第七話 変態桃色木乃伊

 港の近くのコンビニエンスストア――。

 ここにも少しだけ、思い出の匂いが届いている。

 ――店や住宅、通行人も多いが、まずは、変質者事件があったという当の店で話を聞くのがいいだろう。

 変質者はもう逮捕されているのだし、その事件が敦の消失事件に関係しているのかは分からないが、他に何の手掛かりも無い今、どのような情報でも集めてみるしかない。

 鏡花は薄い潮の香りを吸い込み、硝子ガラスの自動扉をくぐる。

「いらっしゃいませー。――お荷物のお受け取りでしょうか?」

「いえ」

 鏡花はさっきも同じようなことをしたと思いつつも、レジの店員に応える。

「武装探偵社の者です。今日の変質者事件についての話をうかがいに参りました」

 武装探偵社はヨコハマでは名の知れた存在である。店員は直ぐに店長を呼び、店長が事件のあらましを話してくれた。

 ――今日の午前十一時頃、灰色の頭巾フード付き長外套を着た男がこのコンビニの駐車場に現れた。初めは普通の客かと思ったが、その男は駐車場の真ん中でいきなり長外套を脱ぎ捨てた。その長外套の下は全身、あわい桃色の包帯に巻かれており、手足と乳首と尻と陰部のみを露出していたという。その上男が訳の分からないことを叫ぶので、直ぐに店から警察に通報し、駆け付けた警察が男を逮捕した――。

「訳の分からないことを叫んでいた?」

 ――変態桃色へんたいももいろ木乃伊ミイラというだけでも十分訳が分からないのだが。

「ええ。なんか、『ハズカシヌ! ハズカシヌ!』って、奇声を上げて笑ってました」

 人間というのは過激な噂話が好きなものだが、実際にそれを見た店長の顔、声、仕草には、迷惑と不気味と恐怖の感情がありありと表れている。

「分かりました。ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げた鏡花を、店長は、犯人は捕まったがこの辺りは元来がんらい不審者が多いから気を付けるようにと忠告してから送り出した。

 変態桃色木乃伊――。

 敦の消失事件の前に現れたのは偶然なのか、それとも、派手な事件の影に何かを隠そうとしているのか。

 ――分からない。一先ず、情報を共有するしかない。

 鏡花はコンビニエンスストアの駐車場を歩きながら、国木田か事務員に連絡を入れようと、携帯電話の入った袖に手を伸ばす――。

《あの、すみません》

 その声に、鏡花は反射的に振り返る。

《ちょっと、見て頂けますか》

 灰色の頭巾の下からは顔が覗いているのに、その顔は桃色の布に覆われて見えない。

《今度こそ――》

 布に塞がれてくぐもった声が、鏡花の耳から入って思考を麻痺まひさせる。

《恥ずか死ぬのですからあああああああああああああぁぁぁ!》

「夜叉白雪ぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 灰色の長外套が青と白の空へ舞うのと同時に、純白の夜叉が、悲鳴を上げた鏡花をまもるように立ち塞がり、鏡花の身体よりも長い仕込み杖を抜く。二本のうち一本の刃は金色に輝き、のこぎりのように細かく鋭利な歯を有している。

 白銀色と金色の刃が、変態桃色木乃伊の、乳首が二つ並んだ胸部に巨大なバツじるしを刻む――。

「あっ」

 ――やりすぎた。

 いくら変態桃色木乃伊だとはいえ、一般人だ。異能で斬り付けるなど――。

 夜叉の姿が崩れて、土瀝青アスファルトにしゃがみ込んでいた鏡花の視界が徐々に開ける。

 あの男は――。

《ひっ、ひいいいああははははははははははははは!》

 ――良かった。

 咄嗟とっさに力加減が出来ていたようだ。

 だが、夜叉に胸から下の桃色包帯を切り裂かれた男は、顔以外は生まれたままの姿となって、駐車場の土瀝青アスファルトの上をころりころりと転げ回って喜んでいる。

《矢っ張り全部見せなくっちゃだよねえ!》

 男が鏡花の方に向けた足をばたつかせる。鏡花はぎゅっと目を閉じる。

《そうじゃないと本当の恥ずか死――》

「鏡花ちゃん!」

 敦。

「お兄さんはお洋服が無いんですね! では僕が貸してあげましょう!」

 ――違う。

 ごっ、というにぶい音の後、賢治が気絶した男にせっせと服を着せる声が聞こえる。

「僕は中に着ていますから、この農作業着オーバーオールを貸してあげますね。あらあらお兄さん、結構背が高いんですねえ。でも大丈夫ですよ。すそまくってあるので伸ばして、肩紐もこうして調節できますから。はい、できました! お似合いですよ!」

 直後、警察車両の警報音サイレンが近付き、直ぐに遠ざかっていった。桃色包帯の仮面と綾綿ジーンズ生地きじの農作業着だけをまとっているはずの男は、どこかへ連れていかれたようだ。

「鏡花ちゃん」

 ……?

吃驚びっくりさせて、ごめんね」

 ――きっと、空耳そらみみに違いない。

「大丈夫ですか? お怪我は?」

 鏡花が顔を上げると、矢張やはりそこには、首に掛けた麦藁帽子と生成きなりの襯衣シャツと半下裾着ズボンだけの賢治がいた。

 おなどしなのに随分と大人びて見えるのは、身長の所為か、助けられた所為か――。

「立てますか?」

「うん」

 鏡花は賢治の手を借りずに立ち上がり、着物のすそを払う。

「お洋服を持っておられないかただったんですね。でも、今から警察の方がきちんと服を着せて下さいますから、大丈夫ですよ」

 そばかすのある、可愛らしくも凛々りりしい顔が太陽の下で輝いて笑う。

「うん。でも、どうして来たの」

 賢治は谷崎と共に、ポートマフィア本部の様子を探っていた筈だ。

「実は、谷崎さんがお怪我をされまして、一度事務所に戻ったんです。でも皆さんと連絡が付かないというので、与謝野医師を探しに、港へ行く途中でした」

 賢治は笑顔で、強い潮の香りが流れてくる方角を指差す。

「怪我? 連絡が付かない?」

「ええ。誰かが谷崎さんの『細雪』を見破って襲い掛かってきたんです。それで、他の皆さんも大変なことになっているようで」

 賢治は桃色包帯の残骸が残る駐車場を見渡し、首を傾げる。

 ――つまり鏡花も恐らく、他の調査員たちとほぼ同時に襲われたということなのだろう。

 ならば、敵は複数――。

「嫌な予感がします」

 素直な賢治の言葉を、鏡花の脳は疑い無く吸い込む。

かく、一人で行動するのは危険です。一緒に行きましょう」

「うん」

 賢治の大きくて熱い手が、鏡花の手を取る。

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