第10話深瀬キキはやっと先輩らしくなったと言える

五月が終わる頃のことだった。

白根桃は課題提出まで後数日というところまで追い込まれていた。

僕らは一年間通しての課題だったが彼女らは違っていて、しっかりとした課題提出日を設けられていた。

それが六月一日ということで…

僕は彼女の役に立てるかどうかは分からないが毎日作業室に足を運んでいた。

白根桃は僕を描き終えていたが風景の部分で思い悩んでいるようだった。


「どう?思うように描けている?」


僕に影響や気付きを与えてくれた葛之葉雫の様に僕は彼女の傍に向かった。


「はい。ただあと少しの所で行き詰まっていて…」


「観ても良い?」


「どうぞ…」


そうして僕は白根桃の作品を覗く。

ウンウンと頷いて彼女の実力が確かなものだと感じていた。

僕は入試で首席合格したわけではない。

ただし入学してから一番に評価され続けているだけだ。

確実に僕が入学したときよりも彼女のほうが実力が上に感じていた。

入学したての僕はここまで洗練された絵を描けていただろうか。

そんな事を思って僕はスマホに存在している過去作の写真を彼女に見せる。


「これ観てよ。僕が芸大入試で描いた絵。

それでこっちが入学して初めての課題で一番の評価を得た絵。

それでこれが葛之葉さんから気付きを得て殻を破った絵。

それでこれが…」


僕の今までの軌跡の様な作品群を彼女に見せると白根桃は表情をコロコロと変えていた。

驚いていたり悲しそうにしていたり嬉しそうに微笑んだり。

沢山の表情を目にした僕は何を思ったのだろうか。

そして沢山の作品群を目にしている彼女は何を思ったのだろうか。

そんな事を軽く思考していると白根桃はパッと表情を明るくさせて何かが閃いたような顔になった。


「お!何か閃いたね?」


「はい!流石先輩です!お陰で私も殻を破れそうです!また作業に集中します!」


「良かった。頑張ってね」


「はい!ありがとうございます!」


白根桃は僕にスマホを返却するとストレッチに入るようだった。

考えをまとめながら作業に入る前のルーティンを行っている。

きっと上手くいくと僕は彼女の成功を祈りながら自らの作業に入る。


「随分先輩らしくなってきたね」


椅子に腰掛けると隣に座っている葛之葉雫に声を掛けられる。

しかし誂っている様な声音でも視線でもない。

僕の目には喜んでいるように見えてならなかった。


「ですかね…葛之葉先輩の真似をしただけですよ」


「そう?私がお手本?」


「当然です。僕が一番最初に殻を破ったのは葛之葉先輩のお陰でしたから」


「そうなんだ。じゃあ野田くんが有名になったら自慢するね」


「自慢?」


「そう。私のお陰で野田くんは有名になったんだって」


「ははっ。あながち間違っていませんよ」


「そうなの?冗談のつもりで言ったんだけど…」


「いえいえ。冗談ではないですよ」


「そっか。力になれていたなら良かったよ」


「こちらこそありがとうございます」


「何の感謝?」


「日頃のですよ。葛之葉先輩と深瀬先輩の存在は僕にとって良い刺激になっていますから」


「そうなんだ…深瀬さん。だってさ」


「………」


深瀬キキは現在作業に集中しており耳にはイヤホンが装着されている。

僕らの話はまるで聞こえていないようで彼女は筆を動かし続けていた。


「あ…そう言えば…」


僕はそんな言葉をつい口走ってしまい手で口元を隠した。


「ん?何?言いかけたんだから言いなよ」


「あぁ…その…白根さんの課題を聞いて思い浮かんだんですけど…」


「うん。何?」


「葛之葉先輩と深瀬先輩をモデルに描いてもいいですか?もちろん作業の手は止めなくていいので…」


「ふぅ〜ん。今まさに白根さんがやっているようなことをしようと思っているの?」


「そうです。裸婦画を描いた時に手応えを感じたので…今度は裸婦画ではなく二人をモデルにした人物画を描きたくて…」


「良いよ。深瀬さんには後で聞いておくよ」


「ありがとうございます」


「うん。二作目が完成したら描く感じ?」


「はい。そのつもりです」


「わかった。私も早く一作目を描き終えないと」


「感覚は取り戻せましたか?」


「なんとかね。頑張らないと…」


そうして僕らは会話を切り上げると再び作業に集中するのであった。



新一年生の初めての課題提出日がやってきていた。

僕たちは普段通りに作業室で作業をしている。

深瀬キキは三作目に入っていたし葛之葉雫は二作目の構想を練っていた。

僕はと言えば葛之葉雫の人物画を描き始めた所だった。


「白根は成績トップを取れるかしら…」


なんだかんだで後輩思いの深瀬キキが心配そうな表情で口を開く。


「白根さんなら大丈夫ですよ。少しの間ですけど私達と共に作業をしていたんですから」


葛之葉雫が深瀬キキを宥めるような言葉を口にすると僕に視線を向けてくる。


「大丈夫です。初めての課題で初めは戸惑っていたみたいですけど…きっと大丈夫です」


「そうだったら良いけど…正直な話をすると初めての課題で一位を取らないとその後のモチベーションに関わると思って…」


深瀬キキは思った以上に心配していて僕らは薄く微笑んだ。


「大丈夫です。

白根さんは僕らを頼って様々な技術を吸収したはずですし。

今後上手くいかなくても…

僕らがサポートすれば…」


僕の言葉を受けた深瀬キキは訳知り顔で首を左右に振った。


「私達はもう何も出来ないはずよ」


「どうしてですか?」


「うん。きっと今日から集団制作が始まる。

でも私達は参加できない。

元Sグループの生徒は特別課題を与えられているでしょ?

