第9章 見鬼と妖魔?

 第八話 見鬼と妖魔?


「へぇ〜、本当に左右の眼の色が違うんだ……!右眼がブルー。左眼は、金色か、グリーンに近い色ね……」

 薫的神社の傍らにある小さな庵。トミという祈祷師──この地方では、『太夫(たゆう、または、たいゆう)』という──と、中学校を卒業したばかりの少女、スエが、暮している。その祈祷場に、新しい住人?が加わった。オッド・アイと呼ばれる、左右の眼の色が違う白い仔猫だ。

 友人のユミから、白蛇の事件の顛末を訊いた、馴染みの客?のアイコが、白猫を抱きあげて、スエに言ったのだ。

「あんた!猫を見にきたガかね?それとも、また、失恋して、尼になる!ゆう相談かね……?」

と、神棚の御幣を新しいものに換えながら、太夫がアイコに尋ねた。

「失恋?いえ!あの男性、山田隆夫さんとは、お会いしていないんです……」

「あら?水産試験場で会ったガやなかったかね?」

「お顔を見ただけで……」

そう言って、アイコは目を伏せる。

「こんにちは!スエちゃん!猫を飼い始めたんだって……?珍しい猫だ!って、アパートの大家さんに訊いて、ね!僕は、魚以上に猫が好きなんだよ……!」

そう言って、庵に入ってきたのは、今話題にしていた、山田隆夫、本人だった。

「プッ!」

と、スエが吹き出した。

「おやおや、『噂をすれば……、』かね……?ちょうどエイ機会ゾネ!『お祓い』はヤメて、『お見合い』にするかヨ……」

「はあ?何の話ですか……?」

と、怪訝な顔をして、隆夫が訊いた。

「あんたの言う『大家さん』の桃枝さんにも、頼まれチョッたガよ!あんたもエイ歳ヤキ、お見合いの相手を探してくれんろうか……と、ね……。あんたにちょうどの人が居るガよ!この人!三好アイコさん、ゆう人よね!」

「三好アイコさん……?」

「山田隆夫さん……?」

と、お見合い話のふたりが同時に、不思議そうに、視線を合わせた。

「あっ!夢に出てきた……」

と、隆夫がアイコを指差して、叫んだ。

「夢?」

と、アイコが不安気に尋ねた。生霊として、人違いで隆夫に祟っていたのだから、恐ろしい夢に出てきた女かもしれない、と思ったのだ。

「あれは、予知夢?正夢?だったのですね……!何故か、雲の上で、キスをしているんです……。その人の顔が、あなただったんです……」

と、隆夫が真面目な口調で、夢のことを語る。

「キスシーンの相手?隆夫さん、それって、『エッチな夢……』なんじゃあないのですか……?」

「スエちゃん!そ、そんなことはない!お姫さまにキスを……。つまり、僕は、『白雪姫』か『オーロラ姫』を目覚めさせる『王子さま』になった夢を、見ていたんだよ……!」

「まあ、助平な夢でもエイキニ!もう適齢期を過ぎた大人ゾネ!キスどころか、子を授かる夢でもエイキニ!どうゾネ?ふたり、お見合いをせんかね?」

「お師匠さま!お見合いの段階は、夢で済ませていますよ!お付き合いを始めませんか……?ですよね……?」

「おう!そうじゃった!夢の中で、ふたりは、お姫さまと王子さまで、お見合いは済んジョッタ……!何なら、御神前で、お誓いをするカヨ?『吉祥天さん』なら、良縁に御利益があるキニ……」

「お師匠さま!気が早いですよ!ふたりがここで逢えたのは、もしかしたら、このオッド・アイの白猫の所為かもしれませんよ!オッド・アイの猫は、幸運をもたらすそうですから……」

「スエちゃん!お願い!その猫!わたしに譲って!隆夫さんとふたりで、大事に育てたいから……」


「なんだ!オッド・アイの白猫をアイコにあげたのか……?」

翌日、やってきた私立探偵のシロウが、落胆したように言った。

「あの白猫が自らアイコさんの側に行って、掌を舐めて、次には、隆夫さんの掌を舐めたんです!それから、『ニャア~!』と鳴いたんです!ふたりの元で暮らす!って宣言するみたいに……」

「それは、スエちゃんの思い込みだゼ!単なる、偶然さ!隆夫の掌は、魚の匂いがしたんだ!水産試験場で働いているんだから、な!アイコの掌には、鰹節の匂いでも、したんだろうよ……!」

