第32話:選択の重みから逃げるな
同時刻、魔界にて――
「……これは」
「やられました。オークの、こちらの反転式生命の木に、ルールを追加してきた。ふ、ふふふ、さすがに無法が過ぎますねえ、クレエ・ファム!」
いつも飄々とした元天使の、珍しい直情。
怒りと嫌悪、そして――
「どういうものだ?」
「……オークは生産、保管、出荷の性質を持たせる以上、どうしても地上とリンクする地下空間が必要となります。女神は其処に理を差し込んだのです。我々が長い時をかけてようやく形にしたオークシステムの一部を書き換えて」
『堕天』アモルエルは自らの王に説明を始める。クリファも含めた者たちで生み出したオークシステム、女神の愛した蒼き大地をそれで埋め尽くし、穢し、あの女を引きずり出すためのものであった。
切り札の一つ。其処に、あろうことか――三百年経とうとまだ女神の掌の上、真の意味で彼女の牙城に迫れた者は未だ存在しない。
それどころか遊びのネタにされた。
実に不愉快。
「で?」
「詳細は不明ですが、人間へ力を分け与える何かが付属して発生するよう、ルールを捻じ曲げられました。対策は出来ません。システムそのものを放棄する以外に」
「……また三百年待て、と?」
「まさかァ……これはまあ推測ですが、神の手であればあくまでバランス調整、決定打にはならぬはず。うっとおしいことには、なりそうですがねェ」
「……」
現在、フェルニグが職務放棄をしているため停滞しているが、北からの侵攻はあくまで囮、重要なのは大地をオークで埋め尽くすことであった。
しかし、これで人間側により明確なオーク潰しの理由が与えられ、少しばかりその狙いに暗雲が立ち込め始めた。
詳しいことは調査次第であるが果たして――
○
「お見事です」
「あなたの心にもない称賛好きよ、アラム」
「恐縮です」
自分のそばにいた頃は武、筋肉にしか興味なく、今は人間のことで頭がいっぱい。相変わらず実に面白い天使だ、と女神は思う。
「さて、私はそろそろ帰るわね。あまり長居してもありがたみが薄れるでしょう? ちなみに一応聞くけれど、戻ってくる気はあるかしら?」
かつての主、女神の問いに、
「申し訳ございません」
アラムは即答で返した。
「ふふ、残念。では、いい旅を、アラム。終わりへ向かう物語、あなたの選んだ道を存分に歩みなさいな」
「はっ」
最後の最後まで思う通りにならぬ側近。それを女神は嬉しそうに見つめ、その身を翻し背中を向けた。
女神が一歩、帰るために足を踏み出した時、
「あの」
ソロがその背に声をかけた。
折角丸く収まりかけているところ。大樹の様子を見るに、絶望から希望に転じたのがわかった。これ以上望むのはよくないのだろう。
それでも彼は開く口を止められなかった。
奇跡を目の当たりにしてしまったから。
「なぁに?」
女神は振り返り、その欲張りな男の貌を見て笑みを深めた。
「……ひ、ひとり、追加でよみがえらせてほしい奴がいるんだ」
「『ソロ!』」
トロとアラムの咎める声が重なる。
だが、
「聞きましょう」
女神は聞く姿勢を取った。
「さっき、ほら、女神様も口に出していただろ? ルーナ・アンドレイア、あいつをよみがえらせてくれ。凄い奴なんだ、女神様だって――」
名前を認知していた。それほどの人物だと、神すらも――
「ふむふむ、凄い奴だからよみがえらせてほしい。別に構わないわよ」
「ほんとですか!?」
「たかが一人の命、造作もない。だって私は神様だから。と言うか、一人でいいの? 折角なのだからもっと欲張らなきゃ」
「……え?」
「あの村人が可哀そうじゃない。騎士もいたわね、それもいきましょ。それに、確かフェルニグの部下も結構殺されたから、それもよみがえらせちゃいましょうか。確か彼女が、道中いくつか手折ったオークもよみがえらせて、此処まで来たら出血大サービス、戦場で散った命もいっちゃいましょう!」
「そ、その、魔物は、別に」
「あら、差別するの? 私にとっては全部同じ子どもよ。私が創造したのだから、人も魔も関係ない。等しく、我が愛しき存在なの。おわかり?」
絶対的な博愛。
それはとても冷たく見えた。
