第10話 聴取 当主 斎藤雅也(72)

 本日から1日1話更新となります。






 寝室のドアが開き、小夜子と二人の刑事が入ってきた。

 山中に抱いていた猫を渡し、小夜子が枕元に駆け寄った。


「旦那様……よかった。気が付かれたのですね。心配したのですよ?」


 顔色が悪いままの斉藤が小夜子に手を伸ばした。


「みつかったか?」


「……いいえ。まだですわ。今しがた警察の方達がいろいろと調べて下さって……刑事さんも来ておられます」


「刑事?」


 小夜子が伊藤刑事の方に顔を向けた。

 伊藤がのそっと動き、ベッドに横たわる斉藤の顔を覗き込む。


「失礼します。私は池波署刑事三課の伊藤大吉と申します。こちらは藤田建造です。本日18時に通報を受けました。鑑識捜査はすでに終了しており、今は皆さんにお話を伺っておりました。ところでお加減は如何ですか?」


 斎藤が苦虫をかみつぶしたような顔で答える。


「最悪だ。とにかく早く見つけてくれ。あれは……あの宝石だけは手放すわけにはいかない」


「あの宝石というのは『女神の涙』と呼ばれているものですね? あまり詳しくはないのですが、ピンクダイヤモンドだと伺っています」


「ああ、鑑定書は銀行に預けてあるから山中にでも取りに行かせればいい。大きさこそ9カラットしかないが素晴らしいファンシー・ビビッドで、南アフリカで発掘されたものの中でも一番だろう。しかしその希少性よりも由緒が……ゴホゴホッ」


「旦那様、まだダメです。もうおしゃべりは終わりですわ。由緒の話をしたいのですね? 私からお話ししておきますから、もう休んでください」


 小夜子がゆっくりと斉藤を窘めた。

 後ろから山本医師が声を出す。


「せっかく呼吸が安定したのに興奮するとはお前らしくもない。まああれが失せたのだから仕方が無いが、今はとにかく安静にしていろ。今から注射をするぞ、血圧を下げるいつものやつだ。それと睡眠導入剤も入れておく」


 斎藤が小さく何度も頷いた。

 伊藤が慌てて質問を口にした。


「申し訳ありません、これだけはご本人に確認しないといけないので。声は出さずに頷くだけで結構ですから」


 山本が不機嫌そうに眉を顰めたが、伊藤はまったく意に介さず声を出した。


「朝確認された『女神の涙』は本物でしたか?」


 斎藤がうっすらと目を開けて頷いた。


「夕方に確認されたときには無かったのですね?」


 斎藤がギュッと目を瞑った。

 少し呼吸が荒くなる。


「もう終わりだ。これ以上興奮させたら拙い」


 山本が止めに入り、伊藤の体をベッドサイドから遠ざけた。

 体を押されながらも粘る伊藤。


「無かったのですね? 斎藤さん」


「無かった……無かったんだ……」


 絞りだすように斉藤が答えた。


「出て行きたまえ!」


 山本が鋭く叫び、テーブルの上に並べていた医療道具から注射器を手に持った。


「斉藤、打つぞ。頼むから落ち着くんだ。あと三年……あと三年なんだぞ。がんばれ」


 片方の口角を少しだけ動かし、斉藤は再び目を瞑った。

 山本が斉藤の腕をまくり、注射針を突き刺した。

 寝室に沈黙が流れる。

 誰も口を開かないまま、時間だけが過ぎていった。


「無茶はしないでくれ」


 枕元で斉藤の様子をずっと伺っていた山本が、ホッと溜息を吐くように声を出した。


「すみません。ご本人からの申し出でないと動けないので……無理をさせてしまいました。申し訳ありませんでした、奥様」


 伊藤刑事の声に小夜子が答えた。


「いいえ、お仕事ですもの。それに刑事さんが仰るように本人の証言はとれたのでしょう? これで問題なく捜査ができるのでしょう? でしたら問題ありません」


 山本医師がずっと手に持ったままだった注射器をトレイに戻した。


「いいか、これは警告だ。本当にもう拙い状態なんだ。もしまた斉藤を興奮させるような行動をとるなら正式に抗議させてもらう。心臓を患っている人間を興奮させるなど、間接的な殺人行為だぞ」


「申し訳ありませんでした」


 伊藤と藤田が深々と頭を下げた。

 小夜子が取りなすように口を開いた。


「先生、でもこれで捜査が進みますわ。もうお怒りは収めてくださいな。ご主人様はそれほど弱くはございませんよ?」


 山本が小夜子の顔を見て微かに微笑んだ。


「ああ、小夜子夫人の言うとおりだな。何があってもあと三年は頑張るだろうよ」


「ええ、きっと大丈夫です」


 小夜子がそう言いながら、二人の刑事に目線で退出を促した。

 山中が寝室の扉を開く。


「さあ、先ほどのお部屋に参りましょう。お茶を準備させますわ」


 小夜子の言葉に部屋の隅に控えていた千代が動いた。


「山中さんはここにいてちょうだい。刑事さんたちのお相手は私がします。一応寝室の準備をお願いね」


「畏まりました」


 斎藤が目を覚ましていたほんの数分で、屋敷の中の空気が変った。

 今にも息を止めそうなほど弱っているはずの当主が放ったインパクトに、伊藤は戦前戦後を生き抜いた男の不気味さを感じ取った。

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