「もう!シロウさん、理路整然過ぎて、ロマンがないですよ!」

「マッコト、スエの言うとおりヨ!探偵ヤキ、しょうがないケンド……。それより、探偵さん!何の用ゾネ?」

「用がなけりゃあ、来ちゃいけねえのかよ?スエちゃんに悪い虫が付かないか、心配なんだよ!いや、虫じゃない!妖(あやかし)だった……」

「しっ!探偵さん!『噂をすれば、影がさす!』ゆうキ!妖の話は、センほうがエイ!ここは、結界を張っチュウケンド、一歩外に出たら、危ないゾネ……」

「婆さん!脅かすなよ!もう口にはしないから……、そうだ!俺にも『荼枳尼天』か『孔雀明王』の護符をくれよ!料金は、後払いで、さ……」

「そのふたりは、女神さんゾネ!『毘沙門天』さんか……、そうよ!『不動明王』さんが最強ゾネ!ただし、探偵さんが、それを信じてくれんことには、御利益がないケンド、ねぇ……」

「信じる、信じるよ!ここの御札のおかげで、老衰しそうな『浦島太郎』の出来損ないのシンスケが、髪の毛は白いままだけど、身体や顔の皺(しわ)も皮膚の艶も、八割がた、回復したそうじゃないか……?婆さんのパワーと霊能力は、はっきりと、認めるよ……」

「ホイタラ、『不動明王』さんの真言を教えるキ……」

と言って、太夫が一枚の護符を神棚から取り上げる。

「こんにちは!」

太夫が、シロウに真言を教えていると、扉の外から、女性の声がした。

「おやおや、今日は、お金にならん客ばっかりが来るねぇ……。あの声は、ユミゆう娘やろう?探偵さんに、惚れちゅう……」

「ば、婆さん!惚れている?その探偵って俺のことかい……?嘘だろう?俺は、バツイチだぜ……!」

「あんたは、スエが好きになるくらい、エイ漢ながよ……!適齢期で、普通の男では物足りン、あの娘には、あんたのエイ部分しか見えてない……。まあ、それでも、相性は良さそうヤキ……、探偵さん!あんた次第よね!過去を踏ん切ることができるかどうか、ゾネ……!」

「婆さん……。それは予言かい……?」

「お邪魔します!あっ!やっぱり西郷さんの車だったんだ!今日は、仕事が休みなので、薫的さんにお参りに来たのよ!新しいラジオの番組が成功しますように、ってね……!」

「それで、シロウさんの車を見つけて、ここへ顔を出したのですね?」

「ええっ?別に……、シロウさんが目的じゃないわよ……。そうだ!例の白猫!外に出ていたよ!」

「白猫?あの猫なら、アイコのところだぜ……!アイコの、『たってのお願い!』で、貰われて行った、とさ……!」

「あら?そうなの?じゃあ、別の白猫か……?」

ユミが不思議そうに、扉の外を振り返る。

「ミャア~、ミャア~!」

と、仔猫の鳴き声が聞こえてきた。

「おや?仔猫のようだね……?スエ!これは……、何かの前触れだよ!探偵さんと、スエと、ユミさんの三人が揃ったタイミングで、現われるなんて、偶然では、ないよ……!」

「婆さん!ヤメてくれよ……!また、妖と争うことになる!っていう予言かよ……?」

「そういうこと……。『不動明王』の護符と真言が、ハヤ役にたつ!ってことよね……。しっかり、真言は覚えたかよ……?」

「婆さん!もう一回、頼む……」


「この子は、オッド・アイではないですね?しかも、オス猫のようですよ……」

シロウとユミを見送ったあと、庵の前庭にいた白い仔猫を見つけて、スエはミルクを与えている。

「どうやら、捨て猫のようやね……。次に訪ねてくるお客さんに、大いに関わりそうや!スエ、この子は長生きはできないよ!何かの役目を背負って、ここへ来たガヤろうキ……」

