第38話:第一の試練開幕

 自称聖剣セイン・トロールを奪われたソロは塔の中に囚われていた。塔の中は至って普通の風景であった。空からは燦燦と太陽の光が降り注ぎ、山間の都市らしく足場は少し限られるも、しっかりとした一軒家があるので日常生活を送るには充分か。草木もある。多分この様子だと獣もいる。ついでに畑もある。

 悪くない環境であろう。

(ちょっと待てィ!)

 そう、

(ここ塔の中だよな⁉)

 此処が塔の中だと考えなければ、至って普通の光景であったのだ。だが、塔の中だと考えると何もかもがおかしい。そもそも塔は大きかったが、精々直径は数十メートル、大きく取っても百メートルもなかったはず。

 でも、今目の前に広がる風景は何キロ先まで山山山。

 山の景色である。

 それと、

(……あれ、話しているつもりなのに声も出ねえぞ)

 さっきから独り言を話しているはずなのに、言葉が一つも発声されておらず口をパクパクしているだけに留まっていた。

 よく考えなくても異常である。

 今すぐ脱出せねば、と辺りを見回すも、

(……出口も入り口もねえ。ってか、塔なのに階段もねえ)

 出入口らしきものは何もない。

 この景色を見て閉じ込められたという言葉が妥当なのかはわからないが、わけのわからぬまま謎の場所に放り込まれたことは間違いない。

 危機的状況である。

 たぶん。

 なので、

(お邪魔しまーす)

 ぽつんと一軒家にお邪魔し、其処でベッドを見つけたので、

(ふい~。丁度歩き通しで疲れてたんだよなぁ)

 早速お昼寝と洒落込む。図太い、なんと図太い立ち回りであろうか。しかし、この男は考えてもわからないことに関しての見切りが素早く、何とかなるさのノリで適当に行動し始める。わからないことはわからないから仕方がない。

 全力で開き直る。

(ぐぅ)

 そしてどぶ底生まれ、どぶ底育ちの図太さを如何なく発揮し、枕が変わろうがベッドが変わろうが、其処に寝床があれば秒速で寝付く特技も披露する。

 この何が起きているのかもわからぬ状況下で、ガチ寝をかます。

 これには――


「……」


 この光景を観測する者も呆気に取られるしかなかった。

 迅速に周囲を確認する者、混乱し戸惑う者、生存に必要な要素を探索する者、この沈黙の謎を解き明かさんとする者、今まで様々な客がいた。

 しかし、

(すぅ、すぅ)

 何もせずに即就寝した者は、この男が初めてである。


     ○


(……ん~、よく寝た)

 充分に睡眠を取り、むくりと起き上がるソロ。爆睡していたため、一瞬なぜ自分は人の家で、人のベッドで寝ているのかわからなくなる。

 だけど、

(……まあいっか)

 よく考えてもわからないことを思い出し、またしても思考を放棄した。小腹が空いたので食事でもするか、とソロはベッドから出る。

 人の家の食事も盗人からすれば共有財産。

 盗まれる方が悪いのだ、とはソロの言葉。

 しかし、此処でようやくはたと気づく。

(あれ? 何もないぞ)

 立派なおうちがある。ベッドもある。だが、メシがない。小麦も、ミルクも、酒もない。と言うか水がない。

(あわあわあわわ)

 何もない。

「阿呆が、そろそろ日が落ちるぞ」

(あわわわわ……ん?)

 文字通りあわあわしていたソロであったが、人の声がしてそちらへ振り向く。声が出ない場所じゃないのか、と言う疑問はない。

 今、あわあわしていたからそんな設定すっかり忘れている。

(……猫? ちょっとデブってんな)

「そなた、まさか今わしを見て、太っておるなどと思ったのではあるまいな?」

(まっさっか~……って、言葉通じないのか。なら、首でも振っとくか)

 ぶんぶんと首を横に振るソロ。

 デブ黒猫は「まあよい」と疑いながらも一応認めた。

 そして、

(ね、猫がしゃべったァァァアアアア!)

