第4話④

「ちょっと待った」

 僕がバッグから自分のイヤホンを取り出すためにゴーグルを外そうとバンドに手をかけると、君岡が慌てて言った。


「どうした?」

「パススルー映像を使ってみてよ。すぐに切り替えられるはずだよ」

「パススルー映像?」


「ゴーグルに映る現実世界の映像だよ」――どこでできる? と聞こうとする前に、僕はそのボタンを発見した。真っ白な空間に浮かんだ黒いディスプレイの中の「パススルー」という箇所を押す。


 するとさっきまでいた君岡の部屋が映し出された。


「見えてる?」僕がのけぞったのを見て、君岡が笑いながら手を振った。

「あ、ああできたよ」僕は素直に答えた。それから後ろを向き、ゴーグルをしたまま、バッグのところまで歩いて行く。


「少しは慣れた?」イヤホンを取り出す際中に君岡が聞いてきた。

「いや、まだ慣れないな」僕は言った。設定画面からイヤホンの設定をしていく。


「そう言いながら、結構様になってるよ」君岡が楽しそうに言った。


 僕は何も言わなかった。


 かわりに、設定を終えたイヤホンを耳に入れた。これでボタン一つで、映像を切り替え、外界を完全に遮断できるようになった。僕はこれから待ち受けている世界に期待で胸を膨らませた。だがその前に、外の世界で何かが起こったようだ。


 突然君岡が僕の肩を叩いた。慌ててイヤホンを外す。


「お母さんが帰って来た。ちょっと行って来るから待ってて」

 君岡は部屋を出て、どたどたと音を立てて階段を下りて行った。


 僕は、一人、そこに置き去りにされた。


 ゴーグルを外し、下りて行った君岡と母親の会話が、吹き抜けと開け放したドアを通過して聞こえてくると、仮想現実への熱は消え去り、途端に自分がいるところがありふれた家庭環境の中なのだと嫌でも思い知らされる。


「とにかく、いいって言うまで部屋には入らないで」君岡は口を酸っぱくして何度も繰り返して言った。


「はいはい。わかった。じゃあ春彦、お友達によろしくね」


 落ち着いた、どこか物憂げな女性の声がした。それから、君岡は盆にお茶とお菓子を載せて部屋に戻って来た。


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