「お師匠さま!それは我々と妖がまた戦うということですか?この前の白蛇のように、話し合いでは解決できないほどの邪悪なモノなんですか……?」

「この子を式として、使わないと勝てないほどのモノ……。御札や護符では、退治できない……」

「この子を式に?切り紙では、なくてですか?」

「紙の式では、かすり傷もつけれんよ!きっと、それバアのパワーがある、モノながよ……!」

「可哀想に……。じゃあ、それまでは、美味しいご飯を食べらしてあげましょう!」

スエがそう言って、お皿にミルクを足してやる。

「スエ!お客さんが来たようだよ!」

太夫がそう言うと同時に、玄関先に人影が見えた。

「こんにちは!トミさん!居るかよ……?」

太夫を『トミさん』と呼ぶ、珍しい女性客だ。扉を開けて入ってきたのは、太夫と同世代くらいの婆さんだ。薄汚れた木綿の着物姿にもんぺを履いていた。

「おや?これは珍しい!おトキさんやないかね!元気にしよったかね……?」

太夫が驚いたような声をあげ、その老女を祈祷場に招き入れた。

太夫がスエに老女を紹介する。おトキという老女は、太夫の妹弟子だった人で、太夫の師匠の片腕として、霊視を行っていた。つまり、霊能力者だ!しかし、その霊を祓う祈祷の能力は、併せ持ってなく、師匠が亡くなるとすぐに、霊媒師を辞めてしまった。

「この娘は?トミさんの新しい弟子かね?おや?凄いね!荼枳尼天さんの加護を受けちゅうばかりか……」

「おトキさん!それから先は、まだ、内緒ヤキ……!」

と、太夫がおトキの言葉を遮った。

「そうやった!あんまり知りすぎると、能力の開発の妨げになるガヤった……」

「それで、今日は何の用で来たガゾネ?昔話でもしたいガかね……?」

「いや、あんたに教えておきたいことがあって、ね……。実は、この娘のような娘さんを見つけたガよ……!名前は、ミユキ、ゆうて、まだホンの子供、小学生やが、霊視ができる。つまり『見鬼』の才能があるガよ……!」

「どうして、それがわかったゾネ?」

「その娘が地面に釘で絵を描きヨッタ。何の絵を描きゆう?と、訊いたら、三日前に死んだ爺さんの肩に乗っていたモンや!と答えた。アテが見た、その爺さんに憑いチョッた『死神』の絵やったガよ……!」


「お師匠さま!妖魔に取り憑かれるのは、あのお婆さんなのですか?それとも、見鬼の才能があるという、ミユキさんという女の子のほうですか……?」

トキという婆さんが、また来ると言って庵をあとにした後ろ姿を見送って、スエが太夫に尋ねた。

「さて?アテには、まだ妖の姿が見えん!おトキさんには、妖は憑依できんはず……。ミユキという女の子が、どれバアの霊能力を持っチュウか……?今、表面に現れチュウ能力が、スエが子供のころと同じように、ホンの一端やったら、妖も警戒して、取り憑くことはないろうケンド……」

「では、妖は別の誰かに取り憑く……?それを、トキさんかミユキさんが見つけてしまう……?」

「ほうよ!スエ!オマン、予知能力も開発してきたかよ……?」

「ええっ?これは『予知』ではなく『推理』ですけど……」

「おやおや、探偵さんの影響かよ?じゃが、その推理は、間違うてないゾネ……」

「では、我々ができることは……?」

「この白猫を式にして、ミユキという女の子を見守るしか、手はない、ね……。おトキさんが自力で対応が、できたらエイけんど……」

「ミユキさんに、シロが式だとわからないように、自然に引き合わせないといけませんね?」

「探偵さんに頼んで、おトキさんとミユキゆう娘を調べて貰うか……?探偵料は、この前の『不動明王』の護符代で、チャラにして貰おう……」

「何だって?護符代をチャラにしてくれるのか……?」

開けっぱなしの扉の傍に、今話題にしていた、探偵のシロウが立っていた。

「それに、俺が式だとわからないように、って言ってなかったか……?」

「シロウさん!帰ったんじゃなかったのですか?それに、式になるのは、この白猫のシロで、シロウさんではありませんよ!」

「何だ!白猫にシロって名前をつけたのか?紛らわしな……!」

「式として使うから、最もありふれた名前にセンとイカンがよ……!それで、探偵さんは、何の用ゾネ?」

「ユミさんを送ってきたんだ……。その別れ際に……、キスをされた……。婆さんの予言どおり、彼女は、俺に惚れている……。結婚を前提に、付き合って欲しいと言われたよ……」

「まあ!素敵!わたしは大賛成ですよ!」

「無理だ!俺は、前に少し話したが、ある意味『犯罪者』なんだ……!娘のユリエが不治の病で、手術に金が要った。その金を作るために、警察の情報をヤクザに洩らしたのさ……。その金で手術をしたが……、娘は助からなかった……。ヤクザとの関係がバレて、警察は自主退職。女房にひどいことを口走って、離婚……。ヤクザのツテで、探偵になって……、まあ、脅迫染みたこともやってきたのさ……」

