第72話 お友達
「まさか、アンがあの子に料理対決で負けるとはな」
料理対決を終えた私たちは、そのままケミス伯爵屋敷を後にして馬車の中にいた。
シータさんは私が帰ってしまうのが悲しかったのか、少し泣きそうな顔で私を見送ってくれた。
また必ず会いに来て欲しいと寂しそうな顔で言われてしまったし、また遠くないうちに会いに来るかもしれない。
そんなふうに別れを済ませた後、馬車の中でエルドさんは思い出したようにそんな言葉を口にしていた。
何か含みのある表情をしていたので無視をしようかとも思ったが、無視するにはあまりにも長く視線を向けられ続けたので、私は小さくため息を吐いてから口を開いた。
「……何か言いたげですね」
「まぁ、アンが料理でただの伯爵家の娘に負けるはずがないと思ってな」
ずっと私が多くの人の胃袋を掴んできたのを近くで見てきたからだろう。私が本気で戦ったら負けるはずがないという信頼がそこにはある気がした。
「別に、大袈裟に手を抜いたりはしていませんよ」
「え、そうなのか?」
どうやら、エルドさんは私がシータさんにわざと負けたと思っているみたいだ。
まぁ、勝とうとはしていないけど、別に進んで負けにいったりはしていない。
エルドさんが思いもしなかった言葉を受けたように固まってしまっていたので、私は馬車の景色を眺めながら言葉を続けた。
「元の材料が同じなんですから、味自体はどっちも変わらなかったと思いますよ」
もちろん作り方によって多少は味が変わることはあるが、そこまで大きな違いはなかったと思う。
プロと素人で比べれば違いは出るかもしれないけど、私もシータさんも素人なわけだから、大して違いはない。
「じゃあ、なんでケミス伯爵はシータ様が作った方を選んだんだ?」
「それはですね、愛です」
「あ、愛?」
私が得意げにそんなことを言うと、エルドさんは少しだけポカンとしてしまっていた。
……別に、そこまで可笑しなことを言ったつもりはないのだが、そんな反応をされると少し恥ずかしい。
今回、私は何も魔法の調味料を使わなかった。ケミス伯爵に食べさせるということは分かっていたけれど、そこに特別な感情はなかった。
それに対して、シータさんは違っていた。私にケミス伯爵を取られるんじゃないか、もっと自分のことを見て欲しい。お父さんに美味しいと言ってもらいたい。
そんなケミス伯爵のことを強く思った愛がある料理に、魔法も愛もない私の料理では勝てるはずがなかったのだ。
まぁ、現実的な話をすれば、必ずしもそれだけというわけではないけど。
「ケミス伯爵はシータ様のクッキーを何度か食べています。もしかしたら、結構な頻度で食べていたかもしれない。なので、ケミス伯爵はどちらがシータ様が作ったクッキーかはすぐ分かったと思います」
いくら同じ材料と言っても、舌ざわりとかバターの風味とかは作り方で少しは変わってきたりする。
多分、今まで食べてきたクッキーと初めて食べるクッキーの違いくらいは分かるだろう。それに何より、シータさんがあれだけ分かりすい表情をしていればすぐに分かるはずだ。
「両方同じ味なら、食べ慣れた触感の方が美味しいと思いますよ。そこに自分の娘の成長が感じられるなら、それも美味しさとして加算されますし」
そもそも、ケミス伯爵に美味しいって褒めてもらうのが勝敗の基準という時点で、私に勝ち目はなかったのだ。
無理やりその勝敗を覆すこともできたかもしれないが、それだとケミス伯爵とシータさんの間にできた小さな溝を深めるだけ。そうならないように、私は流れに身を任せて負けたのだ。
「なるほどな。じゃあ、あの場に俺とシキが審査員で加われば、アンが勝っていたってことか」
エルドさんは私の言葉に納得するように頷いた後、当たり前のことを言うみたいにそんな言葉を口にした。
「……エルドさんにも、シキにも私が作ったお菓子を食べさせたことはないじゃないですか」
「でも、娘が作ったもの方が美味しく感じるんだろ? それなら、アンが勝つだろ」
あまりにも何でもないことみたいにまっすぐ過ぎる言葉を向けられて、私は何も言えなくなってしまった。
そんな私の心情を悟られないように顔を背けていると、エルドさんの小さな笑い声が聞こえた。
「それでも、シータ様はアンに勝ったことを誇りに思うだろうな。奇跡の料理人に勝ったんだから。……もしかしたら、将来アンに並ぶ奇跡のお菓子屋とかになってるかもしれないぞ」
「並ばせませんよ。今度は私が勝つって、約束したので」
もしかしたらのそんな未来を想像して、私は口元を緩めながらそんな言葉を口にしていた。
今度シータさんと戦うことがあったら、その時は勝たせてもらおうとしよう。そのためにも、もっと料理の腕を磨いてもいいかもしれない。
私がまだ調理していない食材を使って、美味しい料理を作って食べて。そんな生活をするのもいいような気がしてきた。
……あとでエルドさんに相談してみようかな。
「まぁ、何はともあれ友達ができたのはよかったかもな」
「友達、ですか?」
私はエルドさんからの言葉を受けて目をぱちくりとさせていた。
言われるまで気づかなかったが、一緒に料理をしたり、お別れのときに泣きそうになったりする関係は確かに友達と言える関係なのかもしれない。
「……そうですね、よかったです」
どうやら、私は初めて人間の友達ができたらしかった。
自分でも気づかなかったその事実を前に、私は自然と口元を緩めていたみたいだった。
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