第19話
模擬戦や訓練の時間を終えた私は、自室へと戻ってきていた。
外を見ればもうすっかり暗くなっていて、開けていた窓からひんやりとした夜風が吹き込んでいた。
……早く、明日にならないものか、と私は少しだけ考えていた。
そう考えている自分がいることに少しだけ驚いて、私の口元が自然と緩んだ。
レイス様とリーム様。お二人に訓練をつけるようになってから、そんな風に考えられるようになっていた。
二人の成長は、私の想像をはるかに超えるものだ。特にレイス様に至っては、一日一日が別人のようだった。
……だから、また明日が楽しみだ。そんなことを考えていると、部屋がノックされ、私は声をかける。
「開いている。入っていいぞ」
「ザンゲルさん、失礼いたします」
ゲーリングがそう言って、部屋へと入ってきた。
「ゲーリング、どうした」
「色々と報告があるのですが……その前に、一つだけお願いできませんか?」
ゲーリングの表情から、私はすぐにその内容を理解できた。
……彼とは、騎士団にいたときからの付き合いだからな。
「剣の指導か?」
「……なぜ、分かったのですか?」
驚いたように目を丸くして問いかけてきたが、私にとってはあまりにも分かりやすかった。
「お前の性格を考えればな。レイス様に負けたことを気にしているんだろう?」
「……別に。気にしていませんが」
頬を膨らませ、むっとなって視線を外へと向けた。
……その分かりやすい態度に、私は思わず苦笑した。
だからか、少し悪戯してやりたくなった。
「それなら気にする必要はない。レイス様の才能と日々の訓練を考えれば、あそこまで食らいついただけでも十分だ」
「……食らいつくとかじゃないんです。……ああ、もう! 負けるのが嫌なんですよ! 僕のこと知っているでしょう?」
私の言葉に、ゲーリングは恥ずかしそうにしながら叫んだ。
まあ、その反応は予想していた。
昔からゲーリングは負けず嫌いだったからな。
まだ私が騎士団で、副団長ではなく分隊の隊長を任されていたときのことだ。騎士団へと入団したゲーリングが私の分隊への配属となったとき……ゲーリングは私に決闘を申し込んできた。
よほど、剣の腕に自信があったようで、彼は私に分隊長の座をかけての勝負を申し込んできたのだ。
その結果は……私の勝利だった。その時のゲーリングも、今と同じように悔しそうな顔をしていたものだ。
「剣の指導を行うのはいいが、私もお前も普段は兵士たちの指導で忙しいだろう」
特に最近では、レイス様から「一対一で丁寧に指導するように」というご達しが出ていた。
これまで集団の指導を行うことは多かったが、一対一での指導の経験はレイス様くらいしかなかった。……時間的な効率を考えるとあまり良くはないのだが、その結果は確かだった。
レイス様ほどではないが、指導を行った兵士たちの成長は著しく、今では私とゲーリングの二人で一人一人、数十分程度ではあるが指導を行うようにしていた。
そういうわけで、朝から晩までほとんど個人指導を行っているため、私もゲーリングもだいたい一日の仕事を終えると夜になってしまう。
「……そうですが、僕も……次は負けないようにしたいのです。だから、時間があるときに教えてください」
ゲーリングのまっすぐな目に、私は彼をからかうことはもうやめようかと思い、息を吐いた。
「分かった分かった。それならば、夜の食事前に訓練を行おう。だが、もちろん本来の業務時間を減らすわけではないからな?」
「もちろんです! ありがとうございます」
ゲーリングの目を見れば、ここ最近彼からは感じられなかったやる気が伝わってくる。ライバル、というには一回りほど年齢は離れているが、レイス様という明確な目標ができたことで彼の中で、何か変わることがあったのだろう。
……いいな、若い者たちを見ているのは。
彼の成長を見守るのも、私の新しい楽しみになりそうだ。
「それで? 話はそれだけではないだろう?」
「ええ、もちろんです。『悪逆の森』から、また魔物が溢れていた件ですね」
「お前に任せた案件だったな。どうだった?」
「はい。連れて行った兵士とともに、溢れていたゴブリンたちを難なく殲滅しました」
「そうか」
「……ですが、今回はゴブリンの他にも、ゴブリンリーダーの姿も確認されました。……なんとか僕たちで討伐できましたが、もしもさらに数がいたとなれば――」