「面倒くさいから今まで死んだ全部、とりあえずよみがえらせちゃう? この蒼き大地から溢れちゃうけれど、それはそれで面白そうだし」
「……」
「んふふ、ようやく自分の言ったことの意味、わかった? 神が際限なく介入したら、世界はとってもつまらなくなるの。命の価値も消える。別にいいのよ、私は。また新しい世界を作ればいい。壊れた世界を捨ててね」
「お、俺の命と引き換え、だったら」
「尚更ダメ。だってあなた、最初に選んだじゃない?」
「え?」
「私、見てたのよ。彼女の勇気を、そして……それに甘えたあなたの選択を」
びくり、とソロの体が揺らぐ。
「あの時、あなたには常に二つの選択肢があった。逃げて生き延びるか、死んで救うか、あなたは最初に、逃げて生き延びる道を選んだじゃない。彼女を犠牲に」
「ち、ちが、俺は、そういうつもりじゃ」
シュッツに生殺与奪を握らせたあの時、結果としてルーナが止めてくれたことで、ソロの命運が決まった、そう映る。
しかし、今日、ソロは本性を、本領を発揮した。眼にも止まらぬ速さにて繰り出す黄金の左腕を中心に、素晴らしい活躍であった。
では問おう。
「何が違うの? だって、その左手の速さがあれば、あの場の誰も、本気で死のうとしたあなたを止められなかったでしょう?」
「……っ」
その速さで自害する道もなかったのか、と。わざわざシュッツに委ね、その結果ルーナが止める。本気で死ぬ覚悟なら、そもそもそんな構図になりえない。
ソロが死に、ルーナは命を賭して守るべき対象を失う。トロを拾い、戦うか、それとも逃げるか、どちらにせよ最後の一手、逃げは通せた。
だって速さだけは彼女の方が上だったから。あの黒龍相手にも。
守るべきお荷物がいなくなるのだ。
ゆえに、
「あなたが殺した。あなたの弱さが殺した」
ソロの『弱さ』が彼女を死地に追い込んだことは紛れもない事実である。
「あなたは其処から目をそらしちゃ駄目。今日の選択が重くて逃げたくなった? 許しません。どっちも背負いなさい。それが選んだ者の責務です」
「……」
ソロは何も言わずに、言えずに、項垂れる。重くのしかかる事実に立っていられなくなったのか、膝を屈して――
「私の設計を超えた個体は好きよ。あなたも、ソアレ・アズゥも、実に見応えがあった。身を挺して他者を守ろうとした者もそう。窮地でこそ、末期にこそ、個体の在り様が浮かぶもの。生物の理を超えた選択、私はそれを美しく思う」
項垂れているソロに、この言葉を放つ女神の表情は窺えない。
ただ、
「だから、正直嫌いなの。それを全部なかったことにする、今回の奇跡は。でも、他ならぬあなたが選んだ。ならまあ、今回はいいでしょう、そう思うことにするわ。だけど、これが最初で最後。奇跡は何度も起きない」
アラムは珍しいものを見る眼でかつての主を眺めていた。
「そして気まぐれな神様のご褒美も、ね」
忘れるな、今回の奇跡を選び、お前は勝利を捨てたのだと。
他の誰も知らぬこと。
しかし、自分は知る。その選択を、死ぬその時まで。
「それではよい旅を。もう一人の立役者にもよろしくね。ではでは~」
女神は手を振りながら、ふわりと宙に浮かび、
「……ちょっとあそこまで昇るのめんどいか」
ぼそりと何かを口にして、次の瞬間にはその場からどろんと消えた。
どうやらあの裂け目を通り、ド派手に登場する必要はなかったようである。その裂け目も女神が去った後、すーっと消えて行った。
残されたソロはゆっくりと振り返る。
大樹に芽吹き、今にも復活しそうな生命力にあふれた仲間の姿を。
「……俺が選んだ、か」
勝利を捨て、仲間を取った。そんな格好いい話ですらない。一人が寂しいから、それを選んだだけ。そのことから目をそらしてはいけない。
少なくとも自分は一生、それを抱えて生きていく。
「……あいつらが起きたら、笑顔を作れよ、俺」
仲間には言わない。自分が選んだこと自体、それが重荷となるだろうから。それも口をつぐむ言い訳か、とソロは自嘲した。
誰にも言えぬ『嘘』を抱え、ソロは生きていく。
この先は彼が選んだ道である。
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