第21話 拍手と握手 3
屋上のことを教えてくれた女の人。この人の紙芝居も上手だと思う。
けど、結城くんのする紙芝居のほうが私は好きだ。
周りの人はみんな紙芝居の上演に目を向けているけど、私の視線は結城くんへ。
真剣な表情で膝元に置いた紙芝居を見ている。
次に上演する予定の紙芝居だろうか。前に観た時はたしか三本していたから。この後、再び結城くんの出番があるはずだ。
もしかしたらあの手元にある紙芝居は私が屋上で観たいと望んだ作品だろうか。
だとしたら、うれしい。すごく楽しみだ。
女の人の紙芝居が終わる。拍手の音が鳴る。結城くんが立ち上がる。台座へと歩いてくる。
始まるんだ。台座の扉が開く。結城くんが題名を読み上げる。
『注文の多い料理点』
あの時、最後までちゃんと観ることができなかった紙芝居。
そして屋上で結城くんに告げた紙芝居。
少し怖いお話のはずなのに、結城くんのお芝居もさっきのよりもちょっと落ち着いたものなのに、前回観た時にはお腹の辺りが少し冷えていくように感じたのに、今回はその反対でなんだか温かくなってくるような気が。
本来なら観てくれている人全員を楽しませるような紙芝居をしないといけないけど、この紙芝居の上演だけはちょっと事情が違う。
これは一人のためだけに、藤堂さんのためだけの上演と決めていた。
今度は最初から足の裏に体重を感じられる。不安定じゃない。息もちゃんと、身体中に取り込むことができた。
さあ、藤堂さんを楽しませないと。いや待てよ、この作品だと怖がらせないとになるのか? まあどっちでもいいか。
藤堂さんが喜んで観てくれるのなら。
彼女一人のための上演なんだから、いつものように視線を満遍なく配る必要はない。藤堂さんだけを見て上演すればいい。
だけど、そんなこと恥ずかしくてできない。
やったら絶対に赤面し、照れてしまい、上手くいっている紙芝居がグダグダになってしまう自信が。
情けない話だけど。
だから、本来向けなければいけない相手からわざと視線を外して紙芝居を上演。
湊
終わった。大きな音で拍手する。
この後はどうしよう? 結城くんにお礼を言いに行くべきなのだろうが、こんなに多くの人がいる所で話しかけるのは少し恥ずかしいような。
ベンチに座ったままで考え事をしている私の目に信くんの姿が。さっきまで大人しく私の横に座っていたはずなのに。いつの間にか結城くんの傍まで歩いている。
「あのー……あくしゅしてください」
信くんは結城くんに握手を求めた。どうしてそんな行動をしたのか、すぐに理由を思いつく。この幼い弟はヒーローショーでヒーローと握手ができることを学んだ。そして楽しい紙芝居をする結城くんはヒーローそのものに映ったのであろう。
それくらい、結城くんはかっこよく見えたのだ。
この席からでもハッキリとわかるくらい結城くんが驚いた顔をしている。
おそらく、こんな経験は今までなかったのだろう。
「ほら、してあげなよ」
女の人の言葉に促されるように結城くんは身を屈める。目線を信くんに合わせて、照れながら手を差し出して、握手。
この光景を見ていた子供が次々集まってくる。
即席の握手会が始まった。
一番最初に握手を終えた信くんが私のところへと戻って来る。
「おねえちゃんもしよ」
突然とんでもないことを言い出す。そんなの恥ずかしくて絶対にできない。
「いいよ、私は」
拒否をする。無理。恥ずかしすぎる。
「しようよ」
拒否は聞き届けられなかった。お腹の中にいる時から知っているこの弟はけっこう頑固な性格をしている。一度言い出せばきかない。
強引に引っ張られるように列の最後尾に一緒に並ぶことに。小さな手を振り払うことは簡単だけど、それはしたくなかった。
「はい、あくしゅ」
信くんが掴んでいる私の手を結城くんの前に出す。結城くんは困惑している。もちろん私も。
ごめんなさい、こんなことになって。心の中で結城くんに謝罪する。