「今の、我々だけでは厳しいかも……しれないな」
こくり、とゲーリングが深刻そうな表情で頷いた。彼が、剣を学びなおしたいと話したのは、それも関係しているのかもしれない。
ヴァリドール兵団はそれなりの実力者が集まっている。……少なくとも、コネ採用の多い王国騎士団に比べれば、平均値は高いが……ずば抜けた実力者というのは少ない。
ここ最近、魔物が溢れている回数が増えているというのも問題だ。
「はい。それに頻度が増えているのも気になります……本当に、いずれスタンピードが発生してしまうのでは……と考えてしまいます」
「頻度……か。確かに……そうだな」
「最近の訓練もありますが、兵士たちだけでも問題なくゴブリンの討伐を行えましたが……正直言って、まだまだ森奥地にいる魔物たちに対応できるかどうかは、分かりません」
「そうか。……個別指導に切り替えたおかげはあるんだな」
「はい。ただ、圧倒的に戦力が足りないという問題はありますが」
「そこは……仕方ない。ヴァリドー家に軍事費を削られてしまっているのだからな」
新しく兵を雇いたくても、給料の支払いが難しい。
ただ、戦力の底上げに成功しているのが分かったのは良かった。
以前までであれば、ゴブリンたちの対応でさえも私かゲーリングがいなければ難しかったものだ。
……本当に、レイス様のおかげで助けられているな。
「分かった。『悪逆の森』については……改めて当主様に話をしよう」
「……そうですね。……レイス様から、何か意見はいただけないでしょうか?」
「……ふっ」
そのゲーリングの言葉に、私は思わず口元を緩めてしまった。私の笑みに、ゲーリングが誤魔化すかのように声をあげてきた。
「な、なんですかいきなり」
「……いやな。ヴァリドー家の全員を嫌っていたお前の口から、まさかレイス様に話を聞いてみよう、という意見が出る日が来るとは思っていなかったからな」
……ゲーリングは、そもそも私がヴァリドー家に仕えることに、反対していた。それでも、私は当時の当主様への恩があり、ヴァリドー家の兵団長を務め、ゲーリングは私にまだまだ指導してほしいということで、そのままついてきてくれた。
……まあ結果を見れば、彼には悪いことをさせてしまった、というのが私の本音ではあるが。
「……レイス様は、別ですから。兵士の皆もそう言っていましたよ。レイス様は……変わってくださった、他のヴァリドーの人間とは違う、って」
「……使用人たちからも最近はよく言われるな。挨拶はもちろん、何かすれば感謝もされる……とな」
「ええ……そうですね。……ですから、レイス様に意見を聞いてみるのはどうかと思ったのですが――」
「レイス様の立場はご理解されているだろう? ……彼は領主の息子とはいえ、そもそも継承権は第三位だ。……それも、両親からあれだけ嫌われているのだから、下手に相談をしたとしても、レイス様の手を煩わせるだけだ」
「………………そうですね。彼が、正当な後継者であれば、どれだけ良かったか……」
ゲーリングがぼそりと言った言葉に、私はジト目を返す。
「あまり、そういうことは口にするな。どこで聞かれているかは分からないぞ」
「……申し訳ありません」
そういうところが、ゲーリングはまだ若い。思うことはあっても、ぐっと我慢するしかないのが、我々雇われの兵士たちの悲しい宿命だ。
「まあ、私も何度も思ったことだ。そう気にするんじゃない」
「じゃあさっきみたいに睨まないでくださいよ」
私の愚痴に対して、ゲーリングは笑みをこぼした。
ただまあ、たまには愚痴をこぼしたくなるときもある。
……レイス様を除いたヴァリドー家の者たちは、相変わらずだからな。
レイス様を冷遇しているところを見たときは、それはもうぶん殴りたくなってしまったほどだ。
だが……貴族にそんなことをすれば、捕まるのは私たちだ。
……今の態勢を変えるには、私たちもただ黙ったままではダメだ。
上を変えるには、下だって動かなければならない。
その結果がどうなるかは分からないが……何もしなければ、ヴァリドー家は緩やかに破滅へと向かっていくのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます