苦くとも、その先で④

「何で、2人が…」


扉が開けられた瞬間、閉じられていた記憶が蘇る。


ツヅリとイセカ。


彼らは俺が図書室で見つけた本の中で孤独と終焉に瀕していた。


俺はその本の中に入り、すれ違っていたままの2人を引き合わせ物語にピリオドを打ち開放した。


本から戻った瞬間は、切なさや悲しみが溢れコンにとめどなく話したくらい上手く言葉にならなかったけれど。


今は…それら全部を含めて、大切な記憶だ。


「今の私たちは貴方の記憶の中の私たち。本物の私たちじゃないわ」

「あぁ、そうだ。でも…だからこそ、俺たちはお前の記憶を代表して聞かなければならない」


未だに動揺を隠し切れないけれど何とか頷くことに成功する。


そんな俺の努力を知ってか知らずか、フッと微笑んだツヅリは…俺にこう問いかけてきた。


「お前は…俺たちや今までの悲しい記憶全部を、ここに置いて行け」

「……え、?」


ガツンと、頭を殴られたような錯覚を覚える。それほどまでにツヅリの言葉は衝撃的だった。


足元がぐらつくような戸惑いに襲われる俺の肩を、陽だまりのように優しい手でそっとイセカが支える。


「神守くんは私たちの願いを叶えてくれた。それだけで、幸せなの。今の私たちがどうなっているのかは分からないけれど…きっと、そこは変わらないわ」

「その優しさで悲しんでくれる必要は無い。辛いなら…置いていけ。ほら、出口はあそこだ」


イセカとツヅリが目を向けた先を見れば、延々と続いてるかのように見えた廊下が目の前で終わり、俺が吸い込まれたのと同じ扉がそこにあった。


……ツヅリの悲しさ、イセカの寂しさ、其々の孤独。それだけじゃなく、俺自身が積み重ねてきた後悔や大小の悲しみと痛み。


本当に、それら全てをここに置いていっていいのだろうか。


もう、悩まなくてもいいのかな。


『紳人』


瞼を閉じればすぐにでも聞こえてくる、俺を呼ぶ声。


父さんと母さん。そして…ウカミと、コン。


更には未子さんや明、悟もそこにいるみたいに俺を呼んでいる。


……答えは、最初から決まっている。


「ごめん。俺は…何一つ、忘れられないよ」

「「!」」

「いや違う、だって」


だってこれは、今の俺を作る掛け替えの無いピースの一つだから。


どんなに苦しくても、痛くても。切なくても、悲しくても。


思い返すたびに心がざわつく記憶であっても…無駄な荷物じゃない、沢山のそれらを持つのは不幸なんかじゃない。


それらは全部、大切な縁なんだ。


嬉しいことばかり覚えていられたらきっと楽しいんだろう。


でも。だからって、悲しい記憶を否定したら俺は痛みを知らない人間になってしまう。


出会いに価値をつける、悲しい人間に。


痛みを知るから優しくなれるんだ。


誰かと一緒にいたい、支えてあげたいってなれるんだよ。一つ一つの出会いを噛み締めて、大切にできるんだ。


「ツヅリ、イセカ。2人が俺に託してくれたものを…俺は絶対に忘れない。


それに、俺は一人じゃないから。抱え切れなくなった時、一緒に支えてくれる皆が居るから…大丈夫だよ。ありがとう」


訥々と言葉を紡ぐ中で、閉じ込めてきた記憶が戻っていく。


全部が俺の中に帰った時…溢れる涙は、今感じる愛しさのように温かい。


「やはり、お前はそうか」

「ツヅリ?」

「覚悟を聞きたかったのだ。お前が、これから先の悲しみに足が止まらないかどうか」

「試すような真似をして、ごめんね。でも…足が震えることはあっても、貴方たちなら乗り越えられる」


キィ…とドアが独りでに開く。


「「紳人!」」

「……それじゃあ、行くよ」


俺は一歩前に踏み出してから二人の方へと振り向いた。


「「さようなら」」

「さようなら、ツヅリ、イセカ」


何かを、いつの間にか忘れてしまうことはあるかもしれない。


だとしても可能な限りは覚えていよう。


苦しくてもその先で、コンたちと笑っていられるように。


笑い合える時間が、大切なものだと教えてくれる痛みを連れて。


〜〜〜〜〜


「コン、ウカミ」

「おかえりじゃ、紳人」

「おかえりなさい♪」

「…出て、きたね」


扉を潜った先で、コンとウカミが柔らかな笑顔で出迎えてくれた。


ウカミの裏には、俺がずっと探していたあの少女もいる。


「まぁ色々聞きたいことがあるじゃろうが、その前に一つだけ聞かせておくれ」

「ん、どうしたの?」


一歩此方へ歩き出したコンは尾をフリフリと揺らしながら、俺の瞳から心を覗くように見上げ囁いた。


「わしとお主の出会い、覚えておるか?」

「……うん。勿論だよ、コン。あの事故は悲しかったけれど、君が居てくれるからもう大丈夫」

「ふふっ…そうかそうか」


嬉しそうに微笑むコンの顔は、心の底から綺麗だと思った。


あぁ。絶対に…忘れないよ。


「それ、じゃ…私は行くから」

「あっ待っ!」


空を見上げて思いを馳せていたら、あの少女は最後にクスッと微笑みを残して霞のように消えてしまう。


「彼女…結局どんな神様だったんだろう?」

「あの方はウツシミ。彼女なりに、紳人のこと見ていてくれたみたいですよ♪」

「そっか。また、会えるかな」


暫し彼女…ウツシミの面影を見ていたけれど、瞬きして我に返りコンとウカミと並んで再び我が家への家路を急ぐのだった。


鏡を通して俺のことを見ていたから、悲しみだけが色濃く反射して見えたのかもしれない。


そんなことを、思いながら。

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