「じゃが、ヤクザとは、縁を切ったガよねぇ……?」

「ああ、ある事件で、雇われていたヤクザの組織が警察の所為で、幹部が何人もムショ行きになって、組の力が弱まった。それで、縁を切った!霊媒師のショウコと組んで、ショウコの手伝いや、浮気調査をして、なんとか商売になっているよ!ヤクザ絡みのころに、貯めた金もあるし、最近は、元の刑事時代の仲間から紹介して貰って、保険会社や、弁護士事務所から仕事を貰っているんだ……。でも、一番世話になったのは、柔道の師匠と、その知り合いの旅館の女将さんだなぁ……!俺をまっとうな人間に戻してくれて、仕事を回してくれたんだよ……」

「旅館の女将?まさか?『はちきん』さんやないろうね……?」

「おや?婆さん!刻屋旅館のはちきんばあさんと知り合いか……?」

「やっぱり……お寅さんか……」

「ああ、それと美人の若女将と、駒っしゃくれた、ガキの名探偵がいるんだよ!」

「そうやったガヤねぇ……!スエの能力が開花したガも、お寅さんの御札のおかげやった……。スエと探偵さんは、はちきんばあさんで、結ばれチョッたガよ……」

「あの薫的さんの狛犬にそっくりな、お顔の……、『閻魔大王』の化身のような、おばあさんですね?お師匠さまの幼なじみの……」

「ええっ?まさか、はちきんばあさんと、太夫の婆さんが、幼なじみだったのか……?そりゃ、妖なんて、『目糞鼻糞』も同然だぜ……!」

「そうか……!お寅さんを遣う手が、あるか……?」

「婆さん!妖と戦うことになったのか……?もう一回、不動明王の真言を教えてくれよ……」


「ノウマク・サンマンダバザラダン・カン」

 車を運転しながら、私立探偵のシロウが真言を唱えている。太夫から教わった『不動明王』の真言だ。

「ふふ、やっと覚えましたね?でも、真言を唱えるだけではダメですよ!不動明王の力を受け取って、その『気』を護符に注ぎ込まないと、意味がありませんよ……!」

助手席に座っている、スエが微笑みを浮かべながら、シロウに話しかける。

「おいおい、無理を言うなよ!俺は密教の修行はしてないぜ!気を吹き込むなんて、出来やしないよ……」

「大丈夫!シロウさんは、柔道の達人ですから……。『一本背負い』をかける時の気合いを護符に向ければ良いんです!武道家の気合いが、密教の気に通じるんです!」

「なるほど!それなら、俺の特技が活かせられるな……」

「でも、一番大切なのは、護符の力を信じることですよ!不動明王の場合は、最強のパワーを持っていますから、ヘタに扱うと、パワーが自分に降りかかりますよ!不動明王は、悪霊や妖魔を剣と炎で退治するのですから……」

「この前の『孔雀明王』より、パワーでは、上になるんだよね?まあ、なんとかなるさ……、というより、白猫のシロが、妖魔を退治してくれたら、いいんだけど、ね……」

「シロウさんが調べてくれた、ミユキさんの日常の『学校帰り』に合わせて、シロを迷い猫として、放ちましたから、うまく、ミユキさんの傍にシロを置くことが出来ました。あとは、どんな形で妖魔と接触するか、だけど……?」

シロウとスエは、先ほどまで、トキ婆さんの住んでいる『あばら家』のような傾いた住処(すみか)と、近所に住む、ミユキという、ちょっと変わった小学生を見張っていた。ミユキは学校からの帰り道、白い仔猫と遭遇し、心の琴線に触れたように、その仔猫を抱き上げ、家に連れて帰った。

一方のトキ婆さんは、ミユキが帰る前に、あばら家を出て行った。

「そろそろ、妖魔の匂いがしてくるころなんですよ!今日は満月!しかも、十三日の金曜日!仏滅の日なんです……!」

「おいおい、仏教とキリスト教と、ドラキュラ?いや、狼男の併せ技かよ……」


「スエちゃん!お帰りなさい!」

「あら?アイコさん!お師匠さまは……?」

シロウと一緒に庵に帰ってくると、太夫の姿はなく、三好アイコが祈祷場の椅子に座っていたのだった。

「この前の白猫のお礼にきたら、太夫さんに電話があって、緊急の用が出来たって、出かけることになったのよ!それで、留守番を頼まれたのよ……」

「緊急の用?珍しいことですね……?」

「何でも、狐ツキの奥さんからの依頼だったようよ?それで、留守番をしてたら、お客さんがあってね……。祈祷の依頼じゃなくて、太夫さんの昔の知り合いらしい、お婆さんだったの……」

