夜の切れ端と魔法使い
【1 夜の切れ
昼間、夜は
家の中の、一等安心できる暗がりに?
千切れた心をしまっておく棚の奥に?
夜は、隠れているのかもしれない。
天頂よりあまねく照らす白い光の時間は、眩し過ぎると、ひっそり息をひそめて。
「出ておいで、夜よ」
私のいちばん静かな隣人。
おまえを好ましく思っている者は、おまえを少しだけ切り取って、大切に大切に忘れているのだ。(思い出したら最後、一目散に家へ帰って、憐れにおまえを探して回る他、何もできなくなってしまうからな)
「夜よ」
私が呼んでいる。出ておいでと。部屋の隅っこへ呼びかける。
「私は悪い魔法使いだから、おまえに大層悪い、呪いの魔法をかけてやろう。そして」
夜の耳に甘く、心を
おまえに響いて、目の色を変えるものは?
「おまえに……………………名前をやろう」
アムゼル。
「さぁ、返事をして。出ておいで」
おずおずと、暗闇の
アムゼル。アムゼル。アムゼル。
私の名前だって? 私の…………名前?
どうしよう! どうしよう? どうしよう…………
私は……返事をしても、いいと……思う?(きっと悪い魔法使いのことだから、これから悪いことばかり、起きるに違いない)
ねぇ、返事をしてみても、いいと思う?
「何をごちゃごちゃ言っているんだい」
夜は膝を
「我が名はオルレア」
夜に、私は私の名前を明かす。
「さぁ、アムゼル。私が呼んでいるのだよ? おまえはどうしなきゃいけないと思う?」
あぁ、困った。あぁ、助けてくれ。
なんて高圧的な魔女だろ!
きっと……あの、あれ……オル……何とかは、世に名だたる大魔法使いに違いない。
どうしよう。どうしよう。
私はだんだん、
朝の白い光はどんどん部屋の中まで差し込んでくる。夜は、部屋の暗がりでギュッと小さくなりながら、私を見上げては、困惑の眼差しを向けてきた。
「…………アムゼル。返事をしてごらん」
返事をしたら……返事なんてしたら、どうなっちゃうんだい?
「ア ム ゼ ル」
ソワソワしている空気。夜の足の指が床板を掴むように
「……………………はい」
返事をしたよ。
悪い魔法使いさま。
私をどうしてくれるつもりなの?
私は笑い
帷を纏ったアムゼルは月夜のよう…………夜を
夜であったアムゼルの名残りは、目の中にある。
暗い銀色の髪と紺碧の双眸は、朝の世界で夜の空気を帯びていた。
「アムゼル。おまえには、無尽蔵に使える魔力が、幾つかあるらしい」
「らしい……? 魔力だって? 私はただの、何ものでもない者なのに?」
アムゼルの困惑は消えていない。私を見つめる目は疑わしく、可哀相なほどにアムゼルはぐらついていた。
「おまえが信じられる言葉で言おう。アムゼル、おまえはとても魅力に溢れている。単純な人間なら、言いなりにできるくらいには」
「……魅力?…………単純な人間なら?」
アムゼルは、私を推し量るような目で見直してきて…………私は笑ってしまった。途端に通じた様子のアムゼルは、気まずそうに目線を外す。
「オルレアさま……笑わないで」
「様なんて要らない。オルレアでいい」
「オル……レア…………やめて。夜の切れ
私は笑わないように飲み込んだ。美丈夫で麗しい容貌のアムゼルが、まるで小さく、か弱いものであるように振る舞うのが、なんとも可笑しい。
「ご覧、アムゼル」
私は手鏡をアムゼルに見せた。アムゼルは、はにかむ少女のように受け取って、覗き込む。
「おまえの紺碧の瞳を見ていると、溜め息が出る。おまえの
アムゼルはオルレアを見た。
「オルレア一人だって、言いなりにはできないのに」
そんなこと言って、と消え入りそうに言われる。
「アムゼル。私を言いなりにしてみたいのかい?」
「そんな、だいそれたこと!」
夜の切れ端は、己は非力だと信じ込んでいるようだ。私は見せてやらねばなるまい。
「こんな小さな手鏡では、わからないだろう。来なさい、アムゼル」
「何処へ? オルレア」
おまえに見せてやろう。昼間の世界を。
「…………溶けて、消えちゃいます」
街へ向かう乗合馬車の中で、アムゼルが力なく呟いた。
「アムゼル」
私はアムゼルに小声で言い放つ。
「おまえは……もう夜でもなければ、夜の切れ端でもないのだよ。おまえはアムゼル。私と同じ、人間という生きものさ」