恥ずかしいけど握手をしないと解放されない。
どちらからとなく手を出して握手する。
結城くんの手は大きかった。身長は私よりも低いけど手は大きい。男の子なんだと思った。それに少しだけ温かい。
私の心臓が早鐘のようにドキドキしている。その音が結城くんには絶対に聞こえないように必死に隠す。
「……ありがとう……観てくれて」
照れながらお礼の言葉を言ってくれる。でも、お礼を言わなければいけないのは私のほうなのに。私のわがままを聞いてくれて。
目が合った。これまでも恥ずかしかったけど、それ以上に恥ずかしくなってくる。
咄嗟に手を離した。嫌だからじゃない。このままずっと続けていたら、私のこの心臓の音が繋いでいる手を通して結城くんに聞こえてしまうんじゃ。そう思ったから。
「……あの」
直視できないから、下を向いたままで切り出す。
「……何?」
結城くんの声もどことなく、いつもよりも少しだけ高いような気が。
「……また屋上行ってもいいかな? もっと紙芝居の話を聞かせてほしいの」
これからも屋上に行きたい。そして、これまでは全然話せなかったけど、これを機会におしゃべりしたい。
紙芝居の話が聞きたい。
私の願いごとを結城くんはまたも快諾してくれた。
航
藤堂さんの手の感触がいつまでも俺の中に残っていた。
思ったよりもずいぶんと華奢な手。そして柔らかかった。
突然握手をすることになって戸惑ってしまった。小さな子相手なら別に何とも思わないが、相手は知っている人、それも同じ年の女子、しかも同じ教室で学ぶ間柄。
それは向うも同じようだった。藤堂さんは驚いた表情を。
それよりも俺の手はさっきの上演の緊張と、この突然の展開の緊張で異様なほど汗をかいている。こんな手で握ったら嫌がられないだろうか。
だから、すぐにできなかった。
それなのに藤堂さんは俺と握手をしてくれた。それはほんのわずかな時間、数秒のできごとだったけど嬉しいことだった。
報われた、幸福な気分だった。
帰りに車の中でも余韻に浸っている俺にヤスコがいきなり声を。
「ねえ、あの子を花火大会に誘ったら」
いきなり何を言い出すんだ、この従姉は。
「はあー?」
馬鹿にしたような声で言い返す。なんとなくその意図は判っているが、乗っかる理由なんてどこにも無い。そんなことをすればウザくなるのは必至。
「だから今日観てくれたあの子を花火大会に誘ったらって言ったの」
ヤスコが言い直す。そんなことしなくてもいいのに、さらに強調して。
「何で急にそんなこと言うんだ」
「お礼よ、お礼。彼女がアンタに紙芝居を観たいと言ってくれたんでしょ。だからまた上演したんでしょ」
たしかにそうだ。藤堂さんが望んだから紙芝居をもう一度上演した。言われなかったらあのまま辞めたままのはず。
「……そうだけど」
「で、久しぶりに紙芝居をしたら、また続けてもいいかなって思ったんじゃないの」
図星だった。開始する前は承諾したことを後悔して震えていた。いざ観客の前に立ってもそれは解消されることはなく、こどもの日の二の舞、同じ轍を踏む失態を犯しそうになった。でも、それを救ってくれたのは藤堂さんの存在だった。彼女がいたから、観てくれていたから、最後まで上演できた。そしたらいつの間にか以前のように、面白く楽しくなっていた。
「……誰がまたするって言った」
そう、今回は特別。藤堂さんのための上演だ。
「そんなことは言ってないけど。上演して拍手を受けたら気持ち良かったんじゃないの。また上演してもいいかなって思ったんじゃないの」
心の中を完全に見透かされている。コイツには絶対に敵わない。なにしろ、俺が産まれた瞬間からずっと知られている。いわば、天敵みたいなものだ。
「だったら彼女にちゃんとお礼をしなくちゃ。女子高生が紙芝居を観てくれるなんて貴重なことなんだから。それにあの子、この前みたいに後ろに隠れたりしないで小さい子達に交じってベンチに座って観てくれたんだよ。多分すごく恥ずかしかったと思うな。けど、あの子最後まで座って観てくれた。おまけに握手というご褒美もしてくれたし」