 遅ればせながら気づき、驚愕する。

「わしは偉大なる超魔法使い、スティラ・アルティナ様の猫様ぞ。当然しゃべる。くだらぬことで驚きよって……それにしても、此処まで阿呆な客人は初めてじゃぞ。何処の世界に無警戒で爆睡をかまし、こんな時間までのんびりしておる者がおる?」

(ここに)

「まさか、ここに、などと思っておらぬだろうな? わしのこと舐めとるんか?」

(舐めるも何も飼い猫だろ、スティラおばさんの)

「……まあよかろう。此度の不敬は許してやる。のんびりしておる時間もないからの。飲み水の確保、食事の確保、わしへの供物も用意せねばならぬ。くく、時間はないぞ。そなたに光を絶やさぬ魔法を扱う術があるのなら、話は別じゃがな」

(そりゃそうだ。とりあえず日のある内に水だけでも確保しねえと!)

 食事も水も、まあどちらも一日ぐらいは我慢できるが、どちらかを選べと言われたら迷わず水を選ぶ。それがどぶ底での経験による判断であった。

 飢えよりも渇きの方がヤバいのだ。

 経験上。

 と言うわけでソロは颯爽と家の外に出る。すでにお日様はそろそろ私もお休みしますね、と沈みかけており、やはり食事と水のどちらも確保している時間はなさそうである。まあ食事は表の雑草でも食べれば何とかなる。

 大事なのは水だが――

(水場、すっげえ下の方にしかないし……ところどころ橋壊れてね?)

 川は切り立った崖を下ったところにあり、其処までの道はあるものの、ところどころ橋が壊れているため通行できない。全力でジャンプすれば通れそうな気もするが、水を運びながら跳躍しても、ただの投身自殺にしかならないだろう。

 トロがいれば楽勝なのに、とソロは顔を歪める。

 なら、滝とかないか。出来れば隙間からちょろちょろ出ているの。そう考え辺りを見渡すも、結構離れた場所にドッバァ、と勢いよく大量の水が流れ落ちる、それはそれは立派な滝があった。が、其処へ通じる橋はきっちり落とされている。

 あれはもう、大ジャンプでどうにかなる幅ではない。

「ほれほれ、日が沈むぞ」

 恰幅の良い猫様があざ笑うかのように声をかけてくる。

 あざ笑うかのように、と言うかあざ笑っている。

(いや、水、これ無理だろ? 施設の整備不良っす!)

「何じゃその眼は? 別に魔法を使えばよかろう? 水を操りここから汲むもよし。それが出来ずとも水を運びながら、少しばかり身体を宙に浮かせればよい。そなたが練達の魔法使いであれば、土の魔法で井戸を作ってもよき。何でもありじゃ」

(そっか、魔法を……あっ)

 口をパクパクしながら、ソロはようやく気付く。

 なぜ今、こうして口が塞がれているのかを。

「詠唱は出来ぬがまあ、無詠唱でも魔法は扱える。少しばかり難しくなるがのぉ。ほれ、好きなようにやってみよ。くく、出来るものなら、のォ」

(デブ魔法使いのデブ飼い猫がァ!)

「あまりのろのろしておると、闇夜は獣が活発になるぞ。この辺の獣はちと、狂暴でな。しかも魔法以外は受け付けぬ、特殊な生態をしておる」

(……)

 自分の危機感が働かなかったのが不思議なほどの危機的状況。ソロの脳が活発に働き始める。全てをどうにかする時間はない。

 其処でソロが取った行動は――

「ウォォォォオオオオ!」

 全力でダッシュし、下の川に直行。其処で水を汲むのではなく、水を飲み溜めしてとりあえず一日をやり過ごす、と言う積極的消極策であった。

「……今までで一番阿呆じゃの」

 黒き猫様は阿呆な客人の姿に鼻を鳴らし、

「さあ、第一の試練じゃ。言葉無き世界で、あらゆる知恵を凝らし、魔法で生活してみよ。何事も基礎が肝心じゃ。にゃっにゃっにゃっ」

 そのままどろり、と姿が消える。

「あっ、飲み過ぎた」

 早速水を飲みすぎ、重くなった体を勘定に入れずに危うく投身自殺をかましそうになったソロ。この突如始まった試練を無事乗り越えることが出来るのか。

「耐えろ指! マジで死んじゃうからァ!」

 ダメかもしれない。

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