「知り合いの婆さん?アイコ!おトキさんと言わなかったか?」

「あら?西郷さん!太夫さんのお友達を知っているの?そうなの、トキと名乗って、太夫さんに、ちょっと気になる女性に出会った!ことを伝えておいて欲しい、と言い残して、帰ったのよ……」

「おトキ婆さんは、ここへ来たのか……?」

「気になる女性?アイコさん!その女性について、トキさんは他に何か言っていませんでしたか?」

「悪い霊が憑いていたから、教えてやった!って……。お祓いしたほうがいいから、また、太夫さんに頼みにくるかもしれない!って……」

「悪い霊?スエちゃん!まさか、俺たちが戦うことになる、妖魔が取り憑いている女が現われた……、ってことか……?」

「そうですね……、その可能性が高いと思います……」

スエがそう言って、眼を閉じ、神経を集中し始める。トキ婆さんの話していた、妖の気配がしないか、探ってみたのだが……、結界が張られた庵には、妖は侵入できないようだった。

「おや?スエ!探偵さん!帰ってきチョッたかよ……」

という声がして、水干に白袴姿の太夫が扉を開けて入ってきた。

「お師匠さま!緊急のご用は……?もう終わったのですか?」

「それが、おかしいガよ……」

と言って、太夫は座椅子に腰を降ろす。

「スエも知っチュウ、コンペイという狐の妖が憑いている、ヤスエという、若奥さんから電話があって、主人の様子が変だ!と……。急に酒を浴びるほど飲んで、踊り出したそうな……、その踊りが、エテコウ(=お猿)のようだ!と……」

「ご主人に、猿の妖が憑いた?ってことですか?」

「そう思って、ヤスエの家へ行ったら、ヤスエも主人も居って、電話はしていない!主人は、下戸で、酒など飲んだりしていない!というガよ……」

「婆さん!まさか、婆さんが騙された!ってことかよ?としたら……、婆さんとトキ婆さんを会わせたくなかった、ってことだぜ!」

「おや?おトキさんが、アテの留守に来たガかね?」

「そうなんだ!アイコに、伝言だけ残して、帰ったらしいぜ!」

シロウがそう言って、アイコにもう一度、おトキ婆さんのことを話しするように促した。

「なるほど、探偵さんの推理どおり、アテとおトキさんを会わせたくないモノの仕業やったガかよ……」

「お師匠さまを騙せるほどの妖なんですね?そのトキさんが見つけた女性に憑いているモノは……」

「だいたい、正体がわかってきたゾネ!コンペイを使うとは……」


「殺人事件だって?西郷!またなんで、お前が、ここに来て、俺にそんな話をするんだ?本部か所轄に通報するのが、スジってモンだろう……?」

そう言って、シロウを問いつめているのは、ベージュのコートを着た中年男性だ。場所は、『刻屋』という看板が屋根に掲げられている、さびれた旅館の玄関口を入った、土間の一角。惣菜売場のあるテーブルだった。

「ハマさん!実は、ただの殺人事件じゃないんです!信じて貰えないかもしれないけれど、妖怪が絡んでいるんです……!」

と、シロウが言った。

「妖怪だって?ははは、お前、この前の小高坂の公園での幽霊騒ぎ以来、妖怪に祟られているのか?」

と、ハマさんと呼ばれた男が言った。

「ハマさん!シロウちゃんと一緒にいる娘は、有名な太夫さんの弟子よ!その娘がついて来たってことは、本当に、妖が絡んでいるってことかもしれないわよ……」

と、和服に割烹着を着た、三十歳くらいの女性が、テーブルにお茶を差し出しながら、言った。

「若女将!この二十世紀にまだ、妖が居る!ゆうガかよ……?」

「さて?わたしは霊媒師ではないので、妖や悪霊は見えませんけど、この世は、眼に映るモノだけが真実とは限りませんよ!すべてが、科学で証明できるなら、宗教なんて要りませんもの……。ハマさんだって、お盆やお彼岸には、ご先祖さまを供養なさるでしょう?」

「まあ、幽霊は信じてないが、ご先祖の霊は、あるような気がするなぁ……。しかし、俺は出張で来ているだけだぞ!清水署管内の殺人事件の犯人が、お城下に潜伏している、との情報で、な……」

