第20話 いざ戦場へ

—1—


「兄さん、水飲みますか?」


「ああ、ありがとう」


 助手席に座っていた亜紀がペットボトルの蓋を外してこちらに差し出してきた。

 5月とはいえ夏が近づいていることを感じさせる日差しの強さ。水分補給は欠かせない。

 実技訓練当日が悪天候じゃないだけ救いだったか。


 車を走らせること40分。

 後部座席に座る一条と四宮は車窓から見える景色を無言で眺めている。一条は精神統一を、四宮は帰りたいとでも思っているに違いない。

 目的地が近づくにつれて薄らとだが灰色の霧が視界に入るようになってきた。


「もうすぐ着くぞ」


 実技訓練の目標地点は仙台空港。

 岩沼市からスタートして仙台空港を目指す10キロのコースだ。

 仙台空港は大和さん率いる前線防衛組の拠点の1つでもある。

 周囲の安全性に不安要素は無い。

 が、道中は野良の魔族の生息区域があったりと交戦は避けては通れないだろう。


 亜紀のチームは車に同乗している一条と四宮。

 もう一方のチームは本人の希望もあって那由他さんが引率している。

 別地点からのスタートになるが目標地点までの距離は公平性を期すために10キロにしてある。


 那由他さんが実技訓練に同行することで本部の業務に支障が無いのか確認を取ったが、百園さんに対応を任せているから問題無いとのことだった。

 秘書にして隊長代理を任されるとは百園さんの優秀さには驚かされる。


 野良の魔族を蹴散らしながら進むこと20分。

 ようやく目的地である岩沼市に到着した。

 駅前は閑散としていて人通りが少ない。


 2037年の人間界と魔界を繋ぐゲートの発生。

 2039年の第一次魔族大戦。

 生き残った住民は個人の判断で居住地に残ることを許されているが、いつ魔族が襲い掛かってくるかも分からない状況では残る選択肢を取る人は少数派となった。

 今では生まれ育った故郷を捨てて安全区域に移り住む人がほとんどだ。


 定刻3分前に那由他さんから着信が入った。


「もしもし、こちらは準備が整いました」


『こっちも問題ない』


「那由他さん、本部を離れて本当に良かったんですか?」


『私には英雄候補生の成長を見届ける義務があるからね。本部には百園隊員をはじめ優秀な隊員が揃っている。私が抜けたところで大して問題にはならないさ』


 会議でも話に上がったが那由他さんは神能十傑の新メンバーを埋める枠として英雄候補生に期待をしているのかもしれない。


「定刻になったら生徒に合図を出して頂き、我々は緊急時に備えて生徒に気付かれないように後を追いましょう」


『奈津隊員、すまないが私は急用が入ったので少し席を外す。訓練開始の合図は出すから安心してくれ。用事が片付き次第英雄候補生の後を追う』


「分かりました。ではそろそろ時間になりますので」


 通話を切り、訓練開始まで30秒前。

 亜紀と一条と四宮はマップアプリを起動して仙台空港までのルートの最終確認を行っている。


「時間ですね」


 オレの視線に気付いた亜紀がスマホをポケットにしまった。


「実技訓練開始!」


 人類の未来を背負う可能性を秘めた3人が一斉に飛び出した。


—2—


 ——那由他蒼月視点。

 実技訓練が開始されてから数分。

 私は当初の計画通りとある魔族と接触していた。

 漆黒で覆われた肉体に炎のような模様が刻まれている魔狼が2体。

 魔狼の進化形態である黒焔狼だ。

 黒焔狼の戦闘力は中級に分類される。知能が高く、他の個体とも連携を取ることができる。


「黒焔狼、遠慮はいらない。ここで彼等が命を落とそうが訓練中の事故ということで片付けられる。さあ行け」


 この黒焔狼は奈津隊員が使役していた個体だ。

 東京から宮城まで1時間以内で走ってみせた脚力が武器だ。

 奈津隊員が極秘裏に使役し、移動手段として鍛え上げたのだろう。

 規約違反として2体を没収して今回の訓練で活用することにしたのだ。


「これは必要な手順だ。この程度のトラブルを乗り越えられないようでは我々の未来は開かれない」


 すでに黒焔狼の姿は見えなくなっていた。

 試練、困難。

 誰かの手によって作り上げられた障害を乗り越えたところで得られる経験値はたかが知れている。

 それでもやらないよりは幾らかマシだ。


 絶望的な状況を前にしたあの感情は試練や困難という言葉で片付けられるほど優しくはない。


 この世界の本質を理解しているのは私だけだ。

 だから私は鬼にならなくてはならない。

 私が鬼にならなくてはならない。

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