刀とペアを組む気はさらさらない。


「大丈夫だよ、きっと伶龍は戻ってくるって!」


「いたっ!」


元気づけたいのか、暗くなっていた私の背中を思いっきり祖母が叩く。

今はその言葉を信じるしかなかった。


あっという間に穢れ討伐の準備が整う。

出現予定の前日、高校の校庭に設置された仮設司令所に巫女服姿で詰めた。

今回の穢れはB級予想だ。

私が負けたA級よりは小さい。

しかし、前回の恐怖が甦って落ち着かず、そっとその場を離れる。


「逃げるのか」


懐かしい声が聞こえて、振り返った。

そこには伶龍が立っている。


「逃げるわけないじゃない。

これがお役目だもの」


精一杯強がって彼を見返した。

それでも情けなく、足は震えている。

伶龍の着ている黒スーツは薄汚れ、あちこちほつれていた。


「お役目だからとまた、死にに行くのか」


じっとレンズの奥から、伶龍が私を見つめる。

その視線から逸らさずに、私も真っ直ぐに彼を見つめ返した。


「生きるために戦うの。

みんなを守って私も生きる。

そのために戦うの」


「上等」


私の答えを聞き、片頬を歪めてにやりと不敵に彼が笑う。

ようやく正しい答えに辿り着けたのだと、ほっとした。


――うおおおぉぉぉぉぉん。


そのとき、遠くから穢れの唸り声が聞こえてきた。


「来たな」


「そうだね」


伶龍と並んで立つ。

いつの間にか身体の震えは止まっていた。

そのうち、穢れの足が見えてくる。


「行くか」


チャキッと小気味いい音を立て、伶龍は鯉口を切った。


「うん」


私の返事を合図に、彼の足が地を蹴る。

同時に私も、走り出した。


「翠!」


途中で祖母たちが追いついてくる。


「ばあちゃん!

私たちに任せて!」


「わかったよ」


頷いた祖母の足が遅くなり、すぐに遙か後方へとなった。

穢れの本体に辿り着き、弓をかまえる。


「伶龍!」


「わかってるって!」


今回、伶龍は穢れに取りつかず、私の傍にいてくれた。

弓に矢をつがえ、かまえる。

放った矢は穢れに当たった。


――おおおぉぉぉぉん!


蟲がぞわぞわと散っていくと同時に、穢れが雄叫びを上げる。

足が持ち上がり、振り下ろされるそれに身がまえたものの。


「俺がオマエを守る!

だからオマエは安心して矢を打て!」


伶龍が刀で、穢れの足を防いでくれた。


「ありがとう!」


お礼を言い、さらに弓矢をつがえ、連続して二射、三射と打つ。

伶龍が私を守ってくれる。

それだけで安心して弓が引けた。


「見えた!」


核が姿を現し、伶龍が一直線に向かっていく。

ただし、私が御符の矢を放つ射線上はあけてくれた。

弓から離れた矢は正確に核へと当たり、御符を貼り付ける。

その、次の瞬間。


「もらったーっ!」


刀を大きく振りかぶり、伶龍が核を叩き切った。

ピシリと音がしてヒビが入ったかと思ったら、核はさらさらと砂になって崩壊した。

同時に大量に蠢いていた蟲も、足も消える。


「かっ、た……」


緊張の糸が切れ、その場にぺたりと座り込んだ。


「おう。

勝った、勝ったぞ。

これで誰にも、なにも言わせねーぞ」


「そうだね」


伶龍が差し出してくれた手に自分の手をのせ、立ち上がろうとする。

しかし足に、力が入らない。


「なにやってんだよ」


不服そうに伶龍が唇を尖らせる。


「あー……。

なんか、気が抜けて」


情けなくて笑って誤魔化す。


「ったく。

世話が焼けるな」


はぁっと呆れるように小さくため息をついたあと、彼はしゃがんで背中を私に向けた。


「のれ」


「へっ?」


これってもしかして、おぶってやるって言っているの?

「のれっていってんの」


少し怒ったように言い、促すように伶龍が手を揺らす。

理解はしたが、彼がそんなことをしてくれるなんて信じられない。


「のらねーなら抱えていくがそれでもいいのか」


〝抱える〟が荷物のように肩の上なのか、それともお姫様抱っこなのかはわからないが、どっちにしても避けたい。


「えっ、あっ、それは遠慮します……!」


少しだけ地面を這い、おそるおそる彼の背中にのった。


「よし」


私をおぶり、歩き出した伶龍の頬は赤い。

それを見ていたら私まで恥ずかしくなってきた。


「あの、さ。

伶龍。

あのとき、私を助けてくれてありがとう」


「巫女を守るのは刀の使命だろ」


「そう、だね」


それっきり、伶龍はなにも言わない。

私もなにを話していいのかわからない。


「……もしかして、さ。

一度だけ、病院に私の様子、見に来てくれた?」


あの夜、病室に忍び込んできたのは絶対に伶龍だと思う。

でも、なにも話さずに去っていった彼が、なにを考えていたのかわからない。


「……翠が無事なら、それでいい」


「え?」


ぽつりと呟かれた言葉はよく聞き取れなくて、聞き返してしまう。


「なんでもねぇ!」


しかし伶龍は頬を赤く染め、ぷいっと私から顔を逸らしてしまった。

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