「妖が絡んでいるなんて、杉さんや、勇次に言ったところで、笑って、お仕舞いですよ!ほら、千代さんの話で、少しは信じて貰えるハマさんしか、適任者はいないんです!犯罪捜査は、刑事でないと、進まない!犯人逮捕には、協力しますから、ハマさんが、現場に行ってください。お願いします……!」

「しかし、妖が絡んでいるなんて、報告書に書いたら……」

「ハマさんの伝説がひとつ増えるだけですよ!」

「おい!西郷!それは『外しのハマ』の伝説か?」

「いえ!新たな、難事件解決の『名刑事ハマ』の伝説の始まりですよ……!」

「あら?シロウちゃん!ハマさんは、すでに『名刑事さん』よ!質屋の主人殺害事件を見事解決したんですもの……」

「若女将!あれは、ここの『井口探偵団』のおかげよ!そうやった!あれの『お礼』をセンとイカンがやった……!しょうがない!西郷!ここの女将と若女将!それとボンへの借りがあるキ、事件解決に協力しチャラァよ……!」


「河西!死因は?毒による中毒か……?」

殺人現場は、路地裏の傾きかけたあばら家のちゃぶ台のある四畳半の座敷だった。

「はい!毒の種類は、検死の結果を見ないとわかりませが、おそらく、このカステラに猛毒が混入されていたものと……」

白い手袋をはめた、若い刑事が、ハマさんの問いに答えた。

「こんな、世捨て人のような、婆さんを毒殺して、何になるっていうんだ?金目当てな訳はないし、恨みの線も薄いだろう……?婆さんの職業は?生活費は、どうなっているんだ?」

「ガイシャの名前は、石元朱鷺(いしもと・とき)。近所では、『おトキさん』と呼ばれていました。元々は、霊媒師だったそうで、今は、軍人だった主人の遺族年金で暮らしていたようです……」

「霊媒師?祈祷やお祓いをしていたのか?こんなあばら家で……?」

「いえ!霊媒師だったのは、ずいぶん昔のことのようです!主人と結婚した時は、辞めていたそうですから……」

「このカステラは?高級品だな?」

「ええ、『西村洋菓子店』の包装紙があります!今、購入者を調べています……」

「湯飲みが二つ……?誰か客がいたのかな?」

「近所の小学生の女の子を可愛いがっていて、その娘に貰い物のカステラを食べないか?と誘ったようです……」

「その娘は?カステラを食べなかったのか?」

「食べようとしたら、急にお腹が痛くなって、自宅の便所に帰ったそうです!父親が帰って来ていて、婆さん家(ち)へ行くのは、止められていたそうで、その日はもう諦めたそうです……。ミユキという娘ですが、会ってみますか?ちょっと、変わり者のようですが、婆さんとは仲が良くて、毒を盛るような娘ではありませんよ……」

「いや、会わなくていい……。ただし、見張りはつけておけよ……!」

「ええっ?容疑者としてですか?」

「いや!犯人に狙われる可能性がある……。婆さんがその娘に、カステラをくれた人物のことを話しているかもしれない……」

「ミユキちゃんの話では、誰から貰ったとは、訊いていないそうですよ!」

「ああ、だが、その誰かは……、詳しく、訊かされたかもしれない、と思う可能性があるよな……。とにかく、カステラを買った人間を虱潰しに当たることだ……!」


「ミユキちゃん!おトキ婆さんとカステラを食べようとした時、何か異変はなかった?」

トキ婆さんの家の前に、警察官が沢山いることに気づいて、ミユキは様子を伺いに来た。自宅を訪れた河西という刑事には、少し、嘘をついたが、昨日の現場の状況は説明した。嘘というのは、お腹が痛くなって帰ったのではなく、トキ婆さんの背中に、前に見た『死神』の影が見えたからだ。一緒に連れていた白猫が、カステラを口に運ぼうとした婆さんの手首に噛みついた。婆さんの顔が若い女性の歪んだ表情に変わり、

「何をするの!このドラ猫!」

と、婆さんとは違う、特徴のあるハスキーな声で叫んだ。

ミユキは、怖くなって、白猫のシロを抱いて、表に飛び出したのだ。

今、トキ婆さんの家の前に、野次馬とは思えない、巫女装束の少女と、たくましい身体をした、中年の男性がいて、ミユキを見つけて、話しかけてきた。シロが甘えるような声を上げて、少女の足首に首を撫でつけた。