アムゼルが目を見開いて、大きく息を吐いた。
「はぁ…………悪いことばかり。悪い魔女、悪い魔法、悪い……」
言いかけてアムゼルは口元を手で覆った。
「これは何?……気持ち悪い」
ゲェと不快そうにしてみせる。
「それは…………空腹さ」
「こんなの初めてだ」
胃が空っぽで吐きそうになっているアムゼルを、百貨店のデリカトゥス(※食品売り場。イートインスペースを設けている場所もある)へ連れて行く。
街中に降りてからは、面白かった。都会のすました人間どもが、アムゼルをチラチラ見てくる。それが何とも面白い。私の部屋の片隅で縮こまっていた夜の切れ端を。街往く人々の注視が証左さ。
アムゼルが化け物屋敷でも歩くみたいに、怪訝な表情を向けて言ってくる。
「怖いよ、オルレア。なんかさっきから、色んな人間と目が合うんだ」
「先に目を
私はけしかけた。アムゼルは言われた通り試す。
「オルレア!」
「な?」
アムゼルに見つめ返された誰かは、今度は誰かの方が目を伏せて行ってしまったようだ。無理もない。
「私だって、おまえをずっとは、見ていられない」
「?!??」
目が
デリカトゥスへ着くと、アムゼルが
「ねぇ、ちょっと、オルレアさま!」
「座ってなさい。私が適当に
アムゼルで席を確保してっと。
午前中のデリカトゥスは混み合っておらず、居心地の良い感じだった。アムゼルがどのような好みかは全くの未知であり、私は本当にテキトーに、ローストチキンやファラフェル(※ひよこ豆やそら豆をつぶして香辛料を混ぜ合わせ、固めたものを食用油で揚げた
「お待たせ。軽いものから、ゆっくり食べなさい。吐きそうなんだろう?」
アムゼルはパカッと紙箱を開いて、
「オルレア!」
「はいはい。召し上がれ」
売り物のデリは見た目が良い。おまえと同じ。
「いただきます。…………と言うのだろ?」
ウインクして見せたアムゼルは、スープに口をつける。一口飲んではフゥとかハァとか、余韻に浸っている様子。私は、食に触れて幸せそうな驚きを繰り返すアムゼルを眺めて、告げた。
「人間の食べ物を口にして…………おまえはもう、お終いさ」
「お終い?」
「夕闇の翼から抜け落ちた羽のようなもの。二度と夜へは、戻れない」
「…………いいよ? これおいしいね!」
いいよ……だと?
私は……
「おまえは、悪い魔女を、うんと恨むがいい」
「悪い魔女? オルレアを?」
アムゼルは、私が食べていたケーキに手をのばす。アムゼルは、深い夜色の瞳で私を見据えて、忍び寄る手は、一口欠けたカットピースを奪い去る。ピスタチオとカルダモンの生地に、レモンの利いたアイシングがけの、素朴なケーキ。パキリとアムゼルは、白いアイシングを噛み砕く。
「私に名前をくれた。私を新世界へ連れ出してくれた。私に人間の食べ物を分けてくれた…………魔法使いさま」
「おまえを奴隷のようにこき使う為に、かもな」
飴と鞭だよ、とアムゼルに言う。
「…………いいよ」
それだけ言って、アムゼルは魔女のケーキをたいらげた。
【2
「…………ぅえ」
太陽が真上に来ている。正午だ。真っ昼間だ。外へ出たら、アムゼルが
「なんだ? いちばん明るい時間は、さすがに苦手か?」
「…………」
答えない。答えないか。そーか。
街中の日陰に差し掛かったら、アムゼルが安堵の溜め息をついている。
夜の切れ端を真っ昼間に連れ回すのは、意地悪が過ぎたかもしれない。と、私は気付いた。陽の光がどうやら得意ではないらしいアムゼルは、しかし、そのような素振りはしてみせない。なんだか少し……気の毒に、可哀相になってきて、私は気晴らしに、良い寄り道先を思い付いた。
「アムゼル、いいとこへ連れてってやる」
「?」
人々の往き交う表通りから、裏通りへ通ずる路地の
「私の使い魔を紹介してやろう」
「つかい……ま」
緑色の佇まい。一見するとこじんまりとした青果店のよう。ガラスドアを開けて中へ入ると、ヒンヤリとした空気。ほんの
「高級……フルーツ?」
アムゼルは物珍しい感じで、山積みされた果物を見ていると、赤いリンゴがやって来た。
「やぁ、フワプル」
私はしゃがんで、ツルツルの大理石の床に居るリンゴに挨拶した。
