第27話:執念、二人

「一つだけ確認させてくれ」

「なんだい?」

「心臓を潰したとして、やたら再生しまくるあいつが殺し切れるのか?」

 譲渡の前にソロが質問を投げかける。幾度殴り、潰し、原型を失うほどのダメージを負ってなお、それでも元通りに戻った大樹を用いた圧倒的な再生力。

 時間制限があるのなら、それは明確にしておきたいところである。圧倒しました、だけど時間切れで負けましたではあまりにも締まらない。

「……確実に殺すこと『は』出来る」

「なんか含んだ言い草だな」

「生命の木が元になっているのなら、自らの命を、複製をストックしてある可能性がある。片翅とは言え、私を相手に嫌に強気だったのが気になる」

「……ダメじゃん」

「君が交戦すると同時に私が地下へ降りる。翅失えど武が完全に消えるわけではない。君が勝ち切るまでにこの醜い樫、へし折って見せよう」

「……なるほどな」

 譲渡前に絶対確認せねばならぬことがわかった。

「何処だァ⁉ 卑怯者どもめェ!」

 クリファの怒号が聖都に響く。どうやら立ち直った模様。目と耳に絞った悪魔的天使の技、驚天動地から回復したのだろう。

 時間がない。

「では、譲ろう。ふん!」

 ぶちぶちぶち、とアラムは力ずくで引き千切った。

 ソロは目を丸くする。

「……あの、もっとなんかそれっぽい演出なんじゃ」

「私は主とは違い効率重視なんだ。じゃ、刺すよ」

「刺すの?」

「刺す」

 千切った翅、その付け根をソロの背中めがけて突き立たせるアラム。天使の翅とは思えぬ強引な、パワー系な譲渡方法であった。

「いてっ!」

 そして普通に痛かった。

 しかし、

「お、おお! なんか、すげー力が溢れてきた!」

「それが天使の翅さ。さらばだ、我が友よ。よく、これまで付き添ってくれた。長き旅の終点、最後の輝きを見せてくれ」

 ソロは全身から力が漲る感覚に驚いていた。これなら勝てる、かどうかはともかく戦える。トロの変換効率次第だが、圧倒もあり得る、かもしれない。

 やったことないからよくわからないけれど。

「な、何をされているのですか? 『天界大将』閣下」

 怒り狂い、追いかけてきたクリファの怒りが消し飛ぶほど、それは翅に固執し続けた天使である彼には理解できぬ光景であった。

 天使が、それも最高位の存在が、人に翅を譲渡する。

 そんなことあってはならないのだ。愚、あまりにも愚の骨頂、あまりの出来事にクリファは震えていた。おぞましい、不快極まる、と。

 気持ち悪さが極まっている、と。

「荷物を預けたのさ。いつかは手放そうと思っていた、荷物をね」

「翅を失った私にはわかる。両翼を失えば、天使は永劫を失い、魔や人と同じく限りある時を生きねばならない。それを選んだ? わざわざ? 理解できない!」

「君も私と共に人の世を覗いていれば、理解出来ていたかもしれないね」

「気持ち悪ゥい!」

 クリファは自らの咥内に手を突っ込み、盛大に吐き散らかした。その醜悪な考え、受け付ける気はない、とそれで示した。

「たかが人間に、その翅を扱えますかな?」

「彼ならやれるさ。私はそう信じる……さあ、ソロ。見せてくれ!」

 『天界大将』アラム・アステール・ウドゥが託した翼は明日へと繋がるはず。此度の争乱、その大元への対抗手段であり、女神の宿願にも繋がろう。

 あの日、アラムは予感したのだ。

 路地裏に君臨する小さな狼を見出した時から――

「人の、我々造物の可能性を!」

 人はそれを運命と呼ぶ。アラムもまた、そう信じる。

 が、

「なあ、その、この翅って……もしかして年取らないの?」

「……ソロ?」

 ソロの様子がおかしい。

「当然だ。天使は永劫生きる。老いず、変わらず、それが高貴なる選ばれし造物、天使なのだ。主が我らに与えたもうた……スペシャーァル」

 アラムの代わりにクリファが答える。

「俺も引っこ抜いたら、譲渡って出来るの?」

「理解に苦しむが、可能だ」

 意外とクリファ、親切である。

「……そっかぁ」

「ソロ?」

「……いやぁ、トロに捧げたらなくなっちゃうだろ? それはもったいないなぁ、って。と言うわけで……ごめんね」

 ソロ、全力の跳躍。慣れぬが、すでに感覚の繋がった翅をバタつかせ飛翔した。

 そう、

「……ファッ⁉」

 目玉が飛び出るほど驚愕するアラム。たぶん、三百年の遍歴でも、それよりずっと長く生きてきた天使としての道のりでも、ただの一度もなかったものであろう。

 え、ここで、なんで、武神は唖然としていた。

「ぶ、はははははは! なんと、んなぁんと醜い選択か! いやしかし、ふふ、いいぞ、そうでなくてはなァ。人間とは醜きもの、まさにその証明である。褒めて遣わす、醜き人間の代表よ! だが、当然逃がさんよ!」

