苦くとも、その先で③

「……貴女が、あの人の大切な神様」

「「!」」


わしの呼びかけに、間もなく女子の声が反応した。


霧が晴れるようにゆっくりとわしらの前に姿を現した其奴は、わしより少しばかり背が高いかと言ったくらいの背丈。


翠色の和服に身を包んでおり何処か幼い印象を感じさせる。


「ワタシはウツシミ。鏡を通して、心を見ることができるの」

「ふむ…ではこのカフェについても?」

「うん。私が、見た。多分あの人は自分の好物でも、近付いてくれないと思ったから…貴女たちが此方に来れば、と思って」

「紳人を誘き寄せるために私たちを釣ったということですね」


ウツシミはこくりと頷くと、後ろを振り返りカフェの形をした建物を見てこう呟いた。


「これは…私の神域。大丈夫、すぐに出てくる」

「本当じゃろうな」

「うん。出てくるよ、

「……何?」


ウカミと顔を見合わせ安堵したのも束の間、続けて語られた不穏な言葉に思わず訊ね返してしまう。


「彼、優しいから。悲しい気持ち…抱えてる。だから、此処であの人の悲しい記憶を全部私が代わりに見守るの。


私は…そういう悲しい記憶を代わりに受け持つ神様なんだ」

「なるほどのう…」

「悪意は感じられません。本当に、紳人のことを思ってこうしてくれたみたいですね」


赤色の瞳を細めて頷くウカミ。


ウツシミに対していきなりじゃな、という気持ちがないでも無いが…此奴はそういう役割を持って生まれた神。


自分のやるべきことをしただけじゃから、怒るつもりはない。


それに、じゃ。


「ありがとうのう、ウツシミ」

「コン?」

「確かな彼奴や人間が大小色んな悲しみを持っているのは確かじゃ。けれどな?それを忘れたいと思うかどうか、そしてその記憶があるのが悲しいか否かは当人次第。


もし、紳人が此処から出て来た時記憶を何一つ捨てていなければ…本当に必要としておるであろう者の元へ向かっておくれ」

「…うん。分かった」


素直に頷いたウツシミと共に無言で扉を眺める。


「……♪」


そんなわしのことを、何だか嬉しそうに微笑みながらウカミが見てくるが…こそばゆいので気付かぬフリをするのじゃった。


紳人、先程はああ言ったがな。


お主がどんな選択をしようと、わしはお主を…。


〜〜〜〜〜


あれから、どれだけ経ったのだろう。


「あの子…何処に消えたんだ?」


屋敷の中を探し回っても彼女は影も形も見えなかった。


最初は家鳴りかと思っていた鍵の閉まる音も、何度も続けば流石に違和感を感じずにはいられない。


「……コン、ウカミ」


二神のことを考えるだけで俺の心には陽だまりのような気持ちが広がっていく。


時計の針の音すら無いこの空間の中で、その気持ちは大切な原動力だった。


居心地の良い此処を出ようとする意思を保つための。


「そういえば、外からの音が聞こえないな」


やけに静かな理由はそれか。コンやウカミの声とか、車が走る音とかも届かないとは中々の密閉性だね。


「車…」


1人の時はついつい考え事をしてしまう俺は、また1つ昔のことを思い返す。


あの事故は…自分を許すことは出来たけど、やっぱり今でも考えずにはいられない。


俺が強請らなければ、なんて。


でも。時は戻らないし、それは残酷だけれど良いことでもある。


だってそうでしょう?事故は起きてしまったけれど、コンが俺のことを助けてくれて父さんや母さんのことも必死に守ってくれたから俺たちの今があるんだ。


それがどんなに、痛い記憶だとしても。


----ガチャリ。


「あれ?」


今、また目の前で扉が閉じた。


そして…此処で漸く、俺は自分の軽くなった足取りの理由に気が付く。


「思い出せない」


コンに抱き締めて貰ったことは覚えている。


でも、それは何処で?子供の頃に…俺はコンとどんな時に出会ったんだ?


それだけじゃない。


その時から徐々に記憶を遡っていくと、所々で霧が掛かったように思い出せない部分があることが判明した。


共通しているのは…俺が傷付いたり、悲しみに心を揺らした記憶であること。


内容は覚えていないけれど、そこに悲しみがあったのだということは分かる。


そう、思い出せるのではなく分かるんだ。


そんな俺の、最近で1番悲しかった記憶は。


「紳人」

「ッ!」


閉められたはずの扉の鍵がガチャッと開けられ、開かれたドアから姿を見せたのは…優しい笑顔を浮かべるツヅリとイセカだった。

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