第15話

「あぁ、義実家に帰ってるんだ」

十夜は腑に落ちてそう言った。


 そう。今朝、十夜が実家に帰宅した時、土曜日の朝にも関わらず時任は不在だった。

今回、覚悟を決めて帰省したものの、いまだに顔を合わせることに抵抗があった。

不在であったことには助かったという思いと同時に少々違和感も感じたが、用事で出かけたのか、くらいに思っていた。


 しかし、榛名の病院から帰ってきて、夕飯の時間になってもまだ帰宅していないので、仕事で出張中なのか等あれこれ理由を考えたが、母に念のため不在の理由を確認してみたのだ。


「そうなの」

なぜか母は神妙な面持ちでそう言った。

「榛名ちゃんの事故の後、ずっと向こうに行ってて仕事もそこから通勤してる」

「まあ、そりゃそうだよな」

十夜は頷いてそう言った。


 榛名の祖父母だって事故に遭った榛名が心配だろう。その祖父母、時任にとっては亡き妻の両親だから義両親に付き添っているのだろう、そう思った時、

「榛名ちゃんのお祖母ちゃん達が榛名ちゃんを心配だろうから付き添ってる、それは当然だって思ってたんだけど……」


 そこで母はしばし黙って考えているようだった。十夜に話すべきか迷っているようだった。


「いや、話してよ。誰かに何かを言ったりしないし。俺は何か聞いても変な認識とかしない方だと思うけど」

そう十夜が説得すると、

「そうよね」

と頷いて母の朝子は話し始めた。


 

 榛名が事故に遭い、右脚の骨折、全身ところどころの打撲と擦り傷という大怪我をしている。

脳や内臓に損傷がなかったのは不幸中の幸いだが、経過観察は続く。

わりとすぐに意識は戻ったのが救いだが、またすぐに眠りについたようだ。


 総合受付の待合所で待機していた朝子は、時任からそう状況の説明を受けた。

そして、明日からは義母――榛名の祖母だ――が入院中の着替えなどを持って自分と一緒に通院するから大丈夫だと、それで自分は義両親が心配だからしばらく義実家に行く、と伝えられた。


 朝子は、時任が義実家に行くのは祖父母も榛名のことが心配だろうし当然のことだと思い承諾した。本来なら自分も通院の手助けをしたいと思ったが、そこは何かあれば連絡をくれという様にした。


 しかし、榛名が事故に遭ってから4日目(割木の生霊が退散して榛名が消えた翌日)、仕事のお昼休憩をとっていたところ、私用スマホが鳴った。画面を見ると、なんと榛名からの着信だった。


 朝子は慌てて出た瞬間、

「榛名ちゃん!何かあったの?」

そう聞いたのだ。


 「朝子さん」

榛名は全身が痛むせいだろう、声が出しづらそうだ。

榛名は痛々しい声で、病院の許可を取って、看護師さんに手伝ってもらいながら電話を掛けてると伝えた。


「何か困ったことが起きたの?」

朝子がそう聞くと、

「お父さんとお祖母ちゃんが入院してから今日まで病院に来てないんですが、連絡がつかなくて……」

榛名はそう言った。


「えっ……」

朝子は心底驚いた。


 

 榛名によると、事故に遭い入院に運びこまれて意識を取り戻した際に祖母と話したのは覚えている。

だがその後、自分が起きている時に祖母が居たことはなく寝てる間に来た様子もなかった。身体はあまり動かせないが、ベッドの周辺をぐるりと見れば物が増えてないなどで何となく判る。


 巡回に来た看護師に聞いて確認してもらったところ、入院してから誰も来ていないと言うのだ。

 父は仕事があるし、祖父母も歳なのでなかなか来れないのかもと思いつつも、着替えなどが必要なので電話をしてみることにした。

 個室なのもあり、病院の許可を貰えた。補助してもらいながら電話を掛けたが、父も祖父母の家も誰も出なかった。父は仕事で出られないのかもしれないが。


 そこで電話しても良いか少々悩んだが朝子に聞いてみることにしたというのだ。



「今、時任さんは榛名ちゃんのお祖母ちゃん達の家に帰ってるのよ。私も何も聞かされてないのよ。それに毎日通院するって行ってたのに……。でも何かあったのか確認するね」

「そうなんですね。それと……」

と言いづらそうな榛名に代わって、

「着替えとかでしょ。今日これから持ってくから安心して」

と言って電話を切った。


 助かることにちょうど午前中で仕事が一区切りついたので、上司には急で申し訳ありませんが、入院中の母が~ということにして早退させてもらった。

普段の勤務態度は良好、業績だってそこそこ上げているのだから、緊急事態の今は許してほしい。すまんねと思いながら、大急ぎで買い物をして榛名の病院に向かった。


 病院へ着くと榛名は眠っていたので、スタッフに大荷物を預けて帰宅した。

そこで、時任に電話をかけてみたが出なかった。

仕方がないのでメッセージを送ることにしたが、最初は娘の病院に誰も行っていないってどういう事!?と怒りのままに書きそうになったが、何かあったのかもしれないと心配になり、榛名から電話があった事と、とにかく連絡をくれるよう書いて送った。