 逆にクリファは大喜びする。

 天使は高潔、魔物は下劣、人間は低俗で惰弱、それがクリファの価値観である。これまでの彼の抵抗は実に不愉快であった。

 それに彼は感じていたのだ。

 見てもいた。

 幾人か、少ないが誰かを守るため、わざわざ短い命を差し出す理解不能な行動を。あれを高潔とは思わない。ただの愚行だとは思う。

 それでも喉の奥に引っ掛かる何かは感じていた。

 しかし今、それは消えた。

 やはり人は醜い、愚か、そして欲深い、と。

「……では、私はこの辺で」

 抜き足差し足、逃げようとするアラムであったが、

「ご冗談を……『天界大将』、我らが天使の代表なのですから潔く敗北を認め、生き恥をさらされるな。生にしがみつくのは天使の所作ではありませぬよ」

「……今は流浪の吟遊詩人でね。まだ、歌い足りないので足掻くさ」

「愚ゥ!」

 当然どちらも逃がさない。あの一撃で見た目は多少なりとも回復しているが、中身はボロボロであり、さらになけなしの翅も失った。

 もはや二枚翅でも充分。

 むしろ、あの醜い人間の方に注力すべきなのだろう。

「四枚が一番バランスがいい。意識はあちらへ七、こちらに三で充分でしょう」

「くぅ……こんなはずではぁ」

 二枚追加の四枚翅、これで二兎を追う備えは出来た。

 もはや負ける要素はなくなった。

 絶頂のウィニングラン、

「さあ、幕引きです。閣下ァ」

「……気合いだ気合!」

 開幕。


     ○


「くそ、難しいな!」

 慣れぬ飛行に四苦八苦しながら、こちらを追ってくるクリファの追撃を、四方八方から襲い来る大樹の攻撃もかわし続ける。

『相棒よい、そりゃあ無茶ってもんだぜ』

「何の話だよ!」

『天使の大将閣下の提案受けるのがベターだったろ』

「馬鹿言え! 俺はこいつを売り抜くんだよ!」

『……』

 不老の翅、欲しい金持ちは山ほどいる。それを売ったら使い道の限られる聖剣なんぞよりもよほど儲かるだろう。

 此処で逃げ延びたら翅を売って、ファイヤー。

 人生上がりである。

 どぶ底からのスーパーサクセスストーリー、ハッピーエンド。

「翅の扱いは難しいだろう?」

「おう……え?」

「やあ、御機嫌よう」

 悠々並走するクリファが拳でソロをぶん殴る。成すすべなくぶっ飛ぶソロであったが、大樹がキャッチする前に翅を遮二無二動かし、何とか吸収は避ける。

 だが、

「逃がさんと言っただろうに」

 クリファは愛弓を構え、カース・オークの枝で精製した矢を番えて放つ。さあ、存分に踊り狂え、と。

 どうせこの聖都は袋小路。

 たかが人間に離脱することは敵わない。

「う、うぉぉぉおおおお!」

『死ぬ気で逃げろ相棒!』

「気合いだ気合!」

 無数の矢に追われ、絶叫しながら逃げるしかない。

 選択を間違えた。

 愚かな欲望に負けた。

「実に人間、嗚呼、気持ちいいィ」

 クリファは満面の笑みを浮かべていた。


     ○


「が、ぐ」

 膝をつくアラムは唇を噛む。二つ翅を失った。弱くなるのは当然であるが、もはやクリファの片手間にすら及ばぬのは情けない限りである。

 さらに時間経過と共に落ちる自分の力。

 クリファは勝利を確信し、逃げ惑うソロへほぼすべての意識を割いていた。今のアラムは取るに足らぬ、と言う認識なのだろう。

 それは間違いではない。思っていたよりも力の低下が激しいのは、おそらく八つ翅の一撃で、多くの機能を欠損してしまったから。

 もしかしたら――

(いや、考え過ぎか……彼が考えているのはただ一つだけ。信じていることも……私の介入で紛れることを嫌った。ふふ、本当に君は、変わったね)

 満身創痍、それでも立ち上がる。

「おや、まだやりますかァ?」

「無論。君のような下等な天使に、私が劣るなど許されない」

「……減らず口を」

 それでも戦う。拳を突き出し、一秒でも稼ぐ。

 少なくとも彼が諦めぬ限り、付き合おう。先ほどはあまりにも急で驚いた。しかし、考えれば当然のことであろう。

 彼はずっと、そちらを意識していたのだから。

 あの確認は、そういうこと。

「まだ、まだァ! 天獄・連牙!」

「しつ、こい! あなた、もう終わっているのですよォ!」

 翅無しでも、足掻く。

 だって――

「そろそろ、足掻くのもやめにしては如何かな?」

「やーだよ!」

「ちっ」

 幾度も矢に裂かれながら、気合の逃避行を見せるソロがいる。翅の扱いも少しずつ達者になってきたのか、先ほどよりも手をかけているのに、なかなか当たらなくなってきた。それでもゼロではない。如何に翅を得ても元は人間、いずれ尽きる。

