BROWN

「託生、好きな色は?」

 三〇五号室に戻ってくるなり、ギイがぼくのノートをひったくった。机で宿題のリーダーと戦っていたぼくは、右手にシャープペンを握ったまま、ポカンとギイを見上げる。

「なに、突然」

「いいから。好きな色は?」

 ギイはぼくのノートを自分の机へ放り──相変わらずコントロールは抜群だ──ぼくの顔をのぞき込む。

 とんでもない美形のドアップに、びっくりして息を詰めてあごを引くと、

「なんだよ」

 近寄られたのを嫌がったと思ったのか、ギイが不満げに口をとがらせた。

「あの……」

 そんなつもりじゃなかったんだ。

 言い訳しようと言葉を巡らすのだが、動揺パニックこんがらがりでオロオロするばかり。そんなぼくを知ってか知らずか、めげないギイはにっこり笑い、

「色だよ、色。好きな色」

 覆いかぶさるように机に上半身を大きく乗り出して、ぼくを見た。ギイは自分のぼうに自覚があるのだろうか、そんなにじっとみつめないで欲しい。

「そ、そんなこと、いきなりかれても答えられないよ」

「たかが色だぞ」

 ギイの息がほおにかかる。それだけで勝手に顔がほてってくる。困ったものだ、まだ、慣れない。

「──じゃ、嫌いな色は?」

「ない」

 即答したぼくに、今度はギイがポカンとした。

「ない?」

 不思議そうに聞き返す。

「うん、ない」

「へえ、じゃ理由は?」

「昔はピンクが嫌いだったけど、今は好きだから、嫌いな色がなくなっちゃったんだ」

「ほー、成る程」

 ギイはうなずくと、「で、好きな色は?」

 また、訊く。

 さっきから動揺しつつもずうっと考えているのだが、そう尋ねられてパッと浮かぶ色がないのだ。どの色も似合う場所にさえあればステキだし、好きだ。逆もある。どんなステキな色だって、場所を間違えればまゆひそめたくもなろう。

 ぼくは改めてギイを眺めて、ふと、気がついた。

「好きな色、本当にないのか?」

 そう尋ねるギイの淡い茶色のひとみ。光の加減でグレーになるのを、最近発見した。その瞳にフワリとかかる栗色の髪、太陽の下で金色に光る。

「なくはないよ」

 ぼくはまぶしくて目を細めた。「茶色。淡くて、透けそうな」

「茶色?」

 ギイはいぶかしげに眉を寄せる。

「あんなおじんくさい色が好きなのか? 変わってんな、託生」

「だって、とってもあったかい感じがするだろ?」

「ああ、土の色ね。ラクダのモモヒキも茶色だっけな」

 ギイは勝手に納得すると、胸ポケットの手帳に何やら書き込んだ。

「──何してるの?」

「新聞部に頼まれた、学生の意識調査の一環だよ。七月号の学校新聞で大々的に特集を組むんだそうだ」

「好みの色で学生の意識なんかわかるのかい?」

「さてね。オレは分析には関わってないから。それよりまだ質問が残ってるんだ」

 ギイは手帳を広げたまま、ひょいとぼくの机に腰を掛けた。そのポーズが外国映画の俳優みたいにサマになってて、ぼくはつい、れてしまう。

「行ってみたい外国は?」

「えっ? あ、んーと、北極」

「はぁ……?」

 ギイが丸く目を見開いて、しげしげとぼくを眺めた。そんなにしなことを言っただろうか。

「あの、オーロラ、見たくって……」

「ホー、オーロラね。確かに一見の価値はあるな。次。ここに百万円あります、自由に使って良いとしたら、まず何を買いますか」

「洗濯用の洗剤。──って!」

 いきなり手帳で頭をたたかれてしまった。

「マジメに答えろ」

 ギイがジロリとにらむ。ぼくは焦って、

「マ、マジメに答えてるよ。だって、昨日洗剤が終わっちゃって、日曜まで買いに行けないから、今週まだ三日も残ってるのに洗濯ができないんだ」

「酵素パワーの『トップ』で良ければ、オレのを貸してやるよ」

 ギイはしょうがないヤツと言いたげに苦笑すると、「他には?」

「今は特に……。貯金しておくんじゃないかな」

「そうか、託生ってけっこう堅実なんだな。オレだったらパソコンを買うな、色んなソフトも一緒に。っと、オレのことはさておき、好きなタイプは?」

「女の子?」

 尋ねたが、ギイは手帳をじっと見たまま何も言わない。

「ギイ、それって女の子のこと?」

「──別に」

 ポーカーフェイスのギイ。だから、ぼくにもわかるよ。

「ぼくの好みはね、身長が百七十五以上で、英語が話せて、みかけの割に力持ちで、ちょっと強引だったりする人かな。それから、行動が派手で友人想いで、そして──」

 不意にさらわれた言葉、盗まれたキス。盗まれた続き。そして、キスの上手な人。──ギイ……。

「好みのタイプは崎義一って書いといてやるよ」

 キスの後、ギイは晴れやかに笑って、「ごちそうさん」

 三〇五号室を出て行った。

「ギイってば」

 ぼくもクスクス笑ってしまう。

 ギイってば、ちっとも肝心なことをいていかない。どうして嫌いなピンクを好きになったのか、どうして茶色が好きなのか。ギイのピンクのポロシャツ、スニーカーのひもの色、ウォークマンもピンクだっけ。

 彼は躊躇ためらいなくどんな色でも身につける。持ち前のセンスの良さで、いきにコーディネイトして。ギイと暮らすようになってから、どんな色でも使い方次第だってわかったんだ。

 ぼくはそっと口唇に触れた。

 どんな色もギイを引き立てるけれど、似合うけど、でも、ぼくにとってのギイのカラーは淡い茶色。きみの髪とひとみの色。

「ギイが好きだよ……」

 まだ、面と向かって伝えられないぼくだけど、ギイが好きだよ、とても、好きだよ。

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