「……」
フワプルは私を見上げると、立ち尽くしているアムゼルも見た。
「こんにちは」
フワプルはパチクリ
「な、な……」
アムゼルが目を見開いて、何か言いたげである。
「ここは、チノ様のフルーツショップ。今のは、私がご贔屓にしている使い魔の、フワプルだよ」
とアムゼルに説明していたら、足もとにブルーベリーがぶつかってきた。ふわふわ、青い毛並みの、愛らしいぬいぐるみ。赤いリンゴと同じ。
「こんにちは、ルールルー」
目の合った青いブルーベリーに挨拶すると、ベソをかいていた。
「チノさま、チノさま」
ルールルーは直ぐに、奥へ舞い戻って行ってしまった。
「あの子たちは……」
アムゼルが訊く間もなく、フワプルがルールルーに追いかけられながら戻ってきた。
「チノ様はお留守かい?」
フワプルは頷いて、私が差し出した両掌に乗っかった。
「そうか、お留守か」
うんうんとフワプルは頷き、私は店内のカウンターにフワプルをおろした。私はルールルーをつかまえようと、泣いてるルールルーを追っかけ回す。
「えっ……え……チノさま、チノさま」
ルールルーは泣きながら歩き回る。アムゼルが静かに、ゆっくりしゃがんで、ルールルーに両掌を差し出した。
「えぇん」
大粒の涙をこぼしながら、ルールルーはアムゼルの手に乗っかってきた。アムゼルは私がしたように、ルールルーをそっとカウンターへおろす。
「お留守番、さみしいの? ルールルー」
ルールルーは、フワプルの後ろについて回る。フワプルは、ベソかきブルーベリーに背中で涙を
「…………かわいい」
アムゼルは、心の声が漏れ出るように呟いた。
「いかにも。理解が早いな。その通りだ」
私は得意気に言う。
「でも」
「なんだ」
「この子たちにいったい何ができ……」
「かわいいのが、お仕事だ」
「えぇ」
アムゼルが慎重に、注意深くルールルーに手をのばす。ルールルーはアムゼルから差し出された手を見ると、近付いて、今度はアムゼルの手で涙を拭いた。
「…………確かに」
完全に理解したアムゼルは、
「えぇん……チノさま居ないの……チノさま居ないの」
ルールルーはアムゼルに訴えていた。
「フワプル、リンゴを二つ買わせていただくよ」
私はフワプルに代金ちょうどの額を渡して、何の変哲もない高級な、ピカピカの赤いリンゴを買う。チノ様に宜しくなとフワプルに
ふわふわ、夢見心地で歩いているアムゼルに、先程の愛らしい使い魔たちについて、話してみることにした。
「あの子たちの本当の効能はな」
「たまらなくかわいい、ってことですか?」
すっかり骨抜きにされたアムゼルは、即座に答えた。
「違う、そうじゃない。あのフルーツショップは、入店するだけでデバフ(※能力を低下させる効果)の無効化、残りターンのある毒(※毎ターン
「あぁ! あの、あの子たちから感じた、崇高で、甘い感覚は」
それは、おまえが単にメロメロにされただけ。とは言わずにおいた。
「チノ様のフルーツたちとの交流は、
「やはり!」
至極当然と肯くアムゼルだったが…………何のダメージも受けていないアムゼルが効能を実感できるはずもなく、おまえが感じていた衝動は……世に言う『メロい』…………いや、
「こちらから出向いて会いに行くタイプの使い魔なんて、
「…………あの子に……もう会いたい」
アムゼルはすっかり、青いブルーベリーのルールルーにやられているようだった。
「今度はチノ様におまえを紹介してやる。そしたらおまえは、いつでも自由に行けるさ」
「オルレアは、楽しいことばかり、私にくれる」
アムゼルが、うれしいって顔で言う。私は、真っ昼間に夜の切れ端が、そんな顔をしていてうれしい。
【3 恒久魔法】
再び陽は
私はアムゼルと街で沢山、買い物をした。帰りがけに村外れの裏山へ寄って、炭焼き小屋で木炭を都合してもらった。
「
「ありがとう、お爺ちゃん」
「今日は随分男前をお連れだねぇ。あなた、オルレアの良い人かい?」
アムゼルが何と答えたものか、逡巡しているようだ。
「私はアムゼルと申します。オルレアさまの見習い弟子でございます」
み! 見習い…………弟子ぃ??!? いっちょまえに答えてみせたが、アムゼルが、見習いの、弟子だって??
