第71話 娘の成長
ケミス伯爵の部屋に行く途中でエルドさんと出会い、勝負の行く末を見ると言い出したエルドさんと共に私たちはケミス伯爵の部屋に向かった。
「お父様、シータです。少しよろしいですか?」
「ああ、入ってくれて構わないよ」
シータさんがケミス伯爵の部屋をノックすると、少し明るい声色をしたケミス伯爵の声が返ってきた。
ケミス伯爵の娘に対する接し方ってこんな感じなんだとか思いながら、シータさんがその扉をゆっくりと開けた。
「おや? お二人も一緒でしたか」
ケミス伯爵は何か机の上で作業をしていたようだったが、私たちを見てその手を止めてゆっくりと立ち上がった。
その顔色は初めて会った時に比べると見違えるほど良くなっており、紳士的な笑みが良く似合うくらいに健康な顔をしていた。
「お父様! この二つのクッキーを食べ比べて、美味しいと思う方を教えてください」
シータさんはそう言うと、別々のお皿に盛られたクッキーが載ったトレーをケミス伯爵に差し出した。
「このクッキーは?」
「片方は私が、もう片方はシータ様が作ったものです」
説明を求めるようなケミス伯爵からの視線を受けて私が答えると、ケミス伯爵は目をぱちくりとさせて驚いているようだった。
「これをシータが作ったのかい?」
「はいっ、お父様のために頑張って作りました!」
シータさんはそう言うと、真剣な表情でケミス伯爵を見上げていた。
ただ娘が父親のためにお菓子を作ったような微笑ましい光景のはずが、今のシータさんの目は私との勝負を強く意識しているようだった。
まぁ、そんな目にもなるか。私の作る料理に嫉妬して、勝負を持ち込んできたくらいだしね。
そんな娘の意気込みを感じ取ったのか、ケミス伯爵はじっとシータさんの手元にあるクッキーを見つめた後、片方のクッキーを手に取った。
「それじゃあ、いただこうかな」
ケミス伯爵がクッキーを口に運ぶ様子をシータさんは息を呑んで見つめていた。
それだけ真剣に見つめていては、どちらが作ったのかバレてしまうぞと思いながら、私はその必死な表情を横目に口元を緩めていた。
そして、その手にしたクッキーを口に運んだケミス伯爵は、少し感動するように息を吐いた後ゆっくりと口を開いた。
「うん、美味しいね。香ばしい茶葉の香りがして、とても上品なクッキーだ」
シータさんは褒めてもらえたことが嬉しいのに、自分が作ったものだとバレないようにしているのか、必死にその表情を隠そうとしていた。
それでも隠し切れずに口元が緩んでしまっているのは、ご愛嬌ということで。
「それでは、こちらもいただこうか」
ケミス伯爵はそう言うと、もう一つのクッキーに手を伸ばして、それを口に運んだ。
言うまでもなく、こちらが私の作った方のクッキーだ。
そのクッキーを食べたケミス伯爵と目が合った私は、そっと目を閉じてから口を開いた。
「どちらのクッキーが好みか、また食べたいと思うかで判断していただければと」
念のために最後に一押しだけして、私は小さく笑みを零していた。
勝負をする意味があるのか分からないくらい、この勝負は初めから勝敗が決まっていたのだ。
私はそんなことを考えながら、ケミス伯爵からの言葉を静かに待った。
「……私は、初めに食べたクッキーの方が好みかな」
「お父様、本当ですか?!」
「ああ、シータはどっちのクッキーを作ってくれたのかな?」
「初めに作った方です! お父様が選んでくれた方です!」
シータさんは選んでもらえたのがよほど嬉しかったのか、その場で可愛らしくぴょんぴょんと跳ねていた。
それに合わせて揺れる二つに結んだ髪が可愛らしいなと思いながらが、私はそっとその場を離れようとした。
家族が喜んでいるところに、私がいるのも邪魔だろう。そんなことを考えた私は、エルドさんに目配せをして、共にケミス伯爵の部屋から出ようとした。
「ま、まって!」
しかし、私たちがケミス伯爵の部屋を後にしようとしたとき、後ろからシータさんに呼び止められてしまった。
何だろうかと思って振り返ってみると、私と目が合ったシータさんは一瞬恥ずかしそうに目を逸らした後、じっと私の目を見つめながら口を開いた。
「その……あ、ありがとうね」
何に対するお礼なのか。色々とバレないように上手くやっていたつもりだったのだが、どうやらバレてしまっていたらしい。
まさか、こんな幼女にバレてしまうとは思わなかった。
それでも、どこまでバレているのか分からなかったので、私はその言葉の意味に気づいていないフリをすることにした。
「今度は負けませんから、首を洗って待っていることですね」
少し演技がかってしまった口調でそう言うと、シータさんは私の言葉を受けて満面の笑みを浮かべていた。
「うんっ!」
いや、この流れで満面の笑みはどうなのよ。
そんなことを考えながら、口元を緩めてしまっている私もどうなのだろう。
なんだかあんまり締まらなくなったなぁと思いながら、私はその場を後にしたのだった。
こうして、クッキー対決は私の敗北で幕を閉じたのだった。
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