第20話 拍手と握手 2


   こう


 日曜日、久し振りの紙芝居。

 もうすぐ上演時間になる。

 それなのに観て欲しいと望んだ人の姿はなし。

 どうして藤堂さんはいないんだ? 俺はちゃんと屋上で伝えたよな。

 悪い妄想が頭の中に突如浮かんでくる、瞬く間に脳内に蔓延していく。

 もしかしたら屋上での一連全てが、藤堂さんの俺に対する壮大な悪戯だったのではないのか、と。

 本当は俺のする紙芝居になんか全く興味が無い。落ち込んでいる俺をからかって遊んでいただけ。

いや、そんなはずはない。藤堂さんはそんなことする人じゃないはず。

 だったらどうして?

 ……冷静になって考えてみれば、観に来るとは言っていたけど時間までは言っていなかった。紙芝居は一時二時三時とそれぞれ三十分ずつを三回行う。

 この時間ではなく、別の時間に藤堂さんは観に来てくれるのかもしれない。

 心が折れそうになったけど、そう言い聞かせて、なんとか踏みとどまることに成功。

「航、アンタが最初ね」

 そんな俺の背中にヤスコの声が。

 藤堂さんがいないこの状況で紙芝居をしても意味はない。

 断ろうとしたけど、それを口にするのは止めた。

 そんなことを言っても無駄というのは判っている。それに俺は「また、紙芝居をしたい」としか言っていない。一人のために、藤堂さんのために紙芝居をまたするということは秘密にしている。

 そのことをヤスコに知られたら、絶対に何か言われ、からかわれてしまうのは必至。

 気持ちとは裏腹に承諾を。

 上演時間が迫る。

 目の前のベンチには子供達の姿が。

 緊張してきた。稽古場ではちゃんとできたけど、本番、この場所でできるのか。今更ながら不安になってくる。

 適度な緊張感は必要だけど、今俺の中にある緊張は限度をはるかに超えたもの。

 自分の身体のはずなのに、自分のじゃないような。思い通りに動いてくれないというか。

 さっきまでは柔らかかったはずの身体が一瞬で硬直してしまったような。

 このままじゃまた失敗をしてしまう。観ている人間が途中で帰ってしまう。

 ネガティブな思考に。

 そんなマイナス思考は捨て去らないと。まずは呼吸を。ちゃんと息を吸えれば、変な声にならないはず。

 できない。

 稽古ではできていたのに。また、できなくなっている。

固いはずの床がグニャリとした感触に、足元がふらつくような感じに。

 目の前にいるはずの観客が、どんどんと遠ざかっていくように見えてしまう。

 このままじゃ絶対にまた失敗を。無様な紙芝居をしてしまう。



   みなと


 急がないと、もう紙芝居の上演は始まっているはず。

 上演開始時間前には着いているはずだったのに。

 私が遅れてしまったのには理由が。それは私一人ではなかったから。

 屋上で、一人ずっと胸に秘めていた、結城くんのする紙芝居が好きという告白をしたものの、やっぱり一人で観に行くのは、小さい子に交じって観覧するのは恥ずかしい。そこで、弟の信くんと観に行くことにしたのだが、信くんが時間間際になってトイレに行きたいと言い出してしまい、それで遅れてしまうことに。

 トイレから出てきた信くんの手を引っ張って、早足で。

 本音を言えば走っていきたいような心境だったけど、走ったりなんかしたら大きな足音が響いてしまうかもしれない。

 そうなったら紙芝居の上演の邪魔になってしまう。

 はやる気持ちを押さえて、でもいつもよりも早く足を動かして。

 一緒にいる信くんにはちょっと大変かもしれないけど、ここは我慢してもらおう。

 声が聞こえてきた。

 結城くんの声だ。

 だけど、心なしかちょっと震えているような、自信のなさそうな音。

 無理なお願いをしてしまったんじゃ。心が小さく痛む。

 私が結城くんのする紙芝居を観たいと言わなければ、あんなにも不安そうな結城くんの声を聞くことなんかなかったのに。

 足が止まってしまう。

 さっきまで私が信くんを引っ張って歩いていた。それが反対になる。

「ねえ、いこうよ」

 信くんの声で私は再び歩き出す。

 そうだ、私が観たいと言ったから結城くんは紙芝居をまた上演してくれるんだ。

 いつまでもこんな場所で突っ立っているわけにはいかない。ちゃんと観ないと。

 紙芝居へと、結城くんへと一歩ずつ近付いていく。

 けど、どこで観よう?