「まぁまぁ! それは素敵なこと! お弟子さん、オルレアを宜しく頼むわね」
「お、お婆ちゃん?!」
「はい!」
「アムゼル?!」
お婆ちゃんとアムゼルが意気投合している……何故に??!?
帰り際、街でした買い物のお裾分けのお返しにと、アムゼルが沢山おみやげを持たされていた。貸切り乗合馬車で寄って、正解だった。
「あげた以上に貰ってしまったわ……」
「そうですねぇ」
帰宅して直ぐに、七晩木炭で風呂と夕食……夜食の準備に取り掛かった。夜食と言っても、作り置きのキャセロールを火入れして、パン屋の魅惑的な買い物を切り分けるくらい。バゲット一本を縦割りにして作られた、ガーリックバタートーストを半分こ。クリームチーズを挟んだ胡桃パンと、シナモンシュガーがザクザクのクロワッサン、クランベリータルトを四分の一ずつ。分け合える相手が居ると、幾らでも欲張りに付き合わせられる。
「オルレアさま? 今宵は何かの祝祭ですか?」
いつもよりは多少……幾分、多分に豪盛か?
「歓迎会には違いないな」
アムゼルと食卓に着席して、食事という日常の一つが、愉しみへ替わっていることに気付いた。
「
向かいに座るアムゼルが、気付きを与えてくれた。
「いただきます」
いつもは視界の片隅に、いつもは当たり前に、共に居る気でいた夜の切れ端が、今はそこに確かに居る。喜びが、自然に感謝を口にのぼらせる。
「ありがとう…………アムゼル」
「ありがとう? 何のありがとう?」
私はアムゼルに言う。
「私はおまえに、解けない魔法をかけた」
「ありがとうを言われるのは、私の方なの?」
アムゼルは私に言う。
「それは呪いと言う魔法だ」
「オルレア…………あなたが夜を愛しく想うのを、私は知っていた」
夜色のアムゼルを、夜の切れ端を、見る。
「人々が、私を、夜を…………特に、大きくなった大人の人間たちが、私を好意的に思ってくれていることが多いのを、私は知っていた」
名前を得た夜は……アムゼルは、人間の食べ物に目を細めて、新世界の味を噛み締めて、飲み込む。
「このまま人間のように生きて…………このまま、人間のように、死んでもいい」
「呪いはそう簡単に終わりへ、連れて行ってはくれないさ」
私は、炭焼き小屋の夫妻…………私のかつての家族を思い出す。後天的に魔法使いへと転身した私の半生は、時間の経過が与えるものから、
「私たちは、時間との付き合いが疎遠になってしまった身の上だ」
「相憐れみ、慰め合っても、咎められることはない?」
夜が幾千、幾億の時を超えて来たのか、気が遠くなる。もしかしたら、アムゼルには私なぞ、虫けら以下の
「レモングラスとゼラニウムのキャンドルを新調した。先に湯をつかうといい」
私は、おろしたてのタオルと着替えをアムゼルに持たせる。
「今日は、申し訳ないが、私の寝床を使ってくれ。明日の晩までには、おまえの寝床を用意してやる」
「オルレアは、どこで眠るのだ?」
「私か? 私は…………」
眠れそうにない。そう、夜の切れ端に答えようとして、嘘をつく。
「眠らない。魔女は時々、その、眠らないんだ」
夜は私を見つめると、ほんの少し微笑んでみせた。
「おやすみなさい」
アムゼルに言われて笑ってしまう。
「……ふふ」
「オルレア?」
「何でもないさ。おやすみ、アムゼル」
私は、魔法使い。夜の切れ端に、人間の食べ物を食べさせて…………そして、今宵は夜に眠りを与える。夜を眠らせてしまうのだ。何と言っても、私は大層、悪い魔法使いだからな。
挿し絵|連休|近況ノート
https://kakuyomu.jp/users/ho1idays/news/16818792436075633701
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