 ただ、

「……なんだ、この違和感は?」

 追い回しながらクリファは少しばかり戸惑いを浮かべていた。引っかかりもあった。思えばこの男、最初から行動がおかしかったのだ。

 あの心臓ぶっ刺し未遂、あわやの時、自分の油断もあったが、大樹のセンサーにすら引っかからなかった。あの男はおそらく、足音を完全に近い形で、少なくともこちらが捕捉出来ないレベルで消すことが出来る。

 そう、出来るのだ。

 さすがにここまで注目していれば逃がすことはないが、逃げる機会などいくらでもあった。最初の邂逅でこちらを挑発などしなければ、隙を見て悠々逃げ出すことは出来たはず。だが、愚かな人間ゆえ翅の価値に目がくらんだ。

 一時はそう納得した。

 しかし、この執念深い逃げを見よ。粘り強く、つかず離れず、そう、絶妙な距離感を保ち続けている。

 これが愚か者の姿か。

 本当に、

「……」

「……っ」

 こちらを窺う視線、ただ確認しただけであろうが、何故か気圧された。その眼に浮かぶ強さ、光が消えていない。

 強者のもの。

 かつて、自分が見上げるしかなかったもの。根源的な畏怖の対象、アラムはそれを持っていた。あの先代魔王もそう。四天のドラゴンたちもそうだった。

 彼らほど絶対的ではない。振り撒いているわけでもない。

 でも、かすかに過ぎる。重なる。

 あれは――

「最初から、最初、確か、取るに足らぬ振動が、もう一つ」

 クリファの意識が、

「いや、ありえない。たった一人だぞ!? 取るに足らない、人間風情がどうこう出来る備えではない! だが、それならつじつまが――」

 下へ向く。

「トロォ!」

 その瞬間、全力で逃げていたはずの男が、凄まじい速度で旋回し、逃げ足よりもずっと速い速度で、距離を詰めてきた。

 剣を、牙を剥く。

 ようやく、道化が剥がれた。

「……馬鹿が。私の宝樹だぞ、カース・オークは。取るに足らぬ数が徒党を組もうと、絶対に破れぬし、辿り着けぬ絶対の備えだ」

 剣を木で精製した槍で受け止める。

 やはり、当たりであった。

「知るか! あいつがやるって言ったんだ!」

 焦るソロ、それを見てクリファはぐにゃりと笑みを浮かべた。ようやく、この捉えどころのなかった男の心臓を掴んだのだ。

 クリファは意識を下へ、下へと送る。

 接続した自分でもこの大きさともなれば、常にすべてを探知出来ているわけではない。むしろ、ほぼすべてを自動化しているからこその要塞であり、属人化を許さぬ機能性を追求した、完璧なシステム。

 そう、

「……は?」

 それゆえ気づかなかった。

「待て、待て待て待て待て待て待てェェェエエエ!」

 今の今まで。

「……はは、なんだよ。やっぱ口だけじゃなかったな、お姫様」

 今更知る。

 心臓を掴まれていたのは、自分であったことに。

 この男はずっともう一人を信じ、自分の意識を常に自分へ、上へと向けさせていたことに。今更、気づいた。


     ○


 景色が蒼く燃ゆる。

 ゆらゆらと。

「……ふふ、意外とやるもんね、ソアレ・アズゥも」

 どれだけの敵と戦っただろうか。途中から数を数えるのも面倒でやめた。これが終わったら自慢せねばならないのに、肝心の数がわからないのは致命的である。

 まあ、百万体は倒した、と自慢しよう。

 どうせあの男に数なんてわからない。

「あっ」

 皮で繋がっていた左腕がぼとりと落ちた。まあ、元々かなり前から感覚は失せていたし、今更どうでもいいか、と少女は笑う。

 姉から誕生日にプレゼントしてもらった剣も折れた。

 折れた剣で遮二無二戦った。

 右腕も途中で折れたから、口に咥えて振り回しもした。

 頑張った、胸を張ってそう言える。

「さあ、存分に逃げなさい。あとはもう、大丈夫、だから」

 どさり、と力なく少女は倒れ込んだ。

「ありが、と、わたし、なんかを、しんじて、くれ、て――」

 その眼から、少しずつ生気は消えていく。幾度灰になりかけても、何度も奮い立たせ、燃え盛り、抗った。

 きっと、敬愛する姉ならそうしただろうから。

 大好きで、少しだけ嫉妬もしていた。

「……」

 そんな姉を想い、少女は静かに目を瞑る。


 カース・オークのコア、自己愛の塊であるクリファが用意した己のスペア、其処に蒼き炎をまとった折れた剣が突き立っていた。

 気高く。

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