 あの時と同じように信くんはベンチに座らせて、私は後ろで観ていようか。

 駄目。結城くんが再び紙芝居の上演を行ってくれるのは、私がわがままを言ったため。それなのにその張本人が物陰に隠れてしまったのでは失礼になってしまう。

 そんなことをしちゃ絶対に駄目。

 後ろの空いているベンチに信くんと一緒に座ることに。

でも、腰を下ろす瞬間やっぱり少しだけ躊躇してしまう。本当にこんな大きなのが座って観てもいいのだろうか、と。

 観たいと言ったけど、やっぱり恥ずかしいという気持ちも私の中に存在している。

 けど、結城くんは私の言葉でもう一度上演してくれることを決めたんだ。ここで私が逃げ出したらそれこそ本当に失礼だ。

 絶対にここから離れずに紙芝居を観るんだ。心の中で一人決意をする。

 それと同時に結城くんに心の中で声援を。



   航


 底なし沼にはまり、落ちていくような感じだった。

 もがけばもがくほど声が出てこない、それでも無理に絞り出そうとすると怖くて固い音になってしまう。

 遠くに感じた観客が、さらに遠くへと。

 このままじゃ駄目だ。あの時の二の舞を踏んでしまう。

 そうならないために奮闘しようとするが、全て裏目に。

 視界が暗くなっていく。

 そんな酷い状況にもかかわらず、ベンチに腰を下ろす人影が。

 上演中は眼鏡をかけていない。それに、この心理状態ではベンチはすごく遠くに見えているはずなのに、座る人物の顔がハッキリと映る。

 藤堂さんだ。

来てくれたんだ。

 暗くなりかけていた視界が一気に明るくなる。あんなに遠くに見えていた観客がすぐに目の前にいるような感じに。

 声もちゃんと出るように。

 呼吸も。足の裏の感覚も。



   湊


 私の心の中での応援の声が届いたのかどうか分からないけど、結城くんの声に変化が。

 自信なさそうな少し震えていた声が、徐々に大きく、そして優しく響く音に。

 変わったのは声だけじゃなかった。

 あの日以来小さく見えていた体が、今はすごく大きく輝いて見える。

 台座の横でしているお芝居も躍動しているような気が。

 この紙芝居は私が屋上でリクエストしたものではない。けど、面白いし楽しい。

 ああ、始まりからの数場面を聞き逃した、見逃してしまったことが悔やまれる。

 コミカルな狼の声に、うるさいガチョウ、母親馬、さらには気弱な羊。

 まさに変幻自在で演じ分けている。

 最初に紙芝居を見た時のように楽しい。

それよりもっと面白い。

 けど、楽しい時間は永遠には続かない。紙芝居は終わりを向かえる。

 拍手が起きる。当然だ。教室では恥ずかしくて手を叩けなかったけど、ここでは大きく。隣の信くんも私に負けないくらいの音で。



   航


 なんとかやり遂げた。

 出足こそ躓き、また失敗しそうになったけど、藤堂さんの顔が見えた瞬間力が湧いてきた。

 大半のお客さんを途中で帰してしまうという失態を犯さずにすんだ。

 久し振りに受ける拍手の音がすごく心地良かった。

 けど、これで安心するわけにはいかない。

 まだ、ある。

 屋上で藤堂さんが観たいと言った紙芝居はまだ上演していない。

 でもまあ、一つの作品を最後まで上演できた。

 ヤスコと交代する。

 入れ替わる時に藤堂さんの座っている方向をチラリと見る。眼鏡をかけていないからよく見えないけど、なんとなく喜んでくれているような、楽しんでくれたような、そんな気がする。

 そう思うと、自然と顔が綻んでくる。

「なるほどね」

 なにやら意味ありげに呟くヤスコの声が耳に。

 けど、そんな声は無視する。今はそれよりももっと重要なことがある。

 ヤスコの上演が終わったら、また俺の番だ。次はあのリクエストしてくれた紙芝居をしないと。せっかく希望を言ってくれたのだから。それの応えないと。

 リクエストしてくれた紙芝居は季節外れだけど、まあいい。

 今度も楽しんで観てもらうために、俺は下読みを、事前の準備を念入りに始めた。


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