握手という言葉が聞こえた瞬間、俺の手の平に柔らかくて、そして見た目よりも小さな感触が蘇った。顔が勝手に紅くなっていく。
「それにね、誘うのは航にとっても大きなチャンスになると思うんだけど」
「チャンス?」
「そう。だって好きなんでしょ、あの彼女のこと」
考えてもいなかったことを突然言われて吹き出してしまう。
けど、自覚はなかったけど、もしかしたら、そうなのかもしれない。だけど、この自分でも気付かなかった気持ちをヤスコに指摘されるのは正直面白くない。
「汚いなー。何よ、いきなり」
「ヤスコが変なこと言い出すからだろ」
「変なことって何よ。彼女が好きだから紙芝居をする決意をしたんじゃないの」
「違う、そうじゃない。観たいって言ってくれたからしたのは事実だけど。そんなんじゃない……藤堂さんが興味あるのは紙芝居で俺自身に興味があるわけじゃない。それに俺の方が小さいし、そんな対象にならないよ」
俺が藤堂さんのことを好きになったとしても、彼女が俺に好意を持ってくれるとは限らない。たしかに好きと言われた。でも、それは俺がする紙芝居にだ。そう、彼女の興味は俺にではなく紙芝居だ。
そのことを十分すぎるくらい承知している。
「男の方が小さいからって問題は無い。ほら、舞華の所も彼の方が、背が低いけど上手くいってるし。それにね、第一興味が全然無いなら恥ずかしい思いをしてまで観には来ないわよ」
たしかに舞華さんの付き合っている人は舞華さんに比べると低い。けど、それは二人で並んだ場合であって身長自体は平均男性よりも高いはず。俺のようなチビじゃない。
「……そうかな」
それでもヤスコの言葉に少しだけ考えてしまう。
「そうよ」
ヤスコが断言する。
「……でも」
けど、確証が持てない。それに低いのはけっこうコンプレックスだ。
「デモもストライキのない」
親父のようなことを言う。けど、でもだ……
「別に俺は藤堂さんのことなんてなんとも思ってないから」
そう言ってヤスコから視線を外す。
「噓だね。ホント昔からわかりやすい性格してるわね。アンタが噓をついてもすぐにバレるからね」
たしかに昔からそうだった。噓や隠しごとはすぐにヤスコにバレてしまう。ゆにさんに対して人生初の淡い気持ちを抱いた時もそうだった。あの時は散々からかわれた記憶が。
「あのね、幸運の女神には前髪しかないのよ。このチャンスを逃したら彼女他の男のものになっちゃうかも」
意地悪そうに言う。
「……けど……」
正直藤堂さんの俺に対する気持ちを知るのが怖い。今のままでの関係でいいと思ってしまう。
「上手くいけば薔薇色の高校生活を謳歌できるわよ」
「……上手くいかなかったら?」
どう考えてもそちらの公算の方が大きいような気がする。屋上では二人きりなのに会話が全然ないんだから。
「その時はその時よ。潔く当たって砕け散りなさい」
「砕け散るのは嫌だ」
「いい、航。青春というのはね、傷付くものなの。傷付くのを恐れていたのでは何も手にはできないのよ」
良いことを言う。けど、その言葉の裏に隠されているヤスコの真意を俺は見抜いていた。
「したり顔でアドバイスしているけど、本当はたんに面白がっているだけだろ」
ヤスコの真意を言う。お前は俺をけしかけて遊んでいるだけだろ。
「うん」
満面の笑みでヤスコが返事する。やっぱり、そうか。
「絶対に誘わないからな」
なら、俺はお前の期待なんかに絶対に応えない。第一恥ずかしいじゃないか。
「えー、誘いなよ。アンタなら絶対大丈夫だって」
「誰がヤスコの言うことなんて聞くもんか」
その後もヤスコはしつこく誘うように言い続けた。俺は全て無視する。車を降りる瞬間までヤスコは俺に誘えと言い続けた。
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