だから私達以外の生徒だけで集団制作が始まるの。

きっと白根も違う先輩たちと切磋琢磨して作業をすることになる。

私達がサポートしたりアドバイス出来る場面はもう無いのよ…」


深瀬キキは少しだけ寂しそうな表情を浮かべるとなんとも言えない顔で首を左右に振る。


「え?今年も集団制作ってあるんですか?」


葛之葉雫はそんな言葉を投げかけると深瀬キキは何を知っているのか一つ頷く。


「あるわよ。教授に話があって職員室に向かったんだけど…そんな話が聞こえてきたから…」


「盗み聞きですか…」


「そんな言い方しないでよ…」


深瀬キキはかなりのダメージを受けているようだったが、その原因を僕らは知りもしない。


「何をそんなに落ち込んでいるんですか?」


葛之葉雫はダイレクトな言葉をぶつけると深瀬キキは観念したように口を開く。


「うん。私は今年で卒業でしょ…

去年の集団制作に心残りの様なものがあるのよ。

三年生だった私は空気も読めずに反対意見ばかり言って協調性の欠片もなかった。

それに野田に救われて私にヘイトが向かうこともなかった。

あの時から私はずっと悔しい気持ちを抱えている。

卒業しても私はきっと一人で制作をしていくんだわ。

けれど数少ない貴重な機会をいただけたのに…

私はあまりにも役に立てなかった…

それが心残りなのよ…」


初めて吐露する深瀬キキの弱音を僕らはどの様にして受け止めたのだろうか。

葛之葉雫はカラッとした笑顔で受け流しているようだし、僕は僕で言うべき言葉が見つかっていた。


「監督の奈良鶫さんがいたじゃないですか。

大手アニメ会社に就職したそうなんですが…

みんなが反対意見ばかり言うって愚痴っていましたよ。

自分だけイエスマンになっていたら周りから叱責されたそうです。

自分はないのかって。

Sグループの会議の時、反対意見を口にしたのは深瀬先輩だけでしたよね?

そのことも監督は褒めていましたよ。

みんなが賛成する中で反対意見を言えるのは非常に貴重な存在だと思います。

話やアイディアの幅が広がりますし…

それに深瀬先輩が役に立たなかったなんてありえません。

僕らの個展で一番目立っていた絵を描いたのは深瀬先輩ですから。

何も心残りなんて無いですよ。

あまり自分を責めすぎないでください」


思っていることを正直に話すと葛之葉雫も完全に同意と言うように深く頷く。


「ホントに…?そう思う…?」


「当然ですよ。私も野田くんの意見が正しいと思います。

それに深瀬さんは四年生で卒業を意識し始めたからナーバスになっているだけでしょ?

私達との楽しくも輝かしい日々が失われるって思っているんじゃないですか?

でも心配しないでください。

私達は来年再来年とここに居ます。

卒業してもずっと仲間でしょ?

いつだって会えるじゃないですか。

私達の関係は終わりませんよ。

絵を描くことをやめない限り…

私達はずっと何処かで繋がっています。

そう思いませんか?」


「そうだね…また後輩に宥められたよ…ダメな先輩ね…」


「そんなこと無いです。それに年齢は私のほうが上ですから」


葛之葉雫はそこで誂うように微笑むと僕らはその場で破顔する。

話が纏まって心地のいい空間や雰囲気に包まれているとガラガラっと引き戸を開ける音が聞こえてきて僕らはハッと現実に戻される。


「先輩!一番でした!」


白根桃が作業室に報告に来て僕らは彼女を歓迎する。


「この後、成績トップ組で会議があるんです」


「やっぱり集団制作があるんだ?」


「はい。私頑張りますね!」


「うん。いってらっしゃい」


そうして僕らは白根桃を見送ると安堵とともに今日も今日とて作業に集中するのであった。




「こんな感じで…新一年生の白根さんと関わる機会は少なくなりそうなんだ。

それに対して先輩が少しだけ落ち込んでいたみたいで」


帰宅した僕は真名に芸大での出来事を言って聞かせる。

真名はウンウンと話を聞いており時々相槌を打つ程度だった。


「そう言えば…真名さんの絵をまた描きたいんだけど…」


唐突な僕の言葉に真名は驚いているようだった。


「また私を描いてくれるの?」


「はい。レベルアップした僕の成長を見せたくて…

それにもっと描きたいと思っていたんですよ…

真名さんには言っていませんでしたが…」


「そうなんだ…知らなかった…じゃあ描いてほしいな」


「わかりました。いつが良いですか?」


「いつでもどうぞ」


「わかりました。じゃあ休日の時間がある時で良いですか?」


「うんっ♡」


そこから僕らは仲睦まじい会話を繰り広げながら本日も深夜になるまで肩を寄せ合って過ごすのであった。

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