第9話 妹の決心と引き継がれた名前と男の覚悟
「――兄さん!」
『――兄さん?』
はて、自分に兄弟などいないはずだが――いや、待てこれはこの前やった記憶のある流れだ。
そう思いながら開いた眼が最初に映したのは白い天井とこちらを心配そうにのぞき込む、異邦の少女の姿だった。
『まんま一緒かい。』と内心で突っ込みを入れた少年の横で、アイルーロスは安心したように手を包み込んで言う。
「よかった……!もう目が覚めないかと――」
「嗚呼――いや、心配かけたね。」
一瞬、僕を兄と呼ぶのか?と疑問に思ったが――結局、自分を象徴する言葉がこれしかないんだろうと彼は結論付けた。
「……ごめんね?」
「ん?え、何が?」
突然かけられた謝罪の言葉に少年は面食らった。
彼の中において、彼女に謝られるようなことはない、確かに兄と呼ばれるのには多少の驚きがあったがそれぐらいの話だ。
むしろ謝るべきはい自分だろう、彼女の兄を奪っているのだから。
「……その、怪我、私のせいだから。」
「あー……いや、これは僕が自分でやったことだしな。」
「でも、私から絡まれなければ……!」
そこまで話して、彼女が謝りたいのはたぶん自分ではないのだろうなと、彼は理解した。
彼女が謝りたいのは兄だ。
別段、自分がやったことへの感謝や謝意がないわけではないのだろうが――自分があの男に目をつけられたせいで全ての問題が起きたと、自分を責めているのだろう。
彼女の態度を見てもそれは明らかなように彼には思えた。
「――アイさん……って呼んでもいいのかな。」
「……うん、長いから、名前。」
「じゃあ、そうしよう。アイさん――これは君が気にするようなことじゃない。」
「……でも……!」
そう言って、彼の目を猫目石の様に美しい瞳が見つめる、涙がたまっている、よく泣く子だなぁと、少しおかしく思った。
「別に君が悪いわけじゃない。君にいらないちょっかいを掛けたあの――あー……誰だっけ?さっき僕が殴った男が悪い、君がわざわざ彼を誘惑したわけでもないだろう。」
「……うん。」
「彼――クロノスが君を助けようとしたのも、君が悪いわけじゃない。」
「――!」
ばれていると思わなかったのか、驚きが表情に浮かぶ、目を見開くと本当に人形のように見える。
「彼が君のためにあの決闘を受けたのは――彼が君の兄だったからだ。」
「――なんでそんなことわかるの!?あなたは兄さんじゃないのに!」
怒声が飛ぶ、彼女の中にある納得できていない部分が叫んでいるのだろう。
言ってから「ぇ……ぁ……ごめんなさい……」と謝る少女はひどく打ちひしがれている、何とか出来るのはたぶん世界でただ一人しかいないが――いないものは仕方がない、自分がどうにかしよう。
泣きそうな彼女を諭すように、彼が口を開いた。
「日記に書いてあった、それに――君を見たからだ。」
「へっ?」
「いなくなった人のことを知るなら残された人を見ればいい、おやじが言ってた――ああ、君のお父さんのことではなくね――だから、彼を知るために君を見た。行動とかそういうのを」
言いざま、彼女を見る。適当なことを言っていると怒っている裏でこちらを心配する光が確かに瞳の奥に揺らいでいるのを彼は見逃さなかった。
「君はいい人だ、君のお兄さんの仇になるかもしれない僕のことを気遣ってる。そんな風に育つには呆れかえるほどの愛情がいるだろう。」
「……」
恥ずかしいのか、あるいは兄を思い出して悲しんでいるのか。顔を伏せた彼女にさらに言葉を続ける。
「だから多分、クロノス君は君に多大な愛情を掛けたんだろう、慈しんで――守ったはずだ。でなければそんなに怒らないだろうしな。」
「!」
「だからきっと、今回の件もそうだったはずだ、君を大事に思って、君に幸せでいてほしいから、彼は戦おうとしたんだと僕は思う。」
時任 桐青にクロノス・エレンホスのことは分からない。
ただ、たぶん、彼はいい人だったのだ――その背を見て生きていた彼女が自分を気遣うような優しい子になるぐらい。
だから彼女を守ろうとしたし、だからこそ、それを彼女に言わなかった。
抱え込みがちな人だったのだろう。目に浮かぶようだ。
アイルーロス――妹と二人、並んで歩きながら笑いあう日々が彼にとって幸せだったのだろう。
それを自分が奪うなんて、彼にはとても許せないし、耐えられなかった。
だから――
「――約束する、君のお兄さんを君のところに返すよ。」
「え――」
そう言った彼に少女は驚いたように固まる。
「僕にどこまでできるかはわからない、絶対だとも言えない、信じてくれとも言えない、疑い続けてくれていい。でも、宣言はする、何かしらの方法を見つけ出して、必ずお兄さんを君のもとに帰す。」
「で、でも、そんなことしたら、あなた――」
「――消えるかもしれん。」
そう言って彼は彼女を直視する、その顔は動揺に揺れていた。
「が、それでもやるさ、どのみち、一度は死んだ身だ、今更消えること一つ恐れても仕方がない。それに――」
考えながら笑ってしまった、結局、自分はどこまで行ってもこの生き方から逃れられないのだろう。
「――言ったろう?性分なんだよ、今更変えられない。」
そう言って笑う彼に、瞠目する少女が何を思ったのかは定かではない。
ただ、一度決心するようにうなずいた彼女は――
「わかった、信じる。いつかクロ兄さんが帰ってくるまで――よろしくね、兄さん」
そう言って笑う少女――アイルーロスの言葉にうなずいた彼は
「――よろしく、アイ。」
と伝えた、ある種の決意表明だった。
「さんはいいよ。兄さん――なんか言いにくいな……新しい愛称つけようね!」
「君の好きにしたいいよ。」
そう言って笑った――この瞬間から、彼は誰でもないどっちつかずの誰かでも、時任 桐青でもなく、クロノス・エレンホスとして生きることを決めた――期間限定だが。
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