「わたしはスエ。薫的さんの傍らで霊媒師をしている、太夫の弟子よ!こちらの男性は、私立探偵の西郷シロウさん!おトキさんの事件を独自に調べているのよ!」

少女は、そう自己紹介をして、ミユキにカステラを食べようとした場面の出来事を尋ねたのだ。

自分の名前を知っていること。白猫が少女に懐いていることに、首を傾げながらも、ミユキは正直に昨日の出来事をスエに語ったのだ。

「やっぱり……!ミユキちゃんは『見鬼』なのね……?普通の人には見えないモノが見える……」

と、スエは独り言のように呟いた。

「婆さんに、憑いている悪霊が見えたんだな?」

と、シロウが確認するように訊いた。

「おトキさんの背後にいたのは、死神よ!ミユキちゃんの見たのは、おトキ婆さんを見張っていた、妖魔の思念が映像化したモノよ!おトキさんには、直接、憑依できなかったのよ……!」

「だが、女性の顔と声がしたんだろう?」

「ミユキちゃんの見鬼の能力が、その思念を送っている人物の映像を捕らえたってことね……!凄い才能だわ……。でも、それを妖魔が放っておかないかもしれないわよね……?」

「なら、先手必勝だ!こちらから、妖魔退治をさせて貰おう……!」

「ミユキちゃん!このシロという猫は、特殊な猫で、あなたを危険から守ってくれるのよ!少し、怖いことになるけど、悪い妖魔を退治しないと、おトキ婆さんのような犠牲者が出ることになるの……。わたしたちに協力してくれないかなぁ……?」

スエの申し出に迷ったミユキの視線の先に、白猫の澄んだサファイア・ブルーの瞳が輝いていた。

「わかりました!おトキ婆ちゃんの仇を取ります!カステラを婆ちゃんにくれた女を、必ず見つけます……!」

「そう!ありがとう!では、この『荼枳尼天』の護符を身につけていてね……!今度の妖は、荼枳尼天さまと、深い関わりがありそうなのよ……」


「トキ婆ちゃんに、カステラをあげたのは、あなたですね?」

ミユキが、買い物帰りの主婦に声をかけた。

「あなたは?何の話かしら……?」

(間違いない!あの時、トキ婆さんの口から発せられた、女性の特徴のあるハスキーな声だ!)

「この白猫に、記憶はありませんか?あなたの手、右手の親指の付け根の傷をつけたのは、この白猫なんですよ!あの時、トキ婆ちゃんに取り憑いていた、生霊に、この猫が飛びかかったんです!わたしは、あなたに憑いている、動物霊が見えるのです!」

ミユキがそう言うと──そこは公園の一角だったのだが──辺りが急に暗くなって、邪悪な動物霊が彼女に襲いかかってきたのだ!

「ギャア~!」

と、動物的な悲鳴が起きて、闇が消えた。白猫が、口から血を吐いて死んでいた。女は、地面に倒れている。公園の上空に、黒い渦があった。

「クッ!せっかく、居心地の良い身体を見つけたのに……。目立たないが、嫉妬深く、邪悪な心を持った女……。ミユキといったな!この借りは、何倍もにして返してやる!我らが眷属が、いつも、お前を見張っているからな……!」

黒い渦から、そういう声がして、その渦は消えた。

「ミユキちゃん!大丈夫?」

そう、ミユキに声をかけたのは、中学生くらいの少女だった。その傍らには、トキ婆さんの家で見かけた、中年の、ヨレヨレのコート姿の男が、唖然として立っていた。

「スエさん!シロが……」

「うん!この白猫があなたを守って、身代わりになってくれたのよ!それくらい、邪悪な動物霊が、この女に憑いていたの。その霊をトキさんが見つけた。霊は口封じのために、この女を使って、カステラに毒を入れて、トキさんを亡き者にしたのよ!」

