ひみつのはなし

「しーっ! ここだけのはなし。だれにもはなさないでね」

 そう言ってウィンクしていたずらっぽく笑った。麦わら帽子の女の子。笑顔だけはわかるけど、顔はのっぺらとしている、不思議な女の子。私の唯一無二の親友。

 冬だというのに、水玉模様の黄色いリボンを飾り付けた麦わら帽子を目深に被っている。その子が私だけに耳打ちしてくれたんだ。「ここだけのはなし」。


「坂は空への入り口なんだ」


 そう言ってはにかんだ。

 私にしか見えない、私だけの友達。

 麦わら帽子が眩しい、白い顔の女の子。

「誰にも話さないでね」

 そう言っていつもこの「空への入り口」の話をする。その子につられて坂の下から空を見上げると、キラキラ輝いて眩しくて、本当に空に吸い込まれそうな錯覚を覚える。本当にそこに、入り口があるかのように思えて、わくわくする。

「楽しいところ?」

「うん。とっても楽しいところよ」

「どんなところ?」

「うーん、うまく説明できないけど……行ってみる?」

「うん!」

 私は何も考えずに二つ返事で頷いてしまった。

 でもその直ぐ後、晩御飯のことが気になった。今は夕方、お日様が西の地平に落ちる頃だから。

 でもそう過ぎった時にはもう遅かった。ともだちに手を引かれ、半ば強引に坂道を登っていた。


「つれてって、つれてって、つれてって」

 ともだちがそう唱えると、坂の向こうの空にぽっかり穴が開いた。穴の向こう側を覗き込むと、真っ暗闇でチカチカ光が点滅していた。お星様みたいだなと思っていると、その中に吸い込まれてしまった。


 咄嗟に閉じた眼を開けると、虹色が広がっていた。まるで虹の空の只中にいるようだった。

「ようこそ! 私の世界へ!」

 ともだちは満面の笑みで両手を広げた。

 歓迎されているように、周囲の光が明滅を繰り返した。

 ともだちは私の右手を強く握ると、語気を強めて言った。

「絶対にこの手を離さないでね」

 ——この世界では私の手を離したら鬼に食べられちゃうから。

 鬼って何? と訊こうとしたけど、その時には手繋ぎで走り出していた。

 目まぐるしく景色が流れる。走馬灯のように。

「あ、おばあちゃんだ! 手を振ってる」

 私は流れ行く景色に懐かしさを覚えた。

 鬼、なんて怖いもの、どこにもいなかった。少なくとも彼女の手を繋いでいる間は。


 ともだちの家に行って、お茶とお菓子をごちそうになった。すごろくゲームをして遊んだ。

 眩しさに視線を上げると、金色の光が一筋差し込んできた。刻が経っていることに気が付いた。ふと、家に帰りたくなった。

「ママ……」

「帰りたいの?」

「うん」

「駄目よ。帰っちゃ駄目」

 怒気を含んだ強い言葉にたじろいで、怪訝にともだちを見やる。

「なんで?」

「だって、あなたは私のものだもの」

 その言葉に一気に目が覚めた。

「いいわ。帰り方を教えてあげる。強く強く願えば帰れるわ。でも、少しでも迷いがあったらここから出られない」

 私は目をぎゅっと閉じて、願った。


 ——家に帰りたいと。


 目を開けると坂のてっぺんに立っていた。

 空はどこまでも遠く、青い。

 でも私の知ってる街角は無かった。私がいない間に街は様変わりしていたのだ。

 そこは確かに私の故郷の街だけど、私の居場所はどこにもないのだ。


   ☆


 昔、この地域には神隠しの伝説があった。

 行きて帰らぬ物語。実しやかに伝えられた御伽の話。

 カクリ山の入り口に大鳥居が建っていた。山の上の方まで坂道が続いていた。しかし、その先には何もない。社も何もない山のてっぺんが開けていただけだった。しかし、大鳥居を潜るその手前で「つれてって」と三回唱えてから登ると、異界に吸い込まれるという。

 その鳥居は移設され、坂道だけが残った。


   了

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