第五話 不協和音
三十年もの間、待ち望んでいた美里との生活は、幸福に満ちていた。
——そのはずであった。
『貴方、何時まで紅茶を飲んでいるの!』
怒った口調で怒鳴られて、私は俯く。紅茶は美里が長い眠りについた後に嗜み始めたのだが、目覚めた彼女はどうやらそれが気に食わないらしい。
共に暮らし始めた時はまだそうではなかった。しかしどうしてか、日に日に彼女の態度が苛立ちを帯び始めたのである。
「……美里、どうして君はそう怒っているんだ?」
『だって、今日は一緒にゲームをして遊ぶって約束していたでしょう! 私は二時間も待っているのに!』
「あぁ、ゲーム……」
彼女は昔から無類のゲーム好きであった。ゲーム業界は三十年前から爆発的な進化を遂げており、当時ではまだ実現出来ていなかった現実と区別のつかない超高度VR技術をふんだんに用いた最新ゲームに、現在の美里は大いに興味を示している。そこで、今日も一緒に遊ぼうと美里に誘われていたのであるが……正直なところ、その分野に関しては、私は時代に置いていかれていた。三十年前で時が止まっている美里とは異なり、私はもういい年をした中年なのだ。
老化が設定されているアンドロイド【美里】も同様で、確か四十を過ぎたあたりから互いにゲームというものから遠のいていったのであるが……。
「すまないが、私は遠慮させてほしい」
私がそう言うと、彼女は怒りの声を上げた。
『どうしてよ。昔は徹夜して遊んでくれたじゃない!』
「もう昔の話だよ」
かつての私を求められても困る。私がそう言うと『それでも、一言も話さずに一人で紅茶を飲んでいる貴方の態度は酷いわ』と彼女は私のことを非難した。しかし、私にとってはそれが習慣なのだ。確かに昔はそうではなかったのかもしれないが、美里に今の自分の在り方を否定されているように感じてしまい、私は眉を潜める。
「あれこれと文句ばかりを言って、私が君の言いなりになってほしいということか?」
『変なことを言わないで! 私はただ、貴方らしからぬ態度をとっているから、それを指摘しているだけで……』
「——私らしからぬとはなんだ。私はいつも通り過ごしているだけだ!」
あまりにひどい言い分に、私は思わず怒鳴り返してしまった。売り言葉に買い言葉という訳ではない。この頃はこういった言い合いが続いていて、年と共に穏やかになった私の我慢もついに限界に達したのだ。
私の大声に、美里のスピーカーからも対抗するように大音量が流れ始める。
『何よ、私を無下にし続けているのがいつも通りだっていうの!』
「そのようなことはしていない! むしろ、君が私のことを無視しているんじゃないか。私が話を振っても、君はそんな話は聞きたくないとばかり言う!」
『当り前じゃない! だって、私が冷凍されていた三十年間の話なんてされたって、私は分からないもの!』
「三十年前のことだけを話せというのが無茶だろう!」
私はその間も生きていたというのに、自分が生きてきた人生の半分を否定されるのは耐え難い。
「いいか、私は君のいない三十年間を生きていたんだ」
『ただのアンドロイドと生きてきた三十年が、どうして人間である私と過ごしていた日々よりも重要視されるのよ!』
「私の【美里】をそのように見下すな!」
気がついた時には、私は年甲斐もなく絶叫していた。
ピタリと喋る箱が凍りつく。
『……なによ。なによ、それ』
「なにとはなんだ。彼女は三十年もの間、私と共にいた人なんだぞ!」
『——信じられないわ! AIなんてただプログラムに沿って動くだけの意思のない機械じゃないの! 感情のある人間を疎かにして、ロボットを大切にする貴方の人間性が理解出来ないわ!』
「今やアンドロイドにも人権が認められる時代だぞ。あぁ、君が低俗な差別主義者だとは知らなかった!」
『そんなことを言われても私には分からないわよ! 私の方こそ、貴方が人形遊びに凝るような幼稚な人だったなんて知らなかった!』
互いの間にたまり切った鬱憤が、私達の理性を失わせる。
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