 だがその日に時任から返事が来ることはなかった。


 翌日は定時に上がり、また榛名の病院に寄って飲み物や昨日揃えられなかった用品をスタッフに渡した後、時任の義実家に向かった。

時任の亡き妻の実家に自分が行くのは気が引ける上かなり悩んだが、仕方がない。


 結局あれから時任は何の連絡も寄こさなかった。

よくよく振り返ってみれば、榛名が事故に遭った翌日からまったく連絡が来なくなったのだ。


 おそらく榛名の件と義実家で大変だから、特に自分に連絡が欲しいとは思ってもいなかったが、確かに榛名の経過報告など定期連絡はあっても良いだろう。


 時任の義実家は隣の県にあり、病院とは同市内で30分ほどで着いた。

時任には榛名も心配しているし、連絡が来ないから伺うからね!とメッセージを送ったがやはり返信はない。

 

 夏とは言えもう19時過ぎなので、空も暗くなってきた。

駅から途中で立ち止まって地図アプリで確認しながら向かっていると、もうすぐ家だという所でエコバッグを2袋ぶら下げた時任とバッタリ出くわした。


 時任は「あれ、どうしたの?」といった風に一瞬きょとんとした後、穏やかに笑みを浮かべた。

それを見て朝子は一瞬ゾクッと薄気味悪さを感じたが、

「あれ、どうしたの?じゃないわよー」

と気持ちを奮い立たせて榛名の件や連絡スルーの件を訴えた。


「榛名ちゃんの病院に行くって言ってなかった?何かあったの?」

朝子は本当に疑問に思い問いただした。

だが時任は先程から変わらず薄ら笑顔を浮かべている。


 「何もないよ。でも待ってるから行かないと」

時任がそう言う。

「待ってるって?理由になってないよ。榛名ちゃんの事はどうするの?」

そう聞いたところで、

「時任さん」

と家の玄関から榛名の祖母である時任の義母が現れた。


「お義母さん」

そう言うと時任は話の途中にも関わらず玄関に向かった。

玄関には明かりが点いていて、時任の義母の奥には義父らしき姿も見えた。


「あら水原さん」

そう言って義母は朝子の方に顔を向けた。

「……!」

朝子はゾワッと鳥肌が立った。


 義母は穏やかな笑顔を浮かべている。目がニコーッと曲線を描いている。

だが、目の奥が笑っていない。もう夜で暗いが玄関の明かりではっきり見えた。

先日、榛名の事故の際に初めて会ったが、その時はまったく気づかなかった。


 そりゃあ娘の夫の再婚相手なんて毛嫌いされても仕方がない存在だとは思う。

朝子は何も悪いことなどしていないが、それでも気に食わないものは気に食わないのだろう。


 職場でだって業績を競う中で、自分のことを勝手にライバル視して敵意の目を向けてくる人間もいる。そういう人間の視線を受けた瞬間、若い頃は少しビクッとなったりしたが、今はまたかよ程度で受け流せるようになった。


 だが、そういった類の視線とはまた違う。

ねっとりとして重たく暗く淀んだ闇に立ちすくむような気持になった。

何とか挨拶だけはしたが、よくよく辺りを見渡すと、家全体から朝子を拒否するような抵抗感のある空気を感じる。特に玄関がそうだ。口を開けて朝子を待ち構えているようだ。


 「これから夕食の支度をするから、じゃあ」

と言って当たり前の様に朝子はここまでと線引きされた。


「時任さん、買い物ありがとう」

そう言って義母が荷物を寄越すよう時任に向けて手を広げる。


 時任は朝子を置いて玄関へ向かう。

「じゃあ榛名ちゃんのお世話は私がするから、後で文句言わないでよ」

朝子はそれだけは精一杯伝えたが、時任は玄関に入って行く。


 時任が玄関に入った瞬間、時任、義母、義父、そしてもう1人、長い黒髪の女性の姿が見えた。

「えっ……」

朝子が一瞬うろたえているうちに玄関の扉は閉められた。

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