と、スエが事件の経緯(いきさつ)を語った。

「何を言っているのか、よくわからないが、このシナコという女が、あのカステラを買ったことは間違いない!事件の容疑者として、調べるよ!」

と、ヨレヨレのコートの男が言った。ハマさんという、事件の担当刑事だった。

「はい!事件のほうは、ハマさんにおまかせします!」

「まったく!あの旅館の『はちきんばあさん』たちに関わると、ロクなことにならないな!また、『外しのハマ』の伝説が、増えそうだ……」


「ふむ、ふむ、これは、大変な動物霊じゃ!やっぱり、普通のお祓いや、御札では無理じゃったな!」

と、スエに連れていかれた、薫的神社の傍らの庵の祭壇の前で、白装束の老婆が言った。ミユキには、白猫の化身に見えた。

「ミユキちゃんかね?あなたもスエと同じように、見鬼の才能があるね!その才能を伸ばして、あの動物霊と対決するしかないね!ここで修行していたら、邪魔をされる!アテの知り合いが京都に居るキ、そこで修行をしなさい。そして、動物霊に悩まされチュウ人を助けチャリ!その間は、あなたに『ささくれ』の害が出るケンド、命に関わることはないように、しチョイチャルキ、十数年、頑張ってごらん!神戸の動物園に行くことがあるろうキ、その時、あの動物霊との縁が切れるよ……」

太夫は、ミユキに妖魔の正体は知らせなかった。

「お師匠さま!あの妖魔は、何だったのですか?狐のような気がしたのですけど、コンペイさんのような妖狐とは、妖力が違っていましたよ!」

シロウに送られて、ミユキが帰ったあと、スエが太夫に尋ねた。式となった白猫のシロがシナコに憑いていた妖魔を彼女の身体から祓って、かなりの妖力を損傷させた。しかし、完全に退治をすることはできず、妖魔は、何処(いずこ)へと、逃げて行ったのだ。その退散する妖魔の姿が、スエには大きな狐に見えたのだった。

「九尾狐ゆう、妖魔よね……。一万年の時を経て、九つの尾を持つようになった、支那の神獣よね……」

「神獣?神様のお使いですか?悪霊ではなくて……?」

「殷の紂王の妃の妲己という美人に化けて、殷が滅びる原因を作った。その後、日本に現れて、玉藻前という美人に化けて、宮中を乱した。安倍晴明に正体を見破られ、東国へ逃れたが、東国の武士、上総広常や三浦義明に矢で射られ、殺生石になった、といわれている……。まあ、お伽噺よね……。今度の妖狐は、おそらく、荼枳尼天さんの元から逃げ出した妖狐が、歳を経て、九尾狐ほどの妖力を持ったモノやろうねぇ……。自分を九尾狐の末裔と思い込んジュウみたいヤキ……」

「その妖狐が、ミユキちゃんに祟ってしまうことになるのですか?」

「まあ、ミユキが本物の霊媒師になるための試練として……、敵対するやろうねぇ……。ケンド、本物の九尾狐やないキニ、ミユキを害することはできないよ!」

「せいぜい『ササクレ』くらいですか……?」

「そう!そのササクレの呪いを解くマジナイを施したき、ミユキを一年間は、ここに置いて、京都の知り合いに預けようと思うガよ……。ミユキの才能は、スエ以上かもしれんキ、ね……」

「婆さん!ミユキちゃんを自宅に送って行ったぜ!神棚に御札も置いてきたよ!ミユキちゃんの家族は、ぐうたらな父親だけだ!母親は、三年ほど前に亡くなったそうだ。父親にミユキちゃんを預かりたい!と申し出たら、あっさり承諾したよ!不思議に思って、追及したら、ミユキの母親が亡くなる時に、ミユキを預かりたいという、霊媒師のお使者が来るから、ミユキをお願いして欲しい!と言って、息を引き取ったそうだ!ミユキの母親も、霊能力者だったらしい……」

シロウが帰って来て、そう報告した。

「それと、ハマさんからの伝言だ!おトキ婆さん殺害事件は、シナコという女が自供したそうだ!何でも、神様のお告げで、あの婆さんが悪霊の使いだから、この世から抹殺しないといけない!と言われたそうだよ……」

「殺人事件は、それで解決ですね……?」

「ああ、ハマさんの手柄でね……。俺の不動明王の護符の活躍の場がなかったけど、な……」

「探偵さん!あんたは、それより、大事なことがあるゾネ!ユミちゃんと、結婚せんとイカンろうがね……」

「まあ!大変!不動明王の護符では、間に合いません、ね……」

「ユミちゃんには『吉祥天』の護符を授けチュウキに……。まあ、時間の問題よ、ね……!」

「ば、婆さん!俺の未来を勝手に決めるなよ!」

「ダメダメ!お師匠さまが、それくらい、後押ししないと、シロウさん、幸せを逃がしてしまいますから……。ユミさんは、絶対、シロウさんと幸せになりますよ……」

「ああ、間違いない!アテとスエの両方が